Reイノベーション―リノベーション(Renovation)とイノベーション(Innovation)を掛け合わせた造語である。本特集で紹介する輪島KABULET®のキャッチフレーズだ。リノベーションは「改修」。石川県輪島市では、まちなかに点在する空き家を利活用することで、かつての人の流れを取り戻し、新たな人の訪れを実現した。イノベーションは「技術革新」だが、新たな考えを取り入れ、新たな価値を生み出すという意味もあり、輪島KABULET®では、障害者が蕎麦処での製麺や給仕など、モノづくりだけではない多様な働き方を可能にしている。
栃木県那須町の那須まちづくり広場は、廃校になった旧朝日小学校の校舎を新たな出会いや仕事、表現活動の場として再生することに成功した。ここには地域からいろいろな人が集まってくる。両者とも、既存の資源を生かすことで新たな価値を生み出している例としてお読みいただきたい。

民間主導で進める「那須まちづくり広場」

長年、大企業の社員として働きながら、持続可能な社会を目指して活動をされてきた孝昭さんが会社を早期退職され、那須まちづくり株式会社の取締役に就任されて1年以上が経つ。同社は廃校になっていた旧朝日小学校を那須町から借り受け、直売所形式の市場、就業の場の提供やセミナー開催、音楽やアート講座などを行い、多くの人びとが集う場所になっている。こうした地域活性を民間主導ですすめるのはめずらしい。2018年度の地域再生大賞(地域づくりに取り組む団体にエールを送ろうと、地方新聞社と共同通信社が2010年度に設けた)では、那須まちづくり会社が関東・甲信越のブロック賞を受賞した。鏑木さんは「民間主導でまちづくりを行うのは難しくない。私たちは情報をオープンにしていくので、後に続く事業者が現れてほしい」と話す。どうしてなのか。鏑木さんにお話を伺った。

鏑木孝昭(かぶらぎ・たかあき) 1982年、慶応義塾大学法学部卒業。石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社。1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに市民活動に参加。国際環境NGOナチュラル・ステップ・ジャパン理事、NPO法人かながわアジェンダ推進センター代表理事、2009年「持続可能なコミュニティを本気でつくる大人たちの会」設立。東日本大震災では「大船渡再生グランドデザイン」を発表。現在、一般社団法人コミュニティネットワーク協会理事、日本未来学会理事。

——鏑木さんが那須まちづくり株式会社の取締役に就任するまでの経緯を教えてください。

 十数年前に、那須町の株式会社森林ノ牧場のオーナーでアミタ・ホールディングス株式会社代表の熊野英介さんたちと持続可能な社会づくりについて話をしているなかで、2008年頃、株式会社コミュニティネットの社長であった高橋英輿さんや一般社団法人コミュニティネットワーク協会理事長の近山惠子さんらと知り合い、これらの組織の活動に共感しました。コミュニティネットは、高齢者住宅「ゆいま〜るシリーズ」を展開しており、地域に開かれた自立型高齢者住宅を企画運営するとともに、団地・駅前・過疎地再生事業などにも携わっていました。那須まちづくり広場からほど近い「ゆいま〜る那須」※もそのひとつです。
 当時、地元横浜市で居住福祉の拠点をつくりたいと思っていた私は、2010年にコミュ二ティネットと神奈川県の住宅供給公社が協定を結んだ若葉台団地などの再生に取り組んでいた後、これまでの活動をきちんと記録に残しておこうと、コミュニティネットワーク協会に置かれた研究室の室長になったのです。

※ゆいま〜る那須 入居者が働きながら暮らしたり、地域に開かれたゆいま〜る食堂を設置するなど、過疎地再生・地域創生にも一役買うユニークなサービス付き高齢者向け住宅。

——当時から那須まちづくり株式会社の構想はあったのですか。

 ゆいま〜る那須をプロデュースし、自身もそこで暮らしている近山さんは、国民年金だけでも入居できる高齢者住宅の必要性を説いており、2013年頃からゆいま〜る那須のネクストを考える集まり「ゆいま〜る那須2をつくる会」を続けてきました。当初はゆいま〜る那須の隣接地に「家賃の安い住居をつくろう」と図面まで引いたのですが、手頃な土地が見つかりませんでした。
 そのような時に那須町から廃校になった旧朝日小学校の利活用に係る公募がなされたのです。そこで私たちは校庭に住居も建てる「生涯活躍のまちづくり」という学校再生プロジェクトを提案したところ、2017年3月に事業者として選定されました。ここまで来たら、自分が責任をもってこのプロジェクトに取り組まなければならないと考え、その1年後に会社を退職。那須まちづくり株式会社の取締役になりました。
 2018年4月27日、「那須まちづくり広場」のオープン以降、私の活動の半分以上は那須になっています。

——公募に申し込んだ際の提案は、現状の那須まちづくり広場とほぼ同じだったのでしょうか。

 同じです。「生涯活躍のまち」をつくっていくのであれば、仕事がなくてはならない、そこに住む人が健康でなければならない。そのためには地域包括ケアの拠点になることが必要で、よろず相談室や配食サービス、高齢者の居場所づくりなどを進めています。また、ゆいま〜る那須と同一敷地内でデイサービスを運営している「あい・デイサービス那須」の所長である石井悦子さんとも連携して、訪問介護の仕組みを検討中です。
 さらに、統合医療の拠点をつくりました。統合医療とは、狭い意味では近代医療+ヨガやアロマセラピー、鍼灸、そして健康予防ですが、広い意味では、心のケアや食の問題まで含まれます。

——那須まちづくり広場の初期費用はどのくらいかかかったのですか。

 校舎の改修で約3,000万円。屋上の太陽光発電設置に約1,000万円をかけました。全て自己資金です。

——那須まちづくり広場の事業について教えてください。

 自主事業とテナントの2本立てです。
 自主事業としてはコミュニティカフェ「ここ」、野菜・加工品の委託や自然食品・洋服・小物の販売、セミナー・アート教室の開催、アートギャラリーや卓球室の設置などです。
 テナントは、こころと体の健康室、自立可能な介護改装店、共生の居場所、配食センター、音楽人形劇、音楽工房、(株)森林ノ牧場が乳製品加工品拠点として設けているアイスバーづくりの拠点(障害者の就労継続支援を組み入れている)などが入っています。
 そのほか、手仕事の部屋というのがあって、地域の方が手作業を行うことなどで小遣い程度の収入を得ています。なお、テナントの場合は自身で店内を改修するとしたので、那須まちづくり株式会社の支出は少なくて済みました。

——とはいえ、事業の収支を成り立たせるのは難しいのでは?

 現状だけでは厳しいので、住宅(サービス付き高齢者向け住宅、シェアハウス、グループホーム)の開設・運営なども組み合わせていく予定です。

——住宅はどこに建てる予定なのですか。

 不使用のプールの躯体を生かして、25世帯くらいの看取り可能なサービス付き高齢者向け住宅とシェアハウスを組み合わせた多世代の住まいを建てる予定です。そして、グラウンドには障害者が最期まで暮らせる新設のグループホームを考えています。

——こうした取り組みをすべて民間主導で行っておられるわけですが、この1年を振り返ってみていかがですか。ご苦労もあったと思います。

 今のところ順調です。毎月イベント満載で、よくここまでやれるものだとあきれられています。講演者によっては北海道や関東、関西からも来ていただいています。それによって人が集まるようになりました。
 たとえば3月6日に開催した統合医療シンポジウム「近代医療から統合医療へ〜生活者が主役のあたらしい医療」では、日本統合医療学会の小野直哉理事に“統合医療 社会モデル”について話をしていただきました。また、1月から3月にかけては毎月「はじめてのマクロビオティック〜一汁一菜〜」を開催し、マクロビオティックインストラクター室井智江子さんから、玄米ご飯とお味噌汁のつくり方、調味料の選び方について学びました。そのほか、映像を見て語る会やおやつ作りワークショップなど、高齢者から子どもまで多世代が集まってきます。
 ゆいま〜る那須では、もともと那須町エリア、白河エリアへの送迎車があるのですが、広場開設後は定時・随時で送迎の対応をしてくれています。
 ですが、那須まちづくり広場が活性化すればするほど、来たくても来れない方々の送迎が大きな課題になっています。公共交通としてデマンド型交通(利用者の事前予約に応じる形で運行する地域公共交通)とスクールバスしかない地域ですので、何とかしたいと我々も会員である那須高原クロスロード振興会(任意の那須町をよくするグループ)が那須町への補助申請をして採択され、「高齢者お出かけ支援事業」に取り組んでいます。

——那須町からは、どのようなサポートがあるのですか。

 補助金はないのですが、町の広報誌では必ず那須まちづくり広場のイベント案内などをしていただいています。

——たくさん視察があると思いますが、どんなところが多いですか。

 多くは自治体や社会福祉協議会の方ですね。遠くは千葉県の自治体の方も来られました。イベントやセミナーに参加され、ランチやお酒を楽しんでいただくような1日かけての視察もあります。

——どのような印象をもたれるのでしょう。

 民間で運営していることがめずらしいようで、「制度に縛られず自由にやりたい」と考える方がよく相談にこられますね。「すごいことをやられていますね」と驚かれることが多いです。でも、私たちはそんなにたいしたことをしているとは思っていませんので、「難しくないですよ」と言っています。3,000万円を10人で出資すれば1人300万円、100人で出資すれば1人30万円です。できそうな気がしませんか。
 地域が活性化し、安心して暮らしあえると考えれば、もっと踏み出してほしいです。見学された多くの方が「いいものを見て勉強になりました、けれども自分たちには無理」で止まってしまう。もったいないですね。
 私たちは、設計も含めてどのくらいのお金がかかって、どういう人たちに出会ったのか、といった情報も公開する必要があると思っています。ですが、そもそも自分たちで企画し、自分たちで運営するといった参加型の意味がわかりづらいのかもしれないし、ハードの部分だけ説明を受けても理解するのは難しいと思います。コミュニティネットワーク協会では地域プロデユーサー養成講座を開催して10年になりますが、那須まちづくり広場でも同じように人材育成をすすめていこうと思っています。

※地域プロデユーサー養成講座 まちづくりの担い手を育てるために(一社)コミュニティネットワーク協会が開催。住まい、福祉、しごとなど各分野の専門家が講義を行い、参加者も最終日に自らの企画を発表する。

——鏑木さんは東京と那須の二地域居住ですか。

 当初は那須でずっと暮らそうと思っていたのですが、コミュニティネットワーク協会の理事をしていることもあり、東京での所用がけっこうあるんです。たとえば、いま取り組んでいる交通システムの構築——那須まちづくり広場周辺地域の住民を対象に、白河、那須、那須塩原の3方面へ交通網を広げるというもの——を実現するためにはノウハウがある首都圏の団体と連携したり、国との調整をしたりすることが必要だからです。

——最後に那須まちづくり広場が目指すところを教えてください。

 持続可能な社会をつくることです。が、実現させるには、単に人が集まる場ではなく、そこに相互扶助が可能な新しいコミュニティのある生活が必要ですね。ですから、那須まちづくり広場に住宅ができ、地域包括ケアが機能することで、周辺の空き家も活用され、若い方々の移住促進と仕事が地域とつながっていき、そうしてはじめて「生涯活躍のまち」になると思います。

 これからは、人材育成が重要です。特に、地域のケアの仕組みをつくり、それを実践する人を育てたい。これからは、多世代、さらに外国人も含めた多文化な生涯活躍のまちづくりを目指して、邁進していきたいと思います。

(聞き手 芳地隆之)


 

単身男性も、もめごとも、大歓迎!——オープン 1周年を迎えた輪島KABULET®

石川県輪島市で始まったプロジェクト「輪島KABULET®」がオープンして1年が経ったことを記念し、 4月27日(土)に「みんなでつくる周年祭」が開催された。当日の午前中は断続的に雨が降り、 肌寒かったものの、昼過ぎのスタート時には、まるで図ったかのように太陽の光が降り注いだ。 市街地に点在する空き家を利活用するという生涯活躍のまちの試みは、 輪島市の人々にどんな変化を及ぼしているのか。以下、リポートする。

「ごちゃまぜ」には単身男性も

「輪島に赴任した当初、夜は灯りがなくて暗いからとても寂しかったんですよ。『これからの生活、どうしようか』と思っていました」
 周年祭の前夜、輪島KABULET®の拠点施設の入り口で若い男性から声をかけられた。最近、輪島分屯基地へ赴任した若き航空自衛隊の方だという。通りをはさんだ向い側にあるフィットネスジム「GOTCHA! WELLNESS WAJIMA」(ゴッチャ!ウェルネス輪島)で汗を流した後、拠点施設にある源泉掛け流しの天然温泉「三ノ湯・七ノ湯」に入りにきたところだった。
「だから、こういうところがあるのを知って、救われました」という彼だが、後ろを向いて、「ただあれは、苦手かな。ちょっと恥ずかしいかも」。
 あれとはゴッチャ!ウェルネス輪島のフィットネススタジオで、会員メンバーが笑顔で踊っているズンバダンスだった。このダンス系エクササイズは、サルサやヒップホップなどの曲に合わせてダンスの種類が変わる、バラエティ豊かな運動だという。
 フィットネススタジオの通り側は全面ガラス張り。反射をしない特殊な素材でできており、夜のまちなかでは内部の光が優しく灯っている。それまでは真っ暗なところだった。
 みんなが楽しそうに踊っているのを見て、航空自衛隊の青年は「あそこまでは、ちょっと(照れる)」というのだが、女性や子どもが多いなか、少し異彩を放つ中年の男性がいた。彼もまた単身赴任者。50代半ば。大手航空会社の空港整備士として能登空港へ転勤になったという。
「輪島KABULET®ができた当初、『福祉施設なら自分には関係ないな』と思っていたのですが、実際に来てみると、ぜんぜん福祉施設らしくなかったんですよね」
 拠点施設では障害者の就労継続支援事業や児童発達支援、放課後等デイサービス※などを展開しているものの、施設内は開放的で、どこからどこまでがどの事業をしている空間なのか、明確な区分けはない。蕎麦処「輪島やぶかぶれ」では家族連れや、中庭を挟んだ建物でデイサービスを受けた高齢者が食事をしており、その横を地元の小学生や障害児が行き来する。(社福)佛子園と(公社)青年海外協力協会(JOCA)が進める「ごちゃまぜ」は、地元のコミュニティに溶け込むのが子どもや女性に比べて苦手と思われがちの単身男性も違和感なく入っていける雰囲気をつくっていた。

※障害のある就学児向けの学童保育のようなサービス。

「一人で来ても誰かと知り合いになれるんですね。おかげでズンバダンスにはまり、地元の人に教えるまでになりました」。空港整備士の男性はうれしそうだった。
 ちなみにゴッチャ!ウェルネス輪島は幼児から高齢者まですべての世代が会員になれる。プログラムは筋力アップやダイエットから、障害者や高齢者向けのリハビリまでさまざま。障害者もインストラクターを務めており、ここも誰が会員で、誰がインストラクターなのか、まざっているのでよくわからない。

「ごちゃまぜ」はさらに進む

 輪島市の中心部に点在する宿泊施設には、観光客が喜ぶような入浴施設を備えていないところが多い。そのため宿の主人が宿泊客を「三ノ湯・七ノ湯」に案内するそうだ。そこで宿泊客は湯上りに「輪島やぶかぶれ」で地元住民とビールを酌み交わし、宿の主人もついでに一杯飲んだりしている。
 海外からの旅行者も増えているという。異国の地方都市にまで足を運んだ外国人にとって忘れられない経験になるだろう。観光名所巡りでは得ることのできない心地良さを感じ、リピーターになってくれるかもしれない。

途上国支援から地方創生へ

 「漆の里・生涯活躍のまちづくりプロジェクト」の一環として、ジョイントベンチャー「輪島KABULET®」がスタートしたのは2015年12月。それに先立って、同年8月には佛子園とJOCAが連携協定を結んだ。
 JOCAは元青年海外協力隊のOB・OGが中心となった組織である。開発途上国における支援活動の経験を積んで帰国した隊員が、国内の地域づくりに取り組む人材として各地に派遣されており、輪島KABULET®のスタッフを募ったところ、定員10名に対して40名が手を挙げたという。選考の結果、スタッフ10名とその家族を合わせた21名、ならびに佛子園の施設の建築を担ってきた株式会社五井建設研究所の若いスタッフが輪島市に移住した。
 市内のどこに拠点をつくるか。当初、輪島市が提案したのは海辺の「マリンタウン」という住宅用地だった。日本三大朝市のひとつである輪島朝市に近い観光スポットに隣接するエリアで、役場としてはここに新たな建物をつくって人が集まる場にとの希望があったという。しかし、佛子園とJOCAは却下。もうひとつの候補地として、マリンタウン近くの、能登半島の先端に向かう国道沿いに立つ大きな空き店舗も紹介されたが、そこもNG。佛子園の雄谷良成理事長(現在はJOCA会長ならびに生涯活躍のまち推進協議会会長を務める)と一緒に、当時、市内を歩き回ったJOCA事務局長の堀田直揮さんは、「地域の拠点となるには、昔から人々が行き交うところでないと難しい。時代を経てつくられていったまちのつくりに逆らったら、人は集まらないんです」。
 雄谷理事長がしばしば口にするのは、「まちづくりはイベントではなく、日常である」。マリンタウンで目立った催しをやれば、住民以外にも観光客が集まるかもしれない。しかし、それは「ハレ」であって、「ケ」ではない。1回限りの打ち上げ花火で終わってしまうおそれがある。
 昔の面影が残る風景を生かしながら、新しく住民が集う場として佛子園とJOCAが選んだのは、まちなかの住宅が密集する一画だった。
「ぼくたちが選んだエリアは、かつて住民同士の触れ合いがあった市街地だった。けれども、いまでは人が亡くなったり、出て行ってしまったりで、ひっそりとしていました。ならば、すでにあるもの=空き家になってしまった建物を改修して、かつての賑わいを取り戻そうと考えたのです」(堀田さん)
 空き家は全国で増え続けている。総務省『平成25年住宅・土地統計調査』によれば、820万戸(住宅総数は6,063万戸)。約7件に1件は空き家という計算だが、2018年6月に発行された野村総合研究所『2030年の住宅市場と課題』では、2018年時点の空き家は1,026万戸と推測されている。
 とはいえ、輪島市では、空き家の改修となった際に、対象となる建物の建蔽率(敷地面積に対する建築面積の割合)や容積率(敷地面積に対する建物の延べ床面積の割合)が足りないと国土交通省から指摘を受けたり、耐震基準を満たしていなかったがために補強工事が必要であったり、連絡先のわからない地権者を探したり、とクリアすべきことは少なくなかった。古い民家は確認申請していないものも多く、これを再利用するには、建築図面を一から作成して建築確認申請を行わなければならない。そのため新築よりもコストがかかることもあったが、それでも空き家改修の方針を曲げなかったのは、昔の面影を残しながら、新しいものをつくるという方針ゆえである。

輪島・和太鼓 虎之介の皆さんによる演奏

地域に入り込む

 建物もさることながら、まずは人。地元の住民に輪島KABULET®プロジェクトの意義を理解してもらわなくてはならない。まちづくりの担い手はJOCAや五井建設研究所のスタッフではなく、地元の住民である。彼ら、彼女らが自ら動けるように、スタッフはプロジェクトを説明したり、住民の困りごとなどを聞いたりと、地域を回った。
 スタッフの一人、有泉仁美さん(現在は広島県安芸太田町のJOCA支所長)は、地元で配食サービスをしていたものの人手不足などの理由から、事業をやめようとしていた業者から仕事を引き継いだ。そして毎日のように自動車で高齢者の家に食事を届けたという。
「中山間地は道路が市街地と一本でつながっていることが多いので、行っては戻りという移動の繰り返しが多くて大変でした。でも、そこには食事を待っている高齢者がいる。そう思って毎日数十km、配食用の自動車を走らせました」
 現在、輪島KABULET®の現場責任者として働く原正義さんはじめスタッフは、地元の高齢者や障害をもつ人、そしてその家族へのヒアリングを重ねた。そして、プロジェクトが計画している就労継続支援を組み入れた天然温泉や食事処、生活介護や放課後等デイサービス、高齢者デイサービスや訪問介護ステーション、健康増進のためのフィットネス、さらに拠点施設から少し離れた障害者のグループホーム、輪島川の向こう側にできるサービス付き高齢者向け住宅などをどう運営していくか、について繰り返し説明した。障害のあるなしで区別することなく、たとえば高齢者と障害者は一緒にいることでお互いが元気になるという佛子園の経験を紹介しながら、相手の要望を取り入れ、理解を得ていった。原さんは、「福祉の側からの説明ではなく、まちづくりの視点からの方が地域に入りやすかった」という。

事業化のためのそろばん勘定

 輪島KABULET®はひとつの建物を指すのではない。各施設が活発になれば、輪島KABULET®のスタッフも利用者との行き来が頻繁になり、途中で地元の人々と行き交うので、自然と顔見知りが増える。点と点が結ばれ、それがまち全体を包み込む面になっていく。輪島KABULET®とは地域のもつ機能を表す総称だ、といっても、わかりづらいかもしれない。しかし、「わかりづらさ」には理由がある。福祉事業を成り立たせるための障害者福祉と高齢者福祉などを組み合わせての「そろばん勘定」があるからだ。
 老人福祉や介護関連の事業者の倒産件数はここ数年高止まりしている。2018年のそれは106件(2019年1月11日付『東京商工リサーチ』リポートより)。3年連続で100件を超えた。深刻な人手不足や、介護保険報酬への過度な依存が主な理由である。後者では3年に1度行われる見直しによる減額が、経営に悪影響を及ぼしている。
 障害者の就労継続支援事業に目を向けると、事業所の経営の行き詰まりから、2017年の「障害者就労継続支援事業等」倒産は、過去最多の23件に達した。「就労継続支援A型事業所」では、倒産による障害者の大量解雇も起こっており、主な事例では、一般社団法人あじさいの輪が事業不振で2017年7月末に事業所を閉鎖。9月に民事再生法の適用を申請し、障害者約220人を解雇。一般社団法人しあわせの庭が事業不振で破産を申請。障害者112人を解雇。株式会社障がい者支援機構が事業拡大に資金繰りが伴わず事業所を閉鎖して破産を申請。障害者154人を解雇している(2018年5月10日付『東京商工リサーチ』リポートより)。
 障害者に単価の安い軽作業をさせるだけで十分な事業収益を上げられず、公的補助に頼り切ったことのほかにも、障害者の労働時間を水増しして助成金をだまし取るといった悪質なケースもみられる。堀田さんは、「事業運営においては、売り上げが上がらないと作業量が減る→障害者が来る回数が減る→収入の割合が低下する、という悪循環に陥りがちです。だから、たいした仕事がなくて、障害者が時間をつぶすようなことが起こったのでしょう。ただ、一方で売り上げを上げようとして障害者の作業がハードになると、彼らは来なくなってしまうので、仕事の量と質のバランスが重要なんです」。
 就労継続支援の事業所が立ち上がっても、急に利用者は集まらない。利用者が事業所の乗り換えをあまり好まない、あるいは新しい事業所が自分に向いているのか向いていないのかを思案しているからだ。新たに事業所を立ち上げる際には、どのくらいの利用者が見込めるか事前のニーズ調査が必要だという。

拠点にある三ノ湯、七ノ湯

トラブルは相互理解のチャンス

 そうした準備やスタッフの苦労が実って、2018年4月27日に輪島KABULET®はオープンし、1周年を迎えることになった。その日の午前、高齢者の夫婦が慣れた感じで拠点施設にやってきた。
「むかしはほとんど人が歩いていなかったけれど、いまは人が集まるようになって。私ら毎日、温泉に来ています」とご主人が言う。「ありがたいね」とは奥様。ちなみに天然温泉「三ノ湯・七ノ湯」の一般利用料は大人(中学生以上)450円、中人(小学生以上)140円、小人60円だが、周辺に住む209世帯は無料で利用できる。入口横には対象となる全員の入湯札が旧町名で町内会ごとに掛けられており、利用の際は札を裏返す。管理上の理由だけではなく、地元住民にとって顔見知りが来ているか、いないかを一目瞭然にするためだ。
 オープンしてから1年。輪島KABULET®を訪れる人は毎月約1万人(年間約12万人)を記録した。人口約2万8,000人のまちに、それだけの人々が行き来しているのである。
 周年祭の1週間ほど前、雄谷理事長に現場から連絡が入った。住民自治室で健常児が障害児に水をかけたのだという。親御さん同士ももめたそうだが、雄谷理事長は、周年祭の来賓として訪れた輪島市の坂口茂副市長にこう語った。
「でも、そこで『もめごとが起きないように障害児と健常児がいる空間を分けよう』となってしまっては、行政の縦割りと一緒。本当の意味での問題解決にはなりません。障害者も健常者も一緒に暮らすためにはどうしたらいいのか。今回はそれを考えるいい機会になったと思います」
「ごちゃまぜ」は綺麗ごとで済まないところもある。違う人間同士が同じ場所にいれば、もめごとは避けられない。水をひっかけるのはよくないが、かけた方を一方的に叱り、「障害者にそういうことをやるのはよくない」という説教をしたら、健常児は「相手が障害者だからやってはいけなかった」と思ってしまうだろう。それでは両者の間の壁を高くするだけだ。
 大事なのは、そういうトラブルについて、周りの大人も巻き込んで一緒に話し合うこと。それによって互いの距離はもっと縮まるだろう。雄谷理事長が「もめごとが起きてもよい」と言ったのは、そういう機会が生まれたと考えるからだ。これもまた輪島KABULET®が1年間続けてきたことの「成果」なのかもしれない。