NHKドキュメンタリー取材班が秩父市吉田太田部楢尾に住む人々に18年にわたって寄り添い制作した番組が映画化されました。現在、試写会が開催されています。

秩父山地の斜面にできた集落が舞台。明治時代には養蚕業や林業が行われていた楢尾には多い時には100人が住んでいたそうです。その後も炭焼きや紙漉きも主な生業として、住人は自分たちの畑も耕しながら暮らしてきましたが、昭和44年に下久保ダムができ道路が敷かれたことで町に働きに出る人が増えていきました。

スタッフが取材を始めたのは2001年。当時の戸数は5戸、住人は9人、平均年齢は73歳。いわば集落がなくなっていってしまうまでの過程を描いていくことになります。その中心となるのが楢尾の小林家に嫁いできた小林ムツさん。それから約60年間この集落で生きてきました。

ムツさんをはじめ住人はみな働き者。新井武さんはこんにゃく栽培の傍ら、山に入って杉に絡まるつたを切り、新しい品種の苗を植えています。大変な山仕事ですが、「ここは水源だから山を大事に守ってあげなくてはいけない。国の財産だから」という武さんには使命感もあります。

ムツさんと夫の公一さんはこれまでのように農業を続けるのが難しくなると、花を植え始めました。「花を咲かせ畑を山に還せば、安気できる。のんびりできる。いつか人が山に戻ってきた時、花が咲いていたらどんなに嬉しかろう」。それはやがて誰もいなくなる自分たちの集落の仕舞い方でもありました。人のいなくなった楢尾ですが、春になれば福寿草やれんぎょうなど色とりどりの花が一面を明るくします。

「限界集落」や「消滅可能性都市」という言葉はいま生きている人だけに向けた言葉であり、 楢尾のかつての住人たちが、むかしの祭りを復活させようと集落の神社に集まってくる姿を見ると、その土地に対する人の記憶、歴史の痕跡が残っている限り、その地は「消滅」といわないのではないか、と思えてきます。

ある僧侶が、全国各地で増えている、参る人がいないお墓=無縁墓について、こんなことを言っておられました。

「それはもう仕方がありません。お墓は『古墳』になると考えるのです。石に苔が生すといい感じになるではないですか」

ムツさんたち楢尾の住人の暮らしは、目先のことにとらわれる私たちのそれとは時間軸が違う。自分が亡くなった後の自然のことも気にかける人にとっては、大げさかもしれませんが、死ぬことは「人生の通過点」なのかもしれません。

急な斜面に集落の人々が春、夏、秋と毎年3回は整備する細い山道を杖を突きながら歩くムツさんの後ろ姿が脳裏に優しく残ります。

この作品は5月から全国で順次公開予定です。劇場でゆったりとした時間の流れに身を任せてみてください。