株式会社資生堂の社員であり、老年化粧学、化粧療法学を専門とする医学博士でもある著者は、学生時代のアルバイト先のデパ地下で、店長さんに「自分の左右の眉頭の毛が薄く、眉毛と眉毛が離れていることがコンプレックスだ」と話した。すると店長さんは「眉毛、描いたらええねん」といってカウンターの下にしゃがみ込み、眉ペンシルで眉毛を描き足してくれた。それを鏡で見た瞬間、自分のなかで何かが大きく変化するのを感じた。その経験が化粧にかかわる研究を志すきっかけになったという。「粧う」力は男女の区別なく大きな影響力を与えるのだ。
 「気分はアゲアゲ」といった表現がある。テンションががるというニュアンスだが、フェイスケアで顔の肌を手で優しく上げていく所作ともつながるのではないか。本書の「3-1化粧が身体機能に及ぼす影響」では、「化粧品を持つ、開ける、出す、という動作には主に、①総指伸筋、②浅指屈筋、③第一背側骨間筋、顔に何かをつけるという動作をするときには主に、④上腕二頭筋、⑤三角筋が働いている」と記されている。とくに高齢者は、化粧の動作によって気持ちを明るくなったり、食事動作の自立度がアップしたりするという。化粧動作は食事動作と比較して、約2~3倍の筋力を使い、歯磨きのブラッシング動作と比較すると、化粧動作の方が関節の可動域が約2~3大きいとのこと。だからメンタルにもいい影響を与えるのだろう。男装、女装はどうして楽しいのかもわかる気がする。
 スキンケアは唾液の分泌も促すという。物の消化・吸収、咀嚼・飲み込み、口腔内細菌の制御、口腔粘膜の保護、味覚の関知にかかわる唾液は、口の健康維持に重要な役割を担っている。顔の唾液腺の位置を意識してスキンケアをすれば、「肌がきれいになる口腔ケア」にもなるわけだ。
 資生堂は「ADL(Activities of daily living)向上のための整容講座」や「資生堂化粧セラピスト認定試験」を開催している。能登半島地震の被災者にも化粧療法を教えているそうだ。化粧は自立支援の一環であり、高齢者の残存機能を引き出す。被災地の人々は、化粧というと優先順位を低くしてしまいがちだが、日常的な動作を改善するのに有効なのである。引きこもりがちの高齢男性こそ自ら「粧って」みよう。きっと元気になる。(芳地隆之)