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住まいが交流の場にも、居場所にもなる ~コプラスが進めるコミュニティづくり~
2002年に設立された株式会社コプラスは不動産コンサルティング会社として、これまで多様な住まいづくりに携わってこられました。現代社会のニーズに応えるそれらの空間には、どこか懐かしい匂いもしてきます。今号では同社の青木社長、田坂さん、久保さんより、コロナ禍における住まいのあり方も視野に入れたお話をお聞きしました。(文中敬称略)
青木 直之さん: 1965年福岡県生まれ。九州大学工学部建築学科卒業後、1991年(株)リクルートコスモス(現コスモスイニシア)入社。2001年(株)都市デザインシステム(現UDS)入社。コーポラティブハウスの企画開発業務(用地仕入)に従事。2008年(株)コプラス代表取締役就任。コミュニティを基盤とした住まいづくりのノウハウと不動産開発事業をワンストップで請け負える強みを生かし、コーポラティブハウスをはじめ、コモン付賃貸住宅、シェアハウス、高齢者向け住宅・施設、UR団地再生なども事業展開している。
田坂 妙子さん:1982年広島県生まれ。法政大学国際文化学部卒業後、ハウスメーカーの営業職を経て、地元広島で個人住宅を主に扱う設計事務所に勤務。現在、コプラスにてコーポラティブハウスの企画、営業、運営をするコーディネーターを務めながら、まちづくりの分野にも仕事の領域を広げている。
久保 有美さん: 1986年生京都府生まれ。大学では社会福祉学を専攻し、居住福祉学でコーポラティブハウス・コレクティブハウスに出会う。上京時にはシェアハウスに住み、現在は多摩市にあるコレクティブハウスに居住中。コプラスにて賃貸管理・運営・企画業務を担当。賃貸でも豊かな暮らしを実現する住まい方を広めていきたい。
——コプラスの概要をご説明ください。
コミュニティ=「つながり」をキーファクターとした住まいや空間、まちづくりをご提案する不動産コンサルティング会社です。企画・不動産・設計のプロ集団として、企画から運営までトータルにプロデュース・実践することで、多様化する社会・クライアントのニーズを具現化しています。
——御社の事業の主な柱であるコーポラティブ方式のマンション・戸建の事業運営、コミュニティ形成といった事業は、建物というハードよりも、入居者がそこでどのような住まい方をしたいかというニーズからスタートするのでしょうか。
コーポラティブハウスといえども不動産の企画ですから、立地や特性、環境、価格など事業計画はハードのアプローチから入ります。ただ、一般的なマンションの企画とは異なり、利益率を高める効率的な建物計画、販売しやすく分かりやすい間取り、管理しやすい画一的な部屋割りなど、いわゆる売り手の都合優先という視点はかなり少なく、企画者であるわれわれも住みたいと思える、ちょっと手の込んだ家ができるようなイメージをもっています。それは、お互いの顔が見えて意図を共有し、一緒につくる仕組みだからこそできることだと思います。
——建物が完成する過程でとくに大事なことは何ですか。
建物はゼロからつくっていくので、その過程でちょっとした修正、変更は必ず生じます。それも含めて家をつくるということを肌で感じていただき、その過程を知っていることが入居後の自分の家への理解や愛着になる、大事な点だと考えています。
誰かのつくった家に住んでいるのではなく、主体性をもって自分の家に関わっている感覚。住人同士は、つくっていく途中で何度か顔を合わせて話をしているので、お互いの性格や距離感などをつかんで居心地のいい関係をもって暮らせるというのが、お金で買えない最大のメリットではないでしょうか。
——コーポラティブハウスが成り立つのは都市圏という印象が強いのですが、御社はすでに地方で行政・公共団体と連携して、まちづくりに取り組まれておられます。
私(青木)が生まれ育ったのは福岡県のUR団地の分譲でした。北九州市と福岡市のベッドタウンとして人気が集まり、町内会の運動会も行われていました。隣組の役割も強く、毎月1回はみんなで会合を開いていたのです。ちなみに私の祖母は福岡県筑豊地区にある小竹町の炭鉱住宅に暮らしていたことがあり、90歳代で亡くなったときには炭住時代の知り合いがたくさん葬儀に来てくれました。これも当時の集合住宅のコミュニティがしっかりしていたからでしょう。
弊社の前身である都市デザインシステムという会社の時代に、コーポラティブハウスが世の中で注目され、TVや雑誌などのメディアにたくさん露出していました。そのころ、コーポラティブ方式を採用した戸建開発事業を千葉県富里市で取り組んだことが呼び水となって、北海道の上士幌町の町長が札幌支店にまちづくりの相談にいらっしゃったことがありました。北九州市のコンペでは最優秀賞を受賞し、「サトヤマヴィレッジ」を企画開発したことで、行政や大学、地元企業と連携し、「コミュニティのある暮らし」をキーワードにまちづくりをするような仕事が少しずつ増えていきました。
——まちづくりにおいて行政と連携する際の難しさはありますか。
行政の担当者は2〜3年ごとに配置換えがありますし、市長や町長などのトップも選挙によって入れ替わり、方針がガラッと変わってしまう難しさがあります。まちづくりは5〜10年と中長期的な視野で計画し、進めていくので、費用と時間をかけた計画も道半ばでストップしてしまう場合もあります。
行政には“公”の立場で皆に平等でよい施策を進めるという役割があります。しかしながら、事業を進めていく上で、関係者が満場一致で納得するケースは難しい。それでも意見調整をし、大きな枠組みのなかで皆さんが幸せに長く暮らせる仕組みをつくり、育てていかなくてはなりません。そのためには分野横断的かつ長期的な視点で、官民が力を合わせて事業を進めていく必要があると思います。
——現在のコロナ禍で、地域住民のための居場所づくりは“Stay Home”という難しい課題に直面しています。
個々の住戸に独立したキッチンやバスルームなどの一般的な賃貸マンションと同様の設備をもつと同時に、住民みんなで管理する「コモンキッチン」「コモンリビング」といわれるコモン(共有)スペースがある賃貸集合住宅のことを「コレクティブハウス」といいます。デンマーク、スウェーデンなど北欧諸国で生まれた歴史のある住まい方です。
2018年10月に事業の取り組みが始まり、2020年2月に完成した「まちのもり本町田」では、居住者が自主運営する組合が組織され、そこで暮らすルールや役割も住民間の話し合いによって決めています。「コモンキッチン」では住民が夕食を一緒につくって食べたり、広いお風呂も設置されているので、介護用に使ったり、お隣の子ども同士で一緒に入ったり。いわば、住民で暮らしを共同化していく。自分(久保)もコレクティブハウスに住んでいるのですが、住民のクレームという概念は存在しません。困ったことがあった場合、「○○さんなら知っている」「大家さんに相談しよう」「(コーディネーターの)NPO法人に話してみたらどうか」といったように一緒に解決策を考えるのです。
本事業はスタート時から住民にオープンで進めてきました。今後、地元の方々も参加するイベントを開催するなど、「まちのもり本町田」の運営を通して、地域とのつながりを深めていけたらと考えています。そうすれば、わざわざ居場所をつくらなくても、自分の住まいが地域や隣人との交流の場になるかもしれません。
——コレクティブハウスの考えをエリアに当てはめて、まちづくりをすることはできないでしょうか。ひとつの地域をコレクティブハウスに見立てるということですが。
空き家を利活用して、ルームシェアしたり、コモンキッチンやコモンリビングをつくったり、というように、コレクティブハウスの機能を分散させることは可能だと思います。ただし、そのコンセプトを実現するには、われわれのような事業者がコーディネーターとして入って、住民、行政、NPO法人などの役割を明確に決めていく必要があるでしょう。その地域でコミュニティが自走していくまでサポートしていくのがわれわれの役割だと思っています。
(聞き手 芳地隆之)