久田恵さん講演会

ノンフィクション作家の久田恵さんは現在、株式会社コミュニティネットが運営するサービス付き高齢者向け住宅「ゆいま~る那須」の入居者として、日々を楽しく、そして忙しく過ごされています。まだ介護保険がなかった時代、シングルマザーとして子育てもしながら、ご両親の介護を始め、最期を看取ってこられた久田さんはいま、超高齢化社会についてどう考え、ご自身はどのような暮らしを送っておられるのでしょうか。2018年10月14日、生涯活躍のまち移住促進センターにて行われた講演の概要を紹介します。

介護は見ざる、言わざる、聞かざる?

 20歳で家出していた私は38歳の時、60代の母の介護のため、子どもをつれて18年ぶりに家に戻りました。それまでは自由なスタンスで本を書いてきた私ですが、母、その後は父と20年間の介護をしてきたことでようやく自立できた気がしています。
 その後、私は「ゆいま〜る那須」での生活を選択することになるのですが、ノンフィクション作家として介護をテーマに取材チームをつくり、北海道から九州まで施設を訪問。3年間で介護職の方100人にインタビューをしました。11月上旬に本(※1)になりましたが、どうしてそのような取材を続けたかというと、介護について知りたい情報が本当に必要な人たちに届いておらず、よく見えない、よくわからないという思いがあったからです。
 この企画を持ち込んだ出版社の男性は「介護のことは見たくも、聞きたくも、本を出したくもない」と言いました。しかし、団塊世代が70代に入っている現在、介護を「見ざる、言わざる、聞かざる」は不可能。考えたくないと思っても考えざるをえないテーマなのです。

※1 『介護を仕事にした100人の理由(わけ)100歳時代の新しい介護哲学』久田恵+花げし舎編著 現代書館刊

リタイア後のセカンドライフで終わりじゃない

 昨年、ベストセラーになった『ライフシフト 100年時代の人生戦略』(リンダ・グラッドン他著 東洋経済新報社刊)によると、自分の居場所をひとつでなく、マルチで持っていないと100年は生き切れないといいます。むかしは60歳で会社を辞めた後、そう長くは生きていませんでした。しかし、これからは定年後にどう生きていくか考えざるをえず、「セカンドライフ」どころか、「サード」も「フォース」も想定する時代になったのです。
 現在、高齢者世帯に占める単身者の率は25%、4世帯に1人がおひとりさまです。夫婦世帯のそれは30%ですが、パートナーが先に亡くなれば必ずひとりになります。75歳以上で介護保険の給付を受けていない人は77%に上ります。すなわち、介護を受けずに人生を全うする人が多数派ということです。とすれば、「介護をどうしよう」と思い悩むよりも、「どう充実した人生を送るか」を考えるべきでしょう。

コミュニティが地域を立て直す

 取材先のひとつ、東京都八王子市の館ヶ丘団地では老朽化が進み、空き室ばかり。エレベータもなく、人気のないところだったのですが、八王子医療生協の方が自転車タクシー(※2)を導入するなど、1人で地域を変えていきました。「タクシー」はアシスト付自転車なので65歳以上の方でも楽に運転できます。これまで高齢者は団地内のスーパーマーケットに行くのも大変だったのですが、自転車タクシーが無料で迎えにきてくれるようになったことで、いままでよりも外へ出るようになりました。「タクシー」を運転するボランティア自身も健康になります。喫茶店もボランティアが運営しており、私たちが取材に行った際は、「魚の血合い入りハンバーガー」をつくっていました。
 自転車タクシーは1台しかないので、順番を待つ高齢者がそこでハンバーガーを食べながら、ボランティアと話ができる。「皆さん、お金がないといいながら、おしゃれしていますね」と言ったら、「先がないから、よそ行きの服を普段着にしている」とのこと(笑)。
 団地を改築しエレベータを設置したら、地域はみるみるよくなっていきました。このように地域社会で助け合い、90代同士が仲よく暮らしている現実を私たちは知らないのです。老人ホームで寝たきりになっている高齢者ばかりではありません。

※2 2輪車もしくは3輪車で人力により乗客を運ぶ。ドライバー以外に1人ないし2人の乗客を乗せることができる

地方移住

 私の友人に50代で早期退職し、夫と別れ、愛媛県の久万高原(くまこうげん)町というところへ移住した人がいます。退職金で空き家を購入、リフォームして住んでいます。久万高原町は四国の軽井沢といわれているのですが、過疎地なので集落が狭いエリアに形成されており、そこには小規模多機能型居宅介護、グループホームなど、介護施設が全て揃っています。むかしのようにお嫁さんが夫の両親を介護する必要はなく、お嫁さんはそこの介護施設で働いている。つまり嫁や娘が介護施設で働くことで無償の労働が有償化されているわけです。
 彼女の隣人は85歳のおばあちゃん。「隣に若い人が越してきてくれた」と歓迎してくれたそうです。むかしは地方で移住者は「よそ者」扱いされがちでしたが、どこも過疎化が進んでいるなか、そんなことを言ってはいられません。友人はパソコンができることで、家から徒歩1分の介護施設での仕事が見つかりました。そこではヘルパーがきちんとシフトを組むことで仕事と子育てを両立させています。私がおばあちゃんに「月いくらで暮らせますか?」と聞いたところ、「4万円あれば大丈夫」とのことでした。
 財政が破綻した北海道・夕張市では97歳の方が活躍していました。自分の車で案内すると言われて断れなかったのですが(笑)、彼によると、夕張市で経済的に安定している元公務員たちが「自分たちのせいでまちを破綻させてしまった」という思いから、いまはボランティアで現役時代より何倍も働いているそうです。
 公共施設もリタイアした元職員たちによって支えられています。無駄な医療費は使わないと、多少のことでは病院に行かず、健康なまちへと変化しつつある。犬の散歩まで協力し合っている。苦境にたたされると一致団結してがんばるという見本でしょう。

衝動的に決めた入居

 「ゆいま〜る那須」を訪ねたのは2017年2月でした。ある入居者から、「ここでは自分たちでセイフティネットをつくる、仕事をしながら健康管理や社会貢献をめざす」という話を聞きました。彼女は元雑誌記者で、お母さまも「ゆいま〜る」シリーズのハウスに入られていたとのこと。彼女の言葉から、「行政や企業を頼りにするのでなく、自分たちのコミュニティを自分でつくる」覚悟のようなものが伝わってきたのです。また、隣の「森林ノ牧場」の匂いに北海道育ちの私は郷愁を誘われました。私はシングルマザーでしたが、子どもと同居はしたくなかったので、私の父親が亡くなったあとは息子夫婦に自宅を託し、ほぼ衝動的に「ゆいま〜る那須」に移ったのです。
 息子は「これまで破天荒な人生だったのが、ようやく家族みんなが一緒に暮らせるようになった。それなのにお母さんは背を向けて好き勝手に生きていく。フーテンの寅さんのような人だ」と怒っていました。最近、息子には3人目の子どもが生まれたのですが、それがわかっていたら那須に行かなかったかもしれません。ただ、たまに会うほうが歓迎されるので、離れて暮らすよさもわかりました。

自分で決めることの大切さ

 2025年にすべての団塊世代が後期高齢者になったら大変なことになると取材のたびに言われ続けてきました。若い世代は「介護は社会がやるもの」で、家族がやるものではないと考えています。老人ホームに入るときは、たいてい子どもが施設を決めるそうなので、その前に自分で選択しないと、とんでもないことになると思いました。
 高額な有料老人ホームのなかには個人情報を盾に、取材どころか写真1枚撮らせてもらえないところもありました。家族も予約をしないと入居者と会えず、鍵も管理されており、「面倒な人」と思われる入居者は部屋に閉じ込められているのではないか? とさえ思ってしまいます。
 高齢になると言いたいことが言えなくなります。取材中、高齢者がまずい栄養ドリンクを医師や子どもに促されて、いやいや飲んでいる姿を見ました。市販品には飲みやすい栄養ドリンクがたくさんあるにもかかわらず、我慢して口にしているのです。介護について自分で考えることができるときには、主張しておかないといけません。「ここが気に入らない」と思っても、老いてしまうと伝えるすべがなく、みんな諦めてしまう。だから自分がしっかりしているときに入居する場所を選んでおくことが大切なのです。

管理のない生活

 「ゆいま〜る那須」に入居してきてわかったのは、人の出入りが多いということ。いろいろな理由で入ってくる人、出て行く人がいる。入居後にもっと広い、あるいは狭い部屋への移動も臨機応変にできます。いったん入居したら次の選択ができないわけではないのです。
「ゆいま〜る那須」がいいのは個人情報うんぬんと言わないところ。そして、入居者を一切管理しないこと。この年齢になってここへ来た人には、慟哭したくなるような過去がひとつやふたつはあったのだろうと思いますが、お互いの距離のとり方が上手で人のことに干渉しないのです。最初の頃はなにか忘れていると「久田さん忘れているわよ」と声をかけてくれたのですが、しばらくすると何も言ってくれなくなったので、「冷たいんじゃない?」とスタッフに言ったら、「あえて黙っていた」と返されました。何でも自分で考えてと言われる。
 その一方、体調がよくないときにはフロントの方が真っ先に駆けつけてくれるし、病院まで付き添ってくれたり、救急車を呼んでくれたりします。日々の生活で何が重要かの優先順位がはっきりしているのです。

廃校の再生

 「ゆいま〜る那須」の近くには旧朝日小学校という建物があります。40年前にできた小学校が廃校になり、そこを(株)那須まちづくり広場が改修し、将来的には介護型施設、多世代のシェアハウスなどを設立する予定です。「ペンキを塗りにきてください」と言われて、出向いたところ、いろいろな部会があり、楽しそうでした。「ゆいま〜る那須」にある食堂で定期的に蕎麦を打ってくれる元お蕎麦屋さんの入居者が、奥様の具合が悪くなって心が折れそうになったとき、私たちがここで一緒にパレードをしようと持ちかけたら元気を取り戻したことがあります。
 私は旧朝日小学校で人形劇の舞台を始めました。東京で人形劇団を一緒にやっていた仲間、入居者、那須町の住人、黒姫山からここへ移住することを決めた60歳になる女性などが集まってきて、楽しくやっています。

バラ色になるか、ならないかは自分次第

 まちなかにある「那須ブックセンター」という書店は移住者が店長をしており、「那須ブックセンターを守る会」が地域にできました。那須にはいろいろな人が集まっており、非電化製品の発明を通して、電気がなくても快適・便利をそれなりに実現することをめざす「非電化工房」というスタジオがあります。そこが推進するプロジェクト「若者仕事塾」では代表の藤村靖之先生が「ちょこっと仕事」をいくつもつくっていく「3万円ビジネス」を提唱しています。
 その人にとってのバラ色の場所はそれぞれ違うかもしれません。同時に「バラ色の場所なんてどこにもない」と思います。そこがバラ色になるか、ならないかは自分次第。「場」をつくっていくのは人。人によってその場の雰囲気も変わってくるのです。