香川県三豊市に本社を置く産業機械メーカー、株式会社イナダは、地域に根差した事業を基本としながら、アジア諸国にも生産拠点を広げています。2014年12月には、高性能のハイテク膜を使用し、川や池の水を安全な飲み水に変えるアクアキューブを地域企業との共同で開発。災害時に避難所などに生活用水を供給できることから、独立行政法人国際協力機構(JICA)の中小企業海外展開支援事業に採択されました。同社の稲田覚会長のもっとも大事にしているのは人を育てること。地方創生においてもそれを最重要課題とみています。

株式会社イナダ 取締役会長 稲田 覚(いなだ さとる)さん

地域のニーズに応えるのが中小企業
 弊社は1918年に創業しました。私の祖父である稲田義虎が農作業の省力化のために農業機械の製造・販売を始めたのですが、当初は農機具ではなく、農器具と呼ばれていました。鋤、人力脱穀機、あるいは牛や馬を使うなど、エンジンという動力がついていなかったからです。クボタやヤンマーなどが農機向けのディーゼルエンジンの小型実用化に成功したのは1930年代でした。
 戦後は食料難の時代が続きました。いわゆる外地から帰還した人々が全国各地で開墾を始めたことで、1960年代までは農機具がよく売れました。しかし、高度経済成長以降、ホワイトカラーが増え、国の政策が米の生産調整や離農の援助・促進へと転換していったことで、農機具を買う農家自体が少なくなっていきました。弊社は1970年末のころ、自社の技術を運搬車両に転換していきながら、香川県高松市に本社をもつ建機メーカー大手のタダノ向けにクレーンパーツを供給するようになりました。
 タダノへのサプライヤーとなってから、弊社における農機具のシェアは低下しましたが、東南アジア向けには出しています。発展途上国や新興国の農業は日本よりも30年くらい後を追っている。日本は世界でも卓越した農業技術を発展させてきたので、現地へ行くと「この国の現状は日本の何年前のような段階だな」とわかるのです。それに合わせて製品を供給する。量産を目指す大手農機メーカーにはできません。
 祖父は生前「中小企業であり続けよ」と言っていました。英語でいうhuge、large、medium、smallは横並びですが、日本語でいう大、中、小は縦のライン。日本ではまずは大企業があって、中小、零細企業がその下請けになるという関係になりがちです。祖父は「中小企業は大企業のためにあるのではない。地域の人のためにつくられたのだ」という信念をもっていました。
 大企業は市場の最大公約数をターゲットにします。マーケティングをして商品を開発し、完成したらコマーシャルで全国に展開する。一方、われわれのような中小企業は農家の困りごとを聞いて、「こういうものをこのくらいの価格で」という要望を受けて製品をつくる。100人に1人が買ってくれるような市場でモノやサービスを提供するのです。「これはたくさん売れる」というようなものを開発しても、大企業の資本力と営業力でシェアを奪われてしまう。だからニッチなものを選別して生き残っていけと祖父は言っていました。それを実践することで、お客さんと顔の見える関係を築いていきました。

自社の事業を超えて
 現在、高麗人参スプラウト事業を展開中です。長年、交流を続けてきた韓国南部の慶尚南道陜川郡との間の新しいビジネスです。私は三豊市国際交流協会の会長、高瀬茶業組合(三豊市高瀬町)の統括本部長も務めており、同地から輸入した小さな根を高瀬茶業組合が水耕栽培で育て、三つ葉に似た若芽が育った段階で出荷します。高麗人参はサポニンの一種であるジンセノサイド(ストレスへの抵抗力を高め、自律神経の副交感神経を刺激する効果がある)を含む、韓国で広く親しまれている健康食品です。しかし、根を食用とする高麗人参は栽培に6年はかかります。一方、スプラウトであれば4週間で出荷できる。しかも葉と茎には根よりも多くのジンセノサイドが含まれていることから、現在、出荷の6割が東京の和食やフレンチ、イタリアンの店向けになっています。
 高瀬町は茶の栽培面積が県全体の8割を占めますが、近年は生産者の減少で生産量は減少傾向にあります。現在、農家の副業や個人の起業に向けて、高麗人参スプラウトの6次産業化も同時に進めており、それを漬け込んだ醬油や米酢、乾燥粉末をナツメやザクロのペーストに練り込みスティック状にした「実のり」などの商品の発売を始めました。

地方の課題は人が足りないこと
 地域密着で事業をしてきた者からみると、10年前に地方創生が始まった際、「何をいまさら」という印象を拭えませんでした。というのも、地方では30~40年前から、人口減少による人材不足、後継者の不在という問題が想定されていたからです。
 地方創生の最大の課題だと思います。現在、公益財団法人国際人材協力機構(JITCO)が外国人技能実習生、特定技能外国人などの受入支援機関となり、企業連合事業協同組合(EUC)がその窓口として組合員である企業へ派遣しています。しかし、一定年数は転職できなかったり、能力に応じた賃金体系が整備されていなかったり、あるいはハラスメントや失踪など、問題があることも指摘されています。ところがそれらは受入企業と技能実習生との間で解決すべきものとされているのが現状です。これでは外国の優秀な人材は日本に来ません。アジアの受入国のなかで、日本が韓国、台湾、シンガポールの後塵を拝しているのは、そこに原因があるのではないでしょうか。今後は自治体が担当部署を役場に配置するなど、受入体制を整えるべきだと思います。
 弊社が外国人人材を受け入れたのは1970年代後半~1980年代前半でした。フィリピン政府およびマレーシア政府から派遣された研修生と寝食をともにしていました。彼らは自転車通勤をしており、途中で地元の人に会うと、「おはようございます」と元気に挨拶していました。そうすると「あなたはどこから来たの?」と会話が生まれ、なじみになっていきます。あるとき研修生が「矢野さんのところでクリスマスパーティに呼ばれました」というので、「矢野さんてどこの人?」と尋ねると、通勤途中で知り合った人だという。そこでぼくが車で矢野さん宅まで連れていって、「うちで働いている〇〇です。よろしくお願いします」と頭を下げると、「ああ、イナダさんのところで働いている人ね」となって、より親密になっていきました。

学校を学校として残す
 とはいえ、それが可能なのは、外国人研修生が日本語を話せるからです。日本語のコミュニケーションが難しい外国人には日本語を学ぶ機会を提供しなくてはなりません。近くの学校の教室を使って、平日の夕方や土日に日本語教室を開催するなど、役所や地元企業、自治会が主体となって運営する。日本語人材の育成はみんなにとってのメリットになります。そういう経験をした人が帰国したら、「日本に行くなら、三豊市がいいよ」と言ってくれるかもしれません。弊社での研修生が帰国後、現地でイナダのブランチを立ち上げて、日本とのビジネスが広がったケースもあります。
 すでに三豊市立高瀬中学校では、夜間中学を設け、さまざまな理由で義務教育を十分に受けられず、学び直しを必要とする人や、日本語教育が必要な外国人が通っています。
 子どもも若者も高齢者も外国人も地域で学ぶ。私たちには寺子屋の伝統があります。生徒がいないからと学校をなくすことなく、学びの可能性を広げることで、学校を学校として残す。人間の善とは、徳とは何かを学ぶ場としても、地域に存続させなければならないのです。