2018.6.23.sat
オープニングセレモニーから

長野県 駒ヶ根市(こまがねし) 面積 約166㎢ 人口 32,323人(2018年8月1日現在)
町の歴史 町名は、駒ヶ岳の麓のまちという意味で市制施行時に命名 1954(昭和29)年 駒ヶ根市として発足
町の横顔 キャッチフレーズ「アルプスがふたつ映えるまち」西に中央アルプス(木曽山脈)、 東に南アルプス(赤石山脈)を望む立地から。基幹産業は稲作、酒造・醸造業のほか電機・精密機械工業/ケンウッド創業の地として知られるが現在、事業所・工場は移転。それでも日本電産・長野技術開発センターや日本発条、帝国通信工業など、製造業の工場が多く残る/養命酒製造の駒ヶ根工場はテレビCMにも登場。そのほか駒ヶ岳ロープウェイ終点の「千畳敷」駅は木曽駒ヶ岳登山の玄関口として多くの観光客が訪れる。また青年海外協力隊の訓練所や長野県立看護大学を有し、文化都市の側面も。

原点回帰

 「放蕩息子が帰ってきました」。公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)の雄谷良成会長は、本部事務所を東京・半蔵門から長野県駒ヶ根市の「銀座通り」商店街へ移転した、そのオープン記念パーティの場でこう言った。
 JOCA本部事務所が入る建物は鉄骨2階建て、延べ床面積約373㎡。空き店舗の改修によって生まれた。1階はこまがね市民活動支援センター「ぱとな」、2階はJOCAの本部事務所として使用されるが、1階は市民活動のスペースにも使用。オープンオフィスをイメージした明るいつくりで、コーヒーなどを提供するカウンターもある。2階も会議やイベントの使用が可能だ。
 JOCAが移転を決定したのは2017年6月17〜18日、東日本大震災で甚大な津波の被害を受けた宮城県岩沼市の沿岸地域で開催された第6回定時社員総会ならびに平成29年度評議会の場である。
 JOCAは2011年3月より岩沼市に災害救援専門ボランティアを派遣し、医療支援や支援物資管理、拾得物管理などの活動に当たってきた。同年6月には岩沼市と仮設住宅サポートセンター運営にかかる協定を締結。7月には仮設住宅入居者の支援拠点である「里の杜サポートセンター」に業務調整員と国内協力隊員が着任するなど、コミュニティづくりを通して入居者の方々の孤立を防ぐ活動をしてきた。上記定時社員総会にて挨拶した菊池啓夫・同市長は「仮設住宅で最後まで希望を失わず、一人も自殺者を出さずに集団移転、自立できたのはJOCAの皆さまの献身的な声掛けがあったから。これから大事なのは心の復興。いまや我々の一員となっている羊が、生きがいづくりに一役買ってくれている」と述べた。
 協力隊の経験者たちが被災者と同じ仮設住宅に住み、被災者と同じ目線で支援活動するのがJOCAの活動の基本。ちなみに羊とは、震災後、住宅建設が認められていない沿岸部の再利用のためにJOCAが運営を始めた「いわぬまひつじ村」の牧場のことだ。なお、「里の杜サポートセンター」は、2016年4月に同じ地区で活動してきた岩沼市社会福祉協議会の復興支援センター「スマイル」と合併。「岩沼市スマイルサポートセンター」として、集団移転先である玉浦西地区での「コミュニティ形成支援事業」として被災者支援に取り組んでいる。

各国大使館からの来賓と懇談する雄谷会長

国内外で地域づくりに取り組む

 JOCAは東日本大震災以前に青年海外協力隊の体験を日本の地域社会の活性化に生かす「国内版協力隊構想」を打ち上げており、このアピールのなかには「(中略)異文化理解への努力の過程で、外から日本を見ることによって、隊員たちは世界を見る眼、日本を見直す眼という新しい視点を獲得し、大きく成長して帰国する」と記されている。
 セレモニー当日の1階オフィス正面の黒板には太いゴシック文字の「原点回帰」が目立っていた。それをバックに語った雄谷会長のいう冒頭の「放蕩息子」とは、駒ヶ根で育てられたにもかかわらず、長い間、外で活動していたJOCAが初心に帰り、今般、ようやく自らのルーツに戻ってきたことを表現している。
 かつてドミニカ共和国へ青年海外協力隊として派遣された雄谷会長をはじめ、JOCAスタッフの多くは「独立行政法人国際協力機構(JICA)駒ヶ根青年海外協力隊訓練所」で訓練を受けた。市内北部の山あいに建つここでは、年に4回、青年海外協力隊の候補者が集められ、70日間にわたる派遣前訓練が行われている。
 「朝はここで支援対象国の国旗掲揚と国歌が流されます。候補生たちにこれから赴く国に対する敬意を育んでもらうためです。それからラジオ体操。こうして訓練所の一日が始まります。その後は語学クラス、各種講座、自習、自主講座など。食事は3食、訓練所の食堂で摂れますが、候補者は交代で食事の片づけを手伝います」
 こう説明してくれたのは同訓練所の統括主任・井上恭輔さんだ。彼はかつて世界最貧国といわれたニジェールに1998〜2000年に村落開発普及員として赴任した経験を持つ。「70日間では所外活動や野外訓練も含まれています。生活規律も厳しさを求められるので、途中で辞める候補者もいるなか、最終語学試験(リスニング、筆記、口頭の試験)の合格者に対して修了証書が渡され、各々が世界各国へ飛び立っていくのです」と井上さん。
 「世界を元気にしてきた人は日本も元気にできる」はJICAの信念である(それがどんな人たちなのかは後掲のインタビューを読んでいただきたい)。そして「協力隊に行く前に一度、地域で学び、それを糧にして協力隊に行く。帰ってきたら地方創生に戻っていく。そうしたモデルをここ駒ヶ根でつくっていく」ことをめざそうとしている。そもそも「東京一極集中の日本を変えるための地方創生事業に取り組んでいる当事者(JOCA)が、東京に本部を構えていていいのか」という問題意識があり、その移転先として、まちづくりを担う人材の育成の場として、駒ヶ根市は絶好の地であった。

今後の生涯活躍のまちの展開

 「駒ヶ根市としては訓練所をぜひ生かしたい」(杉本幸治市長)という思いがある。訓練生が市内の飲食店で食べるだけでまちが活気づくだろうし、JOCAスタッフらが独居の高齢者や孤立している外国人を地域のなかに巻き込むことで新しい人の交流が生まれるに違いない。
 駒ヶ根市役所によると、JOCAの移転後、空き店舗が埋まりだしたという。また、それとほぼ同時にまちなかの住民が中心市街地再生をめざす「こまがねテラス」という事業を始めた。南と中央の両アルプスの麓の中心市街地をテラスと捉え、山とまちをつなぎ、中心市街地を活性化させる取り組みで、観光客が心地よいと思えるおもてなし、登山や山岳観光のために必要な情報やモノの提供、中心市街地を拠点としたいろいろな活動のサポートなどを行っている。
 杉本市長はセレモニーの挨拶で「市内にJICAボランティアの集まる場所があれば、訓練生がまちに下りて来てさまざまな言語を話す。そうすると、『駒ヶ根でお酒を飲んでいるといろいろな言葉が聞こえてくる』『駒ヶ根に行くと世界のいろいろな国とつながる』という声が広がる。そして、ここが世界に開けたまちになっていく」と述べた。
 オープニングセレモニーの翌日には、「第1回こまがね大使村まつり」が開催された。駒ヶ根市が長年温めてきた、世界各国の魅力的な文化を発信する大使村構想の一環として、JOCA本部事務所が面する銀座通りで、西アフリカのブルキナファソ、南太平洋のパラオやミクロネシアなどの大使館がブースを開設し、各国の料理や文化などを紹介するほか、音楽の演奏やダンスも披露された。地方と世界が直接つながる光景だった。
 駒ヶ根市における地方創生については、同市の総合戦略のなかに「生涯活躍のまち」や「CCRC」はうたわれてはおらず、市民の理解もあまり進んでいないのが現状である。駒ヶ根市を含めた長野県南部は製造業がメインで、とくに精密機械メーカーが多く、働いている人も若手が多い。これまで同市は働き手をいかに確保するかという政策を続けてきたが、移住施策に「中高年齢層の方々が駒ヶ根市でどういう人生を送れるのか」という視点も必要になってきた現在、どのようなまちづくりを進めるのか。ここ駒ヶ根市でその答えがいま、少しずつ具現化しつつある。

地域住民も、大使館員も、JOCA職員も”ごちゃまぜ”でダンス