あなたの自宅のクローゼットに防災グッズが眠っていないだろうか。「もしも」のためにと備えていたもの――ミネラルウォーターや乾パン、懐中電灯、非常用コンロなど――は、消費期限が過ぎていたり、電池やカセットコンロの寿命がオーバーしていたりで、買い替えることになる。これも安心料といえばそれまでだが、大地震に見舞われた際、とっさに防災グッズを手にするだろうか。クローゼットに置いていることを忘れる可能性もある。
 フェーズフリーとは、「『備えられない』ことからはじめる、新しい防災の考え方」だ。「非常時を起点に考えるのではなく、日常時を起点として、普段の生活で便利なものを、非常時にも価値が発見されるようにデザイン」するということである。
「まさか」を想定して、できる限りの機能を付与するということではない。ポケットとかチャックなどがたくさんついているジャケットなど、普段から身に着けられないだろう。デザイン的にかっこわるいものは日常から遠ざけられてしまう。
 オフィス家具や文具で知られるコクヨのコンパクトテーブル「MULTIS」は、幅60cm、奥行き60cmと小さく、誰でも持ち運べるものだ。脚にはマグネットがついているため、簡単にテーブル同士を連結することができる。普段はソロワーク用に使っていたものが、瞬時に災害対策本部のためのミーティング用デスクに切り替えられる。食品メーカーの明治の液体ミルクは、専用のアタッチメントでスチール缶に乳首をつければ、哺乳瓶さえ使わず誰にでも授乳することが可能だ。非常時において水道やガスが使えなくても、普段から赤ちゃんが飲み慣れていれば、使えるだろう。
 防災カタログがいらなくなること。それがフェーズフリーな社会の究極のありかたである。モノだけではない。本書は災害(Disaster)を、危機(Hazard)が社会の脆弱性(Vulnerability)と出会うことで起こる被害と定義している。地域のつながりや人と人との関係性ができている社会は災害による被害の度合いは低く抑えられ、できていない社会は甚大になる。ボランティア活動は素晴らしいことだが、思いのある人、一定期間仕事を休める人、定年退職した人、お金や時間、体力に余裕のある人という一部の人に限られる。被災者が自ら支援者にも転じられるような日常を送る。それが社会の脆弱性を社会の耐性へと変えていくのだろう。(芳地隆之)