11月10日付『朝日新聞』から始まった連載「老後レス時代 エイジング ニッポン」。第1回目は70歳を過ぎても「働かなくてはならない」高齢者(その世代の男性の多くがやむを得ず、工事現場などでの交通誘導員をしている)、第2回目は会社の「ホステージ」(「とらわれている」の意味)。新卒一括採用・終身雇用で入社した現在の50代が「高齢になったら生産性より賃金が高くなっている」状態となり、社内の閑職に就かされるという、形を変えた退職勧奨を受けても会社を辞められない状態を指すそうです。そして第3回目は非正規雇用の女性たち。「婚活と就活のはざまに落ち込み、親が老いたら介護を押しつけられ、自分の将来が後回しになる」。夫はサラリーマン、妻は専業主婦でパート、子どもが2人という高度経済成長時代の家族像から私たちは抜け出ていないのではないか。そう思わせる内容でした。

「生涯活躍」という言葉を聞いて、「死ぬまで働かなくてはならないのか」とこぼした人がいます。「活躍」という言葉がくせ者なのかもしれません。「活躍」の意味するところは「バリバリ働く」というよりも「自分なりの生きがいをもつ」ことであり、元気な人がそうでない人を支えるのは当たり前のこと。

支えるのは一方通行ではありません。ハンディキャップをもった人や認知症の高齢者が元気な人の心を豊かにしてくれることもある。社会的弱者と思われている方が朗らかに生きているのを見たら、そうでない人たちも安心しますよね。だから支え合いなのです。

そうした世の中を実現するには家族だけでは難しいし、国の支援だけでも不十分。その間にある共同体であるコミュニティの存在が重要だと思います。「生涯活躍のまち」は高齢者の施策ではありません。今の大人が自分の老後を悲観視していては、 若い世代も将来に不安を感じているでしょう。つまり全世代に関わる課題。

朝日新聞はかつて団塊ジュニアの世代を「ロストジェネレーション」と名づけました。就職氷河期に成人になり、正規雇用が難しかった人たちのことですが、これまで苦労してきた「ロストジェネレーション」だからこそ、新しい働き方の担い手になれるかもしれません。老後レスもそう。高齢者が担える役割も(たとえば徳島県上勝町で葉っぱビジネスに携わるおじいちゃん、おばあちゃんたちのように)多様なはず。

マイナスをプラスに。老後レスを生涯活躍に。それをみんなで考える。そこから新しい知恵が出てくる。一緒に生涯活躍のまちづくりに取り組みませんか。