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当協議会副会長 大須賀豊博(福)愛知たいようの杜理事長インタビュー~遠回り、すればするほど、仲間が増える~
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大須賀 豊博(おおすか・とよひろ)さん(写真左) 2004年、社会福祉法人「愛知たいようの杜」へ介護職員として入職。 その後、事務長を経て2013年4月より理事長。
聞き手/ 松田 智生 (生涯活躍のまち推進協議会理事)
構 成/ 芳地 隆之(生涯活躍のまち推進協議会事務局長)
見えないものを見えるようにする
松田 ゴジカラ村はいつ設立されたのですか。
大須賀 1986年です。今年(2024年)で38年を迎えます。スタートは幼稚園でした。愛知たいようの杜を立ち上げた吉田一平は長久手村(当時)生まれ。学校を卒業した後は名古屋市内の商社に勤めていました。高度経済成長の時代で、日本全国を飛び回っていたのですが、無理をして身体を壊し、自宅療養することに。それがまちや地域を見つめ直すきっかけになりました。名古屋市内の地下鉄が地元まで伸びてきたころでした。それによって山は削られ、雑木林は伐採され、田畑は埋め立てられる。そんな光景を見て、自分の故郷が失われてしまう、この土地をこのまま残さなくてはいけないと思った彼は会社を辞めます。先祖代々引き継がれてきた土地を守り、後から来る世代が、自分が楽しかった子どものときのように、雑木林のなかで遊び回れる幼稚園をつくろうと思ったのです。
松田 モーレツサラリーマンだったときには見えなかったものが、体調を崩したときに見えてきたのでしょうね。
大須賀 立ち止まったときに見えるものってあるじゃないですか。車で走っていると通り過ぎるけれども、歩いていると、「こんなものがあったんだ」と気づく。そんな感覚だと思います。森の中で幼稚園を始めてわかったのは、自分たちだけではできないことがたくさんある——子どもたちは森のなかに隠れてしまったり、どこかに行ってしまったりするので、幼稚園の先生が面倒見切れないというんです。それはそうですよね。先生たちは教室で歌を歌ったり、お遊戯をしたりすることを学んできたのですから。
子どものためにつくった幼稚園で先生が苦しんでいるのはなぜかと考えた吉田は、「自分たちだけでやろうとするからだ」と思い至り、地域住民に相談しました。すると近所のおじさん、おばさんたちが「一平さん、あんたがそんなに困っているんだったら、私たちが手伝ってあげるよ」。幼稚園で子どもの見守りをしてくれたんですね。しかも「助けにきてくれた」当人も生き生きしてきた。
当法人の特別養護老人ホームのなかには託児所をつくりました。といっても私たちが運営しているわけではありません。幼稚園の元先生が空きスペースを改修して、「子どもを預かる場」にしたのです。高齢者は寂しいから、子どもがいればいいよね、というのが始まりでした。とはいえ、特養は柱1本まで高齢者向けに建てられているので、託児所は目的外使用になってしまいます。そこで「たまたま託児所の先生と子どもたちが遊びに来ている」ことにしました。地域のなかにありながら、地域の人とは交流がなく、介護する人でなければ、なかの様子を知ることもない特養を開放していったのです。見えない世界をいかに見えるようにしていくかが大事で、その後、国による制度の見直しがあり、特養の建物のなかにある空きスペースを住民に開放することで地域貢献になればいいと変わっていきました。
芳地 ゴジカラ村の施設のひとつ「生きがい支援・どんぐりの杜」で、地域の高齢者が子どもを預かって面倒をみているのを見た役所の子育て支援課の職員に「ここは無認可保育園」と指摘された際、「これは子育て支援施設ではなく、高齢者の生きがい支援の場です」と説明したら、承諾されたというエピソードを思い出しました。
大須賀 視点を変えて物事を見れば、世の中でできることはたくさんあります。高齢者施設の入居者は寂しい、働いている職員は忙しい、ならばどうするか。ボランティアを頼む際には、お願いの仕方をもうひと工夫した方がいい。私たちはつい「お年寄りが寂しくしているので、歌のボランティアさん、来てください」と、こちらがほしい人を探そうとします。そうではなく、「困っている」を前に出す。コロナ禍の時、いままで建物のなかで歌を歌ってくださっていた方々が入れなくなった。どうしたらいいでしょうと歌のサークルの方々に相談したところ、「ならば窓の外から歌を届けてあげればいい」と屋外の合唱となり、それがいまではいろいろな形に進化しています。地域で大きな音を出せる場所は限られていますよね。私たちの施設は高齢者と子供向けが多いので、大きな音が出せる。地域の人たちは大きな音を出したい。ならば特養の前でどうぞと。最近では三線の演奏の練習をするお母さんがいます。地域の歌謡発表会くらいしか歌う機会のなかった人も気持ちよさそうに声を出しています。いまは「音を届けるボランティア」を募集しているんですよ。
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芳地 地域の方々には「〇〇をしてほしい」と頼むのではなくて、「〇〇で困っています。どうしたらいいでしょう」と投げてしまう方がいいとおっしゃっていましたよね。
大須賀 地域には各分野で優れた人が必ずいます。たとえばデイサービスとして散歩をしたら、綺麗な花をバックに写真を撮りたくなるでしょう。介護職員はたいへんだとはいえ、写真くらいは撮れる。けれども、「介護職員は車椅子を押さなくてはいけない、認知症のお年寄りはあちらこちら動かれるので手をつないで歩く。だから写真を撮れないんです。どなたか撮ってくれる方はいませんか」と出会った人にぼそぼそ話すんです(笑)。すると「どこどこの誰それさんは写真が得意だから話してみる」という返事がきて、「大須賀さんのとこ、困っているんだって? 俺でよかったら写真撮るよ」という方が現れる。こちらは「いいんですか。ありがとうございます」というように仲間が増える。
松田 「交流・居場所」「役割・しごと」は生涯活躍のまちの要素ですが、それを実現するには、仕組みと仕掛けが必要ですね。
大須賀 ゴジカラ村には「ぼちぼち長屋」という1階は介護が必要な高齢者、2階は独身女性などが住む共同住宅がありました。そこでは「チャボまし料」という、高齢者以外の住民向けの家賃払い戻し制
度を採り入れました。高齢者に「おはようございます」「いってらっしゃい」「ただいま」など挨拶をするだけ。ゴジカラ村が飼っている動物(=チャボ)よりましな役割を果たすことに対する優遇措置です(笑)。ところが、たいてい「あの人はきちんと挨拶しないのに家賃を減額されている」など住民間でもめ事が起こる。そういうときにぼくらが言うのは、「言い争いはお年寄りの前でやりなさい」。もめ事を解決しようとするのではなく、いざこざの当事者を見守る場をつくる。そうすると落としどころがいつの間にか見えてくるんですよ。高齢者にしてみれば、日々変化のない施設でもめ事を見物するのは楽しいじゃないですか(笑)。
まちは形容詞で語ろう
松田 一方で、生涯活躍のまちの実現にあたり、行政との関係における課題は何だと思いますか。
大須賀 地方創生や生涯活躍のまちについて何となく自治体がわかり始めたのではないでしょうか。先進的といわれるまちは困っているからこそ、新しいことに取り組んでいる。困っていないまちは旧態依然のまま。しかし、現実には若い人が出て行ってしまう、このまちで子育てしない。進学や就職で自分のまちを離れると、自分の故郷に思いを寄せる機会が少なくなる。本当は故郷にいたいけれども、離れざるをえない人も少なくないと思います。
松田 故郷にとどまれる仕組みを模索すべきなのだけれども、人が減り始めてようやく腰を上げるという印象があります。
大須賀 兵庫県で高度成長期に造成された平屋の団地を見に行ったことがあります。「うちの団地では若い人が戻ってきてるんです」と地元の人が言うので、その理由を聞くと、家の敷地が大きいから。子どもたちは卒業や就職でいったん離れるのだけれども、3世代くらいが住める広さなので、戻ってもいいかな、場合によっては建て直そうかと思うそうです。ところが核家族向けだと難しい。3世代が住めるような家のあり方をはじめからデザインしていくのがいいのではないか。仮にその家が老夫婦の代で終わったとしても、それは魅力的な空間だと思うのです。
沖縄県には米軍から返還された基地の跡地をどう使うかという課題があって、その担当部署の職員やリゾート地の地主さんらがゴジカラ村の視察に来られました。その際にお伝えしたのは、「いまのまちづくりはどこも同じ」。中心部にショッピングセンターをつくって、その周りに住宅街をつくる。それでいいのですかと問いかけました。
松田 むかしは「寺社町」と呼ばれたように、まちの中心地には、参詣客を迎え入れる著名な寺院や神社がありました。現在は福祉をはじめ広く健康の機能がまちの中心になればといいということですね。
大須賀 モノを買うのに、通勤や通学に便利ということを中心に置かない方が、長く住み続けられるまちになると思います。駅の近くに家を買った人たちが、いまでは高齢化し、子どもはまちを離れ、誰も駅を使わない。駅前商店街も寂れていく。もったいないですよね。
松田 私は、たとえば地域で50時間活動したら、5万円の地域通貨を発行してもらえる、地域に貢献している企業には法人税を減税するというインセンティブが必要だと思っています。あるいは第二義務教育制度として、60歳になったら地域の課題や福祉を学ぶようにする制度設計が重要です。
大須賀 現代の私たちは人生で働く時間が増え、定年退職の年齢も55歳、60歳、65歳、さらには70歳と伸びています。それによって地域でボランティア活動をする人に時間的な余裕がなくなっている。働かなければならなくなったからですが、私たちは物事を数字で表そうとする発想から自由になったほうがいい。「なんとなくこのまちは雰囲気が明るいよね」というような感覚です。形容詞の魅力をいかに増やしていくか。好きな相手を選ぶ際に、体重が何キロ、身長は何センチ、なんていうことよりも、「この人といると楽しそう」というように、形容詞で表しますよね。RPIという調査会社が発表している「地域元気指数」では、たとえば、住んでいる人たちに「このまちに活気があると思うか、否か」といったアンケートをしています。それは移り住んできた人、受けいれた人がどんな気持ちなのかという心の声であり、数字ではないことに気づくと、まちづくりの進め方が見えてくるのではないでしょうか。
松田 脱KPI(重要業績評価指標)ですね。
大須賀 このまちは「暮らしやすい」の意味を繙くと見えてくるのかもしれません。会社や役所は数字、効率、成果が求められるが、地域や暮らしは形容詞を中心につくるべきと吉田一平は言っていました。長久手市長時代に、ベテランにも新人にも伝えていたのは、「遠回りをすればするほど、多くの人が関わる。うまくいかないほど役割が生まれる」。最短で成果を出すためには関われる人は限られます。まちづくりはそうじゃない。うちの法人は「うまくいってません」「思うように進みません」という。だから多くの人が関わってくれる。そういう進め方です。
役所は本来、効率性を重視する会社よりも、手間暇かかる地域の方に寄り添っていなければならないのですが、数字の評価を重視する傾向が強くなっている。それがうまくいっているかといえば、そうでもない。手間暇かけて多くの人が関わる地域になることが今後の地方創生にとって重要なのではないでしょうか。
芳地 高知県 に は KGH(Kochi Gross Happiness)※いう独自指標があります。県民所得などの経済指標では全国平均で低いのに、高知県民には自分が幸せと思っている人が多い。その理由を示したもので、「困ったときに助けてくれる人がいますか」とか、「女性が一人で飲みに行けますか」といった問いに対するYESの回答が多いそうです。
※ 高知県で2014年に官民協働で設立された「高知県の幸福度を考える県民会議(GKH県民会議)」の指標。ブータンにおけるGNH(Gross National Happins)の 考 え 方を参考とし、高知県独自の幸福度指標を策定すべく様々な活動を展開している。
大須賀 ある自治体から「人口減少からV字回復するのはどうしたらいいか」という質問を受けたことがあります。その際に答えたのは「信用金庫や農協など地域に根づいた組織が若い女性を採用する」。なぜならそれに寄ってくる男性も増えるから(笑)。あえて振り切って言いました。まちの基幹産業で多くの女性を登用する。ちょっと色がある「吉田イズム」です。
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自治体職員は「できません」という勇気を
芳地 役所に形容詞で語って動きますか。
大須賀 動きません(笑)。職員がまちに出たら、住民から文句ばかり言われて、出たくなくなります。ではどうするか。職員が「そんなことを言われても、ぼくにはできません」と住民に答える。「これ、どうするんだ」と住民から投げられたボールを、「どうしたらいいですか」と投げ返してみる。そうすると「予算ないんなら、わしらでやるわ」となるかもしれない。その際に役所には集めた税金を住民の役割とともに戻すという意識があるといい。
吉田一平は市長の時、住民に「悪いな、すまんな、申し訳ないな、あとはよろしく頼む」で動かしていました。言われた方は「市長に頼まれたら、いやとはいえない。人肌脱ぐか」となりますよ(笑)。その姿を見た市長が、声をかけ、励まし、お礼をいうと、またがんばろうとなる。吉田が首長になり、私が愛知たいようの杜を引き継ぐことになったときも、「悪いな、すまんな、申し訳ないな、あとはよろしく頼む」と言われました。そして「苦労すればするほど、あんたが豊かになる」とも(笑)。
生涯活躍のまち推進協議会もこの10年間、遠回りしてきましたが、そのおかげで関わってくれる人も増えたじゃないですか。その時間の長さに自治体の首長も耐えなければなりません。事を急ぐと、始めた途端にもめ事が起きます。始める前に「ああでもない、こうでもない」と言っていてから始めても、もめ事は変わりませんが、後者の方が仲間は増えます。
松田 組織のリーダーシップにはいろいろあって、ぐいぐい引っ張っていくリーダーもいれば、あまり押しは強くなくとも「この人のためにがんばろう」と思わせるリーダーもいます。大須賀さんが法人のトップとして心掛けていることは何ですか。
大須賀 シンプルに法人の方向性を伝えるように心がけています。私たちは「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん」を法人の理念にしてきました。平安時代末期に後白河法皇によって編まれた「梁塵秘抄」の中の歌で、「遊んでいる子を見たら、心も体もわくわくしてきた。子どもは遊ぶために生まれてきた、私たちも遊ぶために生まれてきた。何をするにしても楽しむことを大切にしたい」という意味です。子どもは誰かから遊びを教えてもらうわけではありません。人は誰でも遊ぶ力をもっているのに、それを会社勤めで忘れてしまう。介護の現場でも職員が楽しそうに働いていれば、その姿を見ている高齢者も楽しくなりますよね。まちづくりも同じ。遊ぶ、楽しむ。役場の職員がそんなふうに働いていたら、住民もうきうきしてくると思います。
リーダーシップに話を戻せば、まず前向きである。「やるよ、いくよ、始めるよ」と音頭をとる。そして誠実である。換言すれば有言実行ですね。相談されたことをほったらかしにしない。それによってリーダーと部下との間に信頼が生まれるのです。