11月30日、輪島市の鳳至、門前にある仮設住宅団地でコミュニティセンターの起工式と地鎮祭が執り行われた。能登半島地震における支援として、仮設住宅だけでは不十分。引きこもりがちな高齢者がふらりと出かけられ、他の住民の方々と交流し、身体も動かして、銭湯でゆったりしたあとは、軽く飲食もできる。そんな空間=コミュニティセンター(コミセン)が災害関連死を防ぎ、住民が主体となったまちの再建を促す。社会福祉法人佛子園および公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)は発災直後から訴えてきた。国に、県に、市町に粘り強く働きかけたことで、2025年春以降、輪島市で4カ所、能登町で2カ所が順次オープンする予定である。
 コミセンの実現は、佛子園とJOCAが1990年代末から現在まで能登半島で地域に根差した福祉事業を続けてきたからこそであるが、歴史を1世紀近く遡ると、コミセンの原型のような場が東京にあった。今年の9月に当協議会が開催した「能登半島地震支援セミナー(オンライン)《仮設住宅を考える》」での、東京大学大学院・大月敏雄教授の講演「能登半島地震のための仮説住宅考」で紹介された。住まいは住宅だけで完結しない。その当たり前のことが当たり前に行われたと大月教授は語るが、なぜそれができなくなったのか、なぜ能登半島で復活されようとしているのか。同教授ほか、セミナーに登壇いただいた佛子園・輪島KABULETの寺田誠・施設長、株式会社kymaの土用下淳也・代表取締役の講演録をあわせて読んでいただくと、その理由が見えてくる。