たとえばあなたが埼玉から東京に通う学生で、いま住んでいる実家で野菜をつくっているとする。そこで余った野菜をリュックに詰め込んで東京にもっていって売れば、これまでの移動(通学)に輸送の要素が加わるだろう。あるいは家でつくる晩御飯をいつもよりたくさんつくって、その余った分をお弁当なり総菜なりとして売るでもいい。ニンジンやジャガイモ、たまねぎなどを自分でつくれば、その分の支出が減るわけだから、実質的な収入増になる。

 著者が強調するのは、日常の延長上に商売を考える「生活の資本化」だ。それをもってすれば、アイデアを練り、資金を調達し、事業化を、という従来の起業の進め方は必要ない。資金繰りの際、「こんなことを始めてしまったのですが、この部分でどうしてもお金が足りない」という人がいて、その人柄が信用できて好ましく、「こんなこと」が面白いものであれば、出資を得られるかもしれない。「こんな面白いことをやりたいんです(だから投資してください)」と頭を下げるだけでは難しいだろう。誰も考えたことのないビジネスを発案し、一獲千金を狙う博打みたいな行為だけが起業ではない。お金をかけず、自分と仲間でできることから始めてみる。それが「しょぼい起業」の基本である。

 本書では、「寝られない起きられない」「就活が無理」「働きたくない」という理由から「しょぼい喫茶店」をやりたいと思い立った青年のケースが紹介される。不動産会社の若い社長から100万円の出資を受け、青年と同じように生きづらさを抱えている女性とともに店をオープン。半年間、営業スタイルをマイナーチェンジしながらお客さんを呼び続けているまでのストーリーだ。喫茶店をやる理由が、「コーヒーが大好きだから、その知識を生かして……」といったものではなく、「絵を描いたり、音楽を奏でたり、写真を撮ったりする友だちがそこで作品を発表したり、販売したり、あるいは安くごはんが食べられたり、働きたいときに気軽に働けたりする場所を確保するため」というのが肝。

 現金だけが儲けではない。自ずと協力してくれる人たちが集まり、「なんとなく楽しそう感」を大事にする。それをまちづくりに転用してみよう。自分の周辺を見直し、地域で困っていることの解決、地元の人々が望んでいることの実現を商売にしてみる。お客さんを呼ぶための「大本営発表」的な広告宣伝も本書から真似つつ、それによって賑わいが生まれれば、「しょぼい起業」は地域づくりにつながっていく。

(芳地隆之)