今号に寄稿いただいた社会福祉法人もやい聖友会理事長である著者が、3つの法人、22の事業所を運営するにいたるまでの来し方を振り返った本である。生まれるときの障がいで周囲からの心ない態度や言動に傷ついた子ども時代。それでも下級生に声をかけて一緒に登校し、文化祭やクリスマス会などを開催する活発な面があった。決して裕福ではない家庭だったので、大学の学費や生活費は50種類以上のアルバイトで捻出。夫とは学生結婚で出産し、子どもを大学に連れて講義を受けたり、実験を行ったりすることもあった。
 自分の置かれた状況でいかにベストを尽くすか。目の前にある壁を見て、心が折れるのではなく、どうやって乗り越えるか、穴を開けるのか、迂回をするのか。解決策を考えてきたことが、著者の経営に引き継がれているのだろう。
 勤務医である夫の転勤先だった北九州市で、知り合いがいないなかでの子育てに孤独を感じながら、それではいけないと自ら地域に入っていき、やがて北九州を子どもたちが故郷と思える場所にしようと決意。夫が転勤や異動をしなくて済むようになるには、ここに診療所を開設すればいい。自分の足元からスタートして、自分を取り巻く環境を変えていくのが著者のやり方だ。
 もやい聖友会が運営する施設のひとつである特別養護老人ホームは、かつて八幡製鐵所の社宅があった土地である。建物を垣根で囲むことなく、地域の人が敷地内を通って、東側の住宅地と西側の商業地域を行き来できるようにしたのも、特養が入所者にとって人生における住まい方のひとつであるにすぎず、入居者である前に地域の住民という考え方が基本にあるからだ。施設のなかにFMラジオのスタジオをつくって認知症の高齢者がDJをやるのも、法人内で劇団を結成し認知症を題材とした舞台で当事者が演じるのも、認知症は人間が年齢を重ねることで生じる不都合のひとつにすぎないことを多くの人に理解してもらうため。子ども食堂は、そもそも「食を通して多世代が気兼ねなく言葉を交わし顔見知りになる仕組みを探して行ったら行きついた」。ラジオも、演劇も、子ども食堂も、それありきではなかった。
 ごちゃまぜもそう。著者がこれまでの人生において直面した困難を乗り越える手段が「ごちゃまぜ」だった。この本、あなたがこれから生きていく上で、何を大切にすべきかを考え、実践するための書にもなりそうだ。(芳地隆之)