3月4日、石川県金沢市にて株式会社五井建築研究所の代表取締役会長、西川英治さんの告別式が行われました。会場1階ではビートルズの曲が流れるなか、約50年に及ぶ建築家としての仕事が年代順にパネルで並べられ、最後の約10年間は同じ石川県で福祉事業を行っている社会福祉法人佛子園の拠点であるShare金沢やB’s行善寺、青年海外協力協会(JOCA)とのJVで展開している輪島KABULETなどが建築模型とともに紹介されていました。

佛子園の雄谷理事長がShare金沢の設計を西川さんに依頼した際、こんなことを言ったそうです(以下は山崎亮著『ケアするまちのデザイン 対話で探る超長寿時代のまちづくり』医学書院より)。

「はっきり言って、僕は建築なんかなくてもいいと思っている」

その真意は、そこに出入りする人々がさりげなく触れあい、おのずと会話が生まれるような空間をつくる、そのためには建築が自己主張すべきではないというところにあるのですが、施主に「建築なんていらない」といわれた西川さんはどうしたか。五井建築研究所は石川県では業界トップクラス、西川さんご自身も功成り名を遂げた方です。「素人に何がわかる」とその場で席を立ってもおかしくはありません。ところが西川さんは、

「いま考えていることを全部崩さんとだめやなと思った」

2人を引き付けたのは『パタン・ランゲージ 環境設計の手引き』(クリストファー・アレクザンダー他著)という本でした。同書は、「7000人のコミュニティ」「世帯の混合」「住宅クラスター」「どこにも老人」「仕事コミュニティ」「つながった遊び場」「動物」「個人商店」「見えない駐車場」「母屋」「小さな人だまり」「自分を語る小物」など253のまちの要素を挙げ、その象徴的な意味を綴ったもので、雄谷理事長がそれを熟読していたことを知った西川さんは、「ハードをつくるというよりも、生活のなかの一つひとつの場面をつくっていくことが本当のまちづくりだと気づいた」というのです。

それからは、Share金沢では低層の住戸の間を通るけもの道をつくったり、B’s行善寺では「高齢者の腰が曲がると目線はどうなるのか」を考えて空への視界を広げるために電柱を地中に埋めたり、建物の軒を低くしたり、輪島KABULETでは、介護、空き家、移動などの問題をシェアするというコンセプトをもって、これまでの風景を変えないまちづくりに取り組んだり、2人の協働が行なわれました。雄谷理事長が建築外の視点から、西川さんが福祉外の視点から、お互いの領域に少し入り込みながら、「ごちゃまぜ」のまちづくりが進んでいったのです。

その成果と意義を西川さんは母校である神戸大学工学部建築学科での博士論文『地域居住福祉施設群の建築設計に関する実践的研究~ごちゃまぜ理念に基づく地域コミュニティ再生プロジェクト・Share金沢・B’s行善寺・輪島KABULETの事例から~』に書きあげます。しかし、その最中に重い病気、膵・消化管・肺など全身のさまざまな臓器にできる神経内分泌腫瘍を患われました。

それでも西川さんは、ご自身が五井建築研究所のスタッフとともに手掛けられたJOCAの広島県安芸太田町のJOCA×3の施設の開所式や駒ケ根市本部のGOTCHA WELLNESSの地鎮祭にも足を運ばれました。しかしながら、ドクターからホスピスを勧められた際、 雄谷理事長にご自身の葬儀の委員長を務めてほしいと依頼をします。そして祭壇には、かつて雄谷理事長とブータン王国を訪れた後、帰りのトランジット先であるタイで撮った写真を使うこと、祭壇のデザインと設置は五井建築研究所のスタッフに任せること、葬儀会場に飾る花はB’s行善寺で障害者の人たちが働く花屋さん「B’s Flower」に頼むこと、そして葬儀は「宗教を超越したごちゃまぜ」にすることなどをお願いしたそうです。

「故人の遺志に従い葬儀は無宗教で」というケースはあるものの、「超越」とはどうすればいいか。雄谷理事長は、参列者に供花か焼香のどちらかを選択してもらうようにしました。そして祭壇には五井建築研究所のスタッフによって、ピンクの花をバックにした西川さんの写真の背後に、無数の様々な白い花々が飾られました。

こうしたことすべてを西川さんは、雄谷理事長とのLINEで伝えていたのですが、その際のテーマはときに深く、たとえば「宗教を超越したごちゃまぜ」について、雄谷理事長は『ダライラマ宗教を超えて』という本を読み直し、同書の一部を引用しています。

「現代、多くの人が宗教を信じていません。また、グローバル化の時代における多文化社会にあって世界の民族が極めて密接に関わるようになってきています。このような時代にあって、なにかひとつの宗教に立脚した倫理は、ある種の人々には納得できても、万人にとって意義あるものとはならないでしょう。今日の道徳の欠如という問題に、なんらかの宗教に基づく回答を与えても普遍的な、適切なものとはなり得ません。今日の私たちに必要なのは宗教的源を持たない倫理への切り口であり、宗教を信じるもの、信じないものの双方に等しく受け入れられる世俗の倫理なのです」

死を免れないことへの怖さ、悲しさ、悔しさ、諦めなど、ご本人には様々な感情が沸き上がったことだと思います。西川さんの死を受け入れることを覚悟したお2人の、それでも世界の未来について考える往復書簡のようなやりとりからは、苦悩や困難をすべて抱え込んだ上での静謐さ、そして崇高さが伝わってくるようでした。

ちなみにブーダン王国で2人は、国内のあらゆる花を集めた公園をつくりたいという依頼を国王陛下から受けました。その際に国王陛下から「公園というハードをつくることはできるが、それを維持するためにはあらゆる国民が参加するような場にしたい。どうすればいいか」という趣旨の質問を受けた際、西川さんはこう答えたそうです。

「陛下をはじめ、みなさんは50年後のこの公園を想像できますか? これから植える木々がどう育っていくかを考えながら運営していってはいかがでしょうか?」

葬儀会場の1階の展示場の最後は「西川語録」が紹介されています。どれも味わい深く、表題にそのひとつを使わせていただきました。

西川さんは2月3日、雄谷理事長宛にこう記しています。

「考えますとこの10年本当に楽しかったですね。同じ志をもち一緒に仕事をできたことは、この上ない幸せでしたし、私の人生の最大の誇りでもあります」

謹んで西川さんのご冥福をお祈り申し上げます。