父から「もらい湯」の話を聞いたことがある。香川県西部の農家の長男として生まれた彼は、子どもの頃、近所の家が風呂(いわゆる五右衛門風呂)を沸かすと、そこで入らせてもらっていたそうだ。その逆もしかり。自分の家で沸かせば、近所の人がやってくる。父は地元の高校を卒業すると進学で上京し、やがて東京で世帯をもって、仕事をリタイアするまで首都圏郊外に暮らした。いまは香川県の実家に帰っているのだが、かつて故郷にあった慣習を時々思い出すという。著者のいう「都市化の中で『個』の時代が進み、農村部のしがらみから解き放たれた都市生活者は自由を手に入れた。といえば聞こえはいいが、言い換えれば生活者から消費者になったことであり、なおかつ当事者から傍観者になったこと」の居心地の悪さが、父をして昔を懐かしく思い出させたのかもしれない。

 本書は、ハードづくりからソフトを重視するようになったコミュニティデザイナーとして全国各地で活動し、その経験を数々の本に記してきた著者による現時点での集大成の感がある。日本の人口が増加していく20世紀初めから、21世紀に入って減少に転じ現在にいたるまでの歴史を振り返り、「まちづくり」「政治・行政」「環境」「情報」「商業」「芸術」「医療・福祉」「教育」という8つの視点から、日本の地域が再生していくためのヒントを提示する。

 その鍵は「参加」。簡単なことではない。行政や企業と対立し、孤軍奮闘してきた地域の古参リーダーにしてみれば、「地域の課題解決はみんなで考えよう」などいうワークショップは仕事の放棄と見えてしまうのだろう。しかし、時代は対立によってエネルギーが生まれたそれから、世代を超えた者同士が「共創」していくそれに移りつつある。

 いわゆる「農村部のしがらみ」にも私たちの先入観がないだろうか。本書が紹介する聖徳太子の十七条憲法は「和を以って貴しとなす」で始まるが、第十条には「人の違うを怒らず」とある。お互いの違いを認めた上で協力することの大切さを説いているのである。田植えや稲刈りなど村人総出で行うのが「野良仕事」、飼い主が亡くなってしまったことで、住民に残飯を与えてもらい共同で飼われている犬が「野良犬」と呼ばれていたことも本書から教わった。なるほど、犬一匹も見捨てないコミュニティがかつては成り立っていたんだ——そう得心すると同時に、地域で脈々と培われてきた伝統を生かしつつ、新しい相貌で再生していくコミュニティがこれから増えていくことを予感させられた。

(芳地隆之)