ドキュメンタリー映画監督の伊勢真一さんの新作『大好き~奈緒ちゃんとお母さんの50年~』が今年完成し、全国で上映中です。ただし、ここで「完成」という言葉を使うのは少し憚られます。というのも『大好き』は、知的障害のある伊勢さんの姪、西村奈緒さんと家族を追った50年におよぶ作品であり、「長く生きられないといわれた奈緒ちゃんを映像に残しておこう」とカメラを回し始めたことがきっかけで生まれた『奈緒ちゃん』(1995年)から5作目に当たるからです。映画ができても奈緒さんの家族の生活は続く。とすれば家族の物語に完成はないのではないか。伊勢監督は自らのドキュメンタリーについてこう語ります。それはどうしてか。以下、30年来の付き合いになる公益社団法人青年海外協力協会会長である雄谷良成(社会福祉法人佛子園理事長、当協議会会長)との過去の対談(弊誌『生涯活躍のまち』34号所収)をお読みください。

撮る側より被写体の方がえらいんです
伊勢真一さん×雄谷良成会長 「ごちゃまぜ映画会」トークより

2022年12月10日、横浜市の「あーすぷらざ」(青年海外協力協会のJOCAあーすが神奈川県から指定管理を受けて運営)でドキュメンタリー映画『ぴぐれっと』の上映会、そして同作品の監督である伊勢真一さんと雄谷良成・JOCA会長(佛子園理事長、生涯活躍のまち推進協議会会長)とのトークセッション「ごちゃまぜを語ろう」が開催された。伊勢監督には、重度のてんかんと知的障害のある姪っ子の奈緒ちゃんとその家族を撮り続けた『奈緒ちゃん』や『やさしくなあに』といった作品がある。20年前に完成した『ぴぐれっと』は、同監督の姉であり、奈緒ちゃんの母である西村信子さんと、障害のある子どもをもつお母さんたちが立ち上げた小さな作業所「ぴぐれっと」の日常を描いたものだ。
伊勢さんと雄谷は25年を超える付き合いで、同年4月には宮城県岩沼市のJOCA東北開設一周年記念の場でもトークを行っている。伊勢監督はその際にこんなことを語った。
「映画って必ず完成させなきゃいけないのかなって思うんですよ。とくにドキュメンタリーは。たとえばある人が亡くなったとしても、残された人のなかにその人が生きていれば、それは終わっていないわけですよね。ましてや奈緒ちゃんは明るく元気で、家族がぶつかると『喧嘩しちゃいけないよ。やさしくなあに・・・・・・』と仲直りさせようとする。機転も効いていて、それが家族を元気にさせているところもある。その姿に導かれるようにカメラを回すので、フィクションのように物語をまとめることはできないんです」
対して雄谷は「ドラマはどんなに面白くても3~4回見れば、飽きてきてしまう面がありますが、『やさしくなあに』をはじめとする伊勢監督の作品は何度見ても、毎回新しい発見がある。そのときの自分と照らし合わせて見ることもあるからでしょう」
それから8カ月後の本対談では、伊勢監督が『こころの時代』を観たことで、彼のなかで「ごちゃまぜ」への新たな視点が加わった。その点にも注目してお読みいただきたい。

映画が終わってもその人と家族の人生は続く
(雄谷)伊勢さんとはずいぶん長くて。石川県で『奈緒ちゃん』が上映されたのがいつでしたっけ。
(伊勢)1995年ですね。その時以来のつきあいかな。
(雄谷)親族の皆さんを長い年月をかけて撮っていると、「失敗したなあ」とか「恥ずかしいなあ」なんて局面に出くわすことはありませんか。
(伊勢)恥ずかしい思いをするのはしょっちゅうです(笑)。『奈緒ちゃん』を完成させたとき、もう彼女を撮ることはないと思いました。ぼくの映画で長く撮影を担ってくれたカメラマンの瀬川さんが亡くなってしまったからです。12年間、いっしょに仕事をしていた彼以外にカメラマンは考えられなかった。ところが、こちらは映画を完成させても、奈緒ちゃん家族のそれぞれの人生はその後も続いている。1980年代にぼくの姉であり、奈緒ちゃんの母である西村信子と、障害のある子どものお母さんたちが子どもたちの居場所づくりを始めました。それは「ぴぐれっと」という多機能型事業所、障害者グループホーム事業、ヘルパ派遣事業、指定相談支援事業、生活介護事務所などを運営する社会福祉法人に発展し、現在、拠点は十数カ所に広がっているのですが、立ち上げ当時はどこにも行き場のなかった子どもたちがそこで楽しく日常を過ごしていて、ぼくもときどきそこへ出かけていたんです。
 奈緒ちゃんは長く生きられないとわれていたので、彼女の人生を思い出として残しておこうというのが『奈緒ちゃん』を撮り始めた最初の動機でした。ところが、撮影が終わった後も「ぴぐれっと」に通い始めた奈緒ちゃんはどんどん元気になっていく。奈緒ちゃんの弟の記一(のりかず)も、以前は「ぜったい福祉の仕事はやらない」と言っていたのに、「ぴぐれっと」の運営の中心的な存在になっている。どうしてだろう? ぼくの「もう撮れない」という気持ちは違うんじゃないか、自分が気になる人たちに素直にカメラを向けるのが自分にできることなのではないかと思い、撮影を再開しました。『奈緒ちゃん』が完成してから2~3年後のことです。
(雄谷)奈緒ちゃんとその家族の日常が伊勢さんに再びカメラを取らせたということですね。

トークセッション「ごちゃまぜを語ろう」での伊勢監督(右)と雄谷会長(左)

ぼくらはそこにいてカメラを回すだけだった
(伊勢)『奈緒ちゃん』を撮って、ようやくぼくはプロの映画監督になったと思いました。とくにドキュメンタリーでは、撮影側の思いや問題意識はあるのだけれども、何が一番大きいかといえば、スクリーンに映る人や自然という命の存在なんです。劇映画でも同じかもしれません。シナリオを書いて、物語を撮るんだけれども、その作品は本来的には映っている人のものであり、黒澤明よりも黒澤明に映されている人の方が偉いというか(笑)。
 ときどき「奈緒ちゃんと彼女の家族ならば、あなたじゃなくてもいい映画になるよ」とか「被写体がいいですよね」とか言われてむっとすることもあります(笑)。でも、本当にそうだなあと思う。
 映っている人が一生懸命生きていることがこちらに伝わる、そこにいるだけで人に大きな影響を与えるってすごいことだと思いませんか。ぼくはそばで撮っているだけ。「こういうアングルだったらうまいって言われるだろうな」とか、「こうしたらいいインタビューがとれるんだろう」と思っているうちは半人前。映る人が生き生きしてることが大事なんだということを実感しました。
(雄谷)奈緒ちゃんのその後を追った『やさしくなあに』で、家の前の道路でお父さんがゴルフの素振りをしているのを奈緒ちゃんが電信柱の横で見ているシーンがあります。これはもう撮る側が気配を消してないと撮れないだろうと思いました。われわれ青年海外協力隊の経験でいうと、途上国に派遣されて「自分はこの国を救いにきた」と思いがちなのですが、現地で「俺が、俺が」となると失敗してしまうんです。福祉の世界でも同じで、「こちらが支える側で、あちらが支えられる側」という意識からいかに脱却するか。伊勢さんの「撮りにいっているうちはだめ」に通じるところがあると思います。
(伊勢)ぼくは目の前にいる人に「撮ってくれ」と言われて、カメラを回しているという感覚です。撮ってほしい、あるいは聞いてほしい、見ていてほしいという思いがごく自然なことだと考えたのは、NHK ETVで放映された『こころの時代~宗教と人生~ “ごちゃまぜ” で生きていく』を見たからだと思います。

「サウイフモノニ」なっていくこと
(伊勢)ぴぐれっとはまさに「ごちゃまぜ」だと思います。撮影当時は「ごちゃまぜ」がそういう意味で使われていなかった。だから今日は「ごちゃまぜを語ろう」とさせてもらったのですが、雄谷さんが「ごちゃまぜ」と言い始めたのはいつからですか。
(雄谷)福祉の世界では、子どもは子ども、高齢者は高齢者という縦割りが長く続きました。たとえば障害福祉と高齢者介護を組み合わせると、「(施設内に)両方の通路をつくりなさい」と。グループホームを建てるときに、「向こう三軒両隣から建築を了承するというハンコをもらってきてください」っていわれたこともあります。皆さんが「ここに住みたい」と思ったとき、近所に「認めてほしい」とお願いに行きますか?
 これまでの施設のように機能を分けないで、一緒に暮らせるような建物にしようといってくれたのは建築家の故・西川英治さん(五井建築研究所会長)です。ぼくは西川さんが「ごちゃまぜ」と言い始めたと思っているのですが、西川さんはぼくが言ったと思っていて、本当のところは定かではないのですが、西川さんは建築界の数々の賞を受賞した権威のある方。以前は自身の作品の写真を賞に応募する際、建物に人が映り込むことを許さなかったのが、「ごちゃまぜ」の話をしてからは、「写真に人が映っていないじゃないか」と怒るようになりました。
(伊勢)「バリアフリー」という言葉はちょっとスマートすぎる。「ごちゃまぜ」という表現にぐっとつかまれました。『こころの時代』で雄谷さんが引用した宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の「デクノボー」もそう。気持ちの底から生まれる言葉の力を感じます。
(雄谷)宮沢賢治の手帳に書かれた「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ……」の節、活字にするとすべて黒ですが、賢治は「行ッテ」だけを赤で書いているんです。賢治は現場に行くことを大切にしていました。そこに気づいたときには感動しました。
(伊勢)最後は「ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ」とあるのは、自分はまだ「サウイフモノ」になっていないということですよね。それをずっと思い続けるのが生きていくことなのではないか。

2000年の間、生き続ける言葉
(伊勢)人に対して「あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」と尊敬して軽くみないと言い続け、人々にはずかしめられ打たれると、その場を離れた場所から再び同じ言葉を繰返したという「常不軽菩薩」のことは、2000年前に生まれた考え方だそうですね。雄谷さんがお経を読みながら「それはどういう意味なのだろう?」と考え続けて現在に至ったということにも感銘を受けました。
 ぼく自身は言葉に懐疑的で、言葉にならないことが大事であり、言葉になる前の思い、言葉になったあとの思い、その過程をすべて含めたものがコトバで、それを包摂しているのが映画だと思っていました。ところが『こころの時代』を見て、言葉そのもののもつ力を感じたんです。そうでなければ2000年間生き続けることはできない。それにしても毎朝、勤行をするのはすごいですね。
(雄谷)わからないままに読んでいても、はッと気づくことがあるんです。2000年前といえば、人が簡単に殺されたり、餓死していた。そんな時代によく「そこへ行って、人のために何かをする」なんていうことを考えていた人がいたなと驚かされます。
(伊勢)「三草二木」もそうだったんですね。
(雄谷)「どんな草木にも平等に太陽の光や雨が注がれるが、それぞれ大きかったり、小さかったり、あまねくそこにいることが大切なんだ」という考え方です。ぼくが修行をしていたとき、師に当たる人に「お経をあげられる人は成仏できるというけれども、言葉をもたない、発することができない人は成仏できないのですか」と聞きました。そのとき師は、答えは「どこかに書かれている」とは言いましたが、「どこに書いてある」とは教えてくれませんでした。それから何年もかけて見つけたわけです。
(伊勢)ぼくの映画も2000年後に「よくこんなものをつくったな」と思われればいいのですが(笑)。仏教の長い歴史のなかで考え続けられてきたことが、いま「ごちゃまぜ」という言葉になった。これから「ごちゃまぜ」がより深まっていってほしいと思います。

『大好き~奈緒ちゃんとお母さんの50年~』は11月10日(日)10:30より横浜市の本郷台にある「あーすぷらざ」で定期的に開催されている「ごちゃまぜ映画会」で上映されます。首都圏にお住まいの方はぜひ足をお運びください。

予告編はこちらです。