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できることとできないことを分けて、できることに集中しよう ~JOCA東北のオープニングセレモニー~
岩沼生涯協力隊の活動札。青年海外協力隊は途上国の支援をして終わりではなく、その経験を日本で活かすことも任務のひとつとしています。だから「生涯協力隊」。岩沼生涯協力隊は地域の方々に中心となって担っていただきます。地域での支え合い、助け合いは、いつでも、どこでも、だれとでも。
どんな場所なのか気になっていた
さる3月27日、(公社)青年海外協力協会(JOCA)の東北支部の新しい拠点施設「JOCA東北」がオープンしました。2階の食事処「やぶ亀」で食事をしに来られた、岩沼市で民生委員を務めているという女性3人は感慨深げでした。
「2014年だったかしら、私たち、Share金沢を見に行ったんです。『こういうところが岩沼市にもあればいいなあ』なんて話していたんですよ。ちょうど、岩沼市とJOCA(青年海外協力協会)さんとの間で、プロジェクトが決まったころでした。それがいまこうしてできたなんて不思議な気持ちです」
この場をどんな風に活用していくかを考えるのはこれからでしょうが、男性の独居高齢者を地域へ出てくるようにするにはどうしたらいいのかは、ここ岩沼市でも民生委員の方々の悩みのひとつだとか。
「女性に比べると、男性は気軽に外に出たりすることが少ないですからね」
1階の遊具のある部屋で娘さんが遊ぶ姿を見守っていた若いお父さんに声をかけると、「ここに何ができるのか、ずっと気になっていた」そうです。
「私は(宮城県)松島町出身なのですが、仕事の関係で岩沼市に引っ越してきました。勤め人をしていると地域にあまり知り合いはできないんです。だから子どもを通して他のお父さんたちと仲良くなれればいいですね」
こちらが、ここは保育園だけでなく、障害者の就労支援や高齢者のデイサービスの場になっていること、そしてスタッフの多くが青年海外協力隊経験者であることを伝えると、驚いた様子で、
「そんな人たちが働いているんですか! すごいなあ。スタッフの人に『どこの国にいたんですか』って聞いてみます」と目を輝かせていました。
やらかしてしまったら、すみません
「青木君、君は派遣国、どこだったの?」「アフリカのケニアです」「それもはじめに伝えなくちゃ。ぼくたち元青年海外協力隊員は帰国してしばらくすると、自分から(派遣国を)言わなくなってしまうんですよね」。
同日13時から始まったオープニングセレモニーで主催者挨拶に立ったJOCAの雄谷良成会長と、司会を務めた青木淳さんとのやりとりです。それから雄谷会長は、
「ぼくは昭和61(1986)年度2次隊で4年間ほど中米のドミニカ共和国で活動してきました。青年海外協力隊は毎年1,000人くらいが任務を終えて帰国します。彼ら、彼女たちは、『途上国での支援活動をしてきたなんてすごいですね』などと言われますが、正直申し上げて、社会適応できないタイプも多い。ただ、『何か困っていることがあれば駆けつける』人間でもあるわけで、地域に出かけていっては、いろいろ粗相をすることもあると思います。ですからいまのうちにお詫びをしておきます(笑)」
雄谷会長は日頃から、「『青年海外協力隊が来てくれたら安心。地域がよくなる』と地元の方々に思わせるようなことを言ったり、やったりしてはいけない」と念を押します。そして、「あくまで主人公は地域の人々。ぼくたちは黒子に徹する。そして、地域づくりはうまく行かないのが当たり前で、その都度じたばたしなから解決していく、その繰り返し。みんなが満足するユートピアはないんだ」とも。
ユートピアを思い描くことは大事なことですが、危険な面もあります。というのも、理想の社会はかくあるべしとしてしまうと、その実現のために人々に我慢や沈黙を強いてしまう、未来をもって現在を断罪するようなことが起こりうるからです。
むしろ、私たちは、「自分一人の想像力なんてたいしたことはない」と心得、日々悪戦苦闘していくことで、これまで考えもつかなかったことを目にできるのではないでしょうか。
来賓として祝辞を述べられた西村明宏衆議院議員は、議員になる前からJICA(国際協力機構)と青年海外協力隊を応援してきたそうです。そして、
「途上国の地に根を張って、子どもの教育や農業支援など、様々な活動に取り組んできた経験を日本で生かしていただきたい」とエールを送られました。
復興から創生へ
JOCAが岩沼市に関りをもつようになったのは10年前の東日本大震災のときでした。あの日の2日後、2011年3月13日には被災地に多くの青年海外協力隊経験者が現地に入りました。津波で甚大な被害を受けた岩沼市でJOCAは医療支援や支援物資管理、拾得物管理などの支援からスタートし、同年6月には岩沼市と仮設住宅サポートセンター運営にかかる協定を締結。翌月には仮設住宅入居者の支援拠点である「里の杜サポートセンター」に業務調整員と国内協力隊員が着任します。そして仮設住宅でのコミュニティづくりを通じ、入居されている人々の孤立を防ぐ活動をしてきました。その結果、仮設住宅で一人も自死者を出さなかったことが、岩沼市とJOCAが連携しての岩沼版「生涯活躍のまち」構想へとつながり、2015年8月から「IWANUMA WAYプロジェクト」としてスタート。それから6年の歳月を経て、JOCA東北の拠点開設にいたったのです。
来賓として登壇された菊地啓夫・岩沼市長は、
「震災発生から10年。ここまで来られたのも、市民の努力はもとより、JOCAのサポートがあったおかげです。それが生涯活躍のまちにつながりました。本市は少子高齢化が進むなかで、誰もが安心して暮らせるまちづくりを目指しており、それにJOCAが貢献してくださると思っています」と期待を寄せられました。
拠点オープン前の2月と3月、岩沼市では東日本大震災の余震である震度5の大きな揺れが起こりました。そのため建物の一部も損壊し、簡単に「復興した」とはいえないなかでの出発です。しかし、雄谷会長は、
「これまで支援活動を続けきたぼくらも大きな地震を経験しました。これからは(JOCAと住民が)支援する、されるという関係ではなく、ともに復興、創生に向けて歩んでいく段階に入ったことを実感しています」
来賓として最後に壇上に立たれた内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局の原田浩一内閣参事官によれば、「昨年10月の創生本部事務局の調査によれば、全国で421の地方公共団体が生涯活躍のまちの推進意向を示している」とのこと。
「私はかつてJICA長期専門家としてミャンマーに赴任し、復興庁にも出向して岩沼市も訪れたことがあります。そんなご縁も感じています」という原田参事官は、被災沿岸地区で羊を飼育している「いわぬまひつじ村」などの歩みにも感銘を受けたそうです。
コロナ禍から学び、さらなる進化へ
困難は地震だけではありません。世界を席巻している新型コロナウイルスの感染拡大という試練にも直面しています。
「人と人が距離をとらなくてはならない時代ですが、コロナ禍において、私たちは、たとえ『ひとりが好き』という人間でも、ひとりでは生きてはいけないことを痛感しました。だからこそ、障害のある方、あるいは認知症の方、また日本に来ている外国の方などと一緒に乗り越える、そのために元青年海外協力隊は自分たちの経験を生かせると思います」という雄谷会長は、「自分たちがコントロールできないことを心配するのでなく、自分たちができることを丁寧に積み重ねていく大切さ」を強調しました。
雄谷会長の出身高校(星稜高校)の後輩に元プロ野球選手、松井秀喜さんがいます。彼はニューヨークヤンキースの選手だった2006年、レフトのライナーを捕球した際、左腕の手首を骨折するという大きなアクシデントに見舞われました。
バットを振ることができない状況に置かれた松井さんが自分に言い聞かせたのは、「自分がコントロールできることとできないことを分けて、できることに集中する」だったそうです(松井秀喜著『不動心』新潮新書)。そして、手術を終えてからのリハビリの期間を「シーズン中に打撃改造するチャンス」ととらえ、骨折する前の状態に戻そうとするのではなく、骨折を踏まえてさらに進化しようと考えたといいます。そして同シーズンの秋に復帰した松井さんはいきなり4安打を放ちました。
それから3年後の2009年、ヤンキースがワールドシリーズを制覇し、松井さんはMVPに輝きます。
松井さんの考えに倣えば、コロナ前に戻るのではなく、コロナを踏まえて進化する。
「コロナ禍だからこそ、それ以前よりもバランスよく食べ、適度に運動し、しっかり睡眠をとる。寝る前にはスマホをいじらない。そうすることでぼくたちはコロナ禍前よりも健康で元気になる」(雄谷会長)。それをまずはJOCAのスタッフ自身が実践していく。オープニングセレモニーの後、雄谷会長はスタッフに向けてこうも語っていました。
「オープンから数カ月は訪問する人は多い。でも、これはご祝儀。問題はそれから。この1年間を回すことで施設の真価が見えてくる」
JOCAのこれまでにない大規模のプロジェクトに注目です。