先週のNHK「ニュース9」で東京大学先端科学技術研究センター准教授・小児科医の熊谷晋一郎さんへのインタビューが放送されました。熊谷さんはそこで、現在のコロナ禍にある私たちはみんなが障害者ではないかと述べられました。

脳性まひで電動車いすを使っている熊谷さんは常々「自立とはどんなものにも頼らず生きていることではなく、普段の生活で依存先をたくさんもっていることなのだ」と言っています。

東日本大震災のとき、熊谷さんは職場である5階の研究室にいて逃げ遅れてしまいました。エレベーターが止まってしまったからです。他の人は階段やはしごを使って建物を出た。彼らには5階から逃げる際に3つも依存先があったのに、自分にはエレベーターしかなかった。それが障害の本質だというのです。

健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない、と多くの人は考えがちですが、本当は、世の中のほとんどのものが健常者向けにデザインされているおかげで、健常者はその便利さに依存しているに過ぎません。

ところが今回のコロナ禍は、マスク着用、自由な移動の抑制、人との接触の回避など健常者の依存先を減らしている。上記の例でいえば、5階で階段もはしごも使えなくなった状態。つまり健常者も障害者になっているというのが熊谷さんの発言の趣旨なのです。

この先、私たちはどこへ向かうか。人々が再び依存先を増やそうとするあまり、他者を排除する風潮が強くなるのではないか、と熊谷さんは懸念していましたが、一方でみんなが連帯するチャンスだと期待を寄せています。

表記は『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく』(NHK出版生活新書)の裏表紙。熊谷さんと共著者の綾屋紗月さんの写真です。綾屋さんも熊谷先生と同じ東京大学先端科学技術研究センターで特任研究員を務めています。ご自身にはアスペルガー症候群という障害があるそうです。世の中にあふれる刺激を細かく、大量に、等しく受け取ってしまうというもので、たとえば電車のなかで、人の服装、しぐさ、音、電車の揺れ、などなどを同時にばらばらのまま知覚するため、情報の全体像を見失うという。「つながらない身体のさみしさ」を語る綾屋さんに対して、脳性まひの熊谷さんは身体に力が入ってぎゅっとちぢこまり、各部位がバラバラに動いてくれない「つながりすぎる身体の悲しみ」について説明しています。

2人が進めているのは当事者研究です。障害や病気のある本人が、仲間の力を借りながら、症状や日常生活上の苦労など、自らの「困りごと」について研究するというもので、同書では2人が、子どものころにどんな体験をして、その後、どんなことを考え行動しながら、いまにいたったのについて語っています。そして、読み進めていくうちに、これは当事者だけの話ではないと思えてくるのです。

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