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おいしい、楽しい、おしゃれを大事にしたい〜コミュニティのもつ自然治癒力〜
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「地方創生から10年」インタビュー⑨
宇都宮 越子(うつのみや えつこ)さん
医療法人久仁会 宇都宮病院 副理事長・企画室長、認定NPO法人健康とコミュニティを支援する『なるコミ』 代表理事(MBA・日本抗加齢医学会指導士・薬膳アドバイザー・看護師・介護支援専門員)
大阪府吹田市出身。筑波大学医療技術短期大学部看護学科卒業。大阪大学医学部付属病院で看護師として勤務後、大阪府立千里看護専門学校で教員として看護師の育成に携わりながら、芦屋で美容サロンを主宰。2010年、結婚を機に和歌山へ。宇都宮病院の理事として経営や企画に従事。
2015年、地域の健康とコミュニティを支援する新しい施設『なるコミ』を開設。和歌山薬膳ランチの提供や、地域のボランティア講師が行う体操やヨガ教室、鳴神ファーム、子ども食堂など多世代交流の場として活用。2017年、大阪市立大学経営学研究科でMBA(経営学修士)を取得。日本エステティック協会フェイシャルエステティシャン、ネイリスト、アイリスト、ティーインストラクターなど様々な資格を保有し、健康・食・アンチエイジング・コミュニティなど様々な視点から、健幸長寿や生き生きとしたライフスタイルを提案している。
聞き手/ 松田 智生 (三菱総合研究所主席研究員/生涯活躍のまち推進協議会理事)
構 成/ 芳地 隆之(生涯活躍のまち推進協議会事務局長)
――なるコミという地域の元気のエンジンとなる拠点をつくった宇都宮さんですが、ご自身のここまでの歩みを教えてください。
私は大阪大学医学部付属病院(阪大病院)で看護師をしていました。看護師になった動機は母が乳がんになったことです。私が高校2年生の時でした。自宅でピアノ教室をしていた母の影響もあり、私は音楽大学に進学することを考えていたのですが、母の入院していた阪大病院の看護師さんが献身的に寄り添ってくださる姿に感銘を受けました。当時はまだリハビリテーション職が病棟で活躍しているという実績があまりなかった時代。看護師が医療用器具などを使うことなく、腕が上がるようにしてくださっているのを見て、「本人の自然治癒力を上げていくのが看護の力なんだ」と思いました。医師は検査や診察をして、治療や薬の処方をします。一方、看護師は笑顔とコミュニケーションと医学的な知識でもって、患者さんを元気にする。手術をするのは医師でも、その後、患者さんが回復し、もとの生活に戻ることができるのは看護師のおかげではないかと。私も患者さんのもつ自然治癒力を上げていく知識や技術を着けたいと思い、筑波大学医療技術短期大学部看護学科に進学。卒業後は母が入院していた阪大病院で勤務をすることになりました。
――病院ではかなりお忙しかったようですね。
当時はワークライフバランスという考えもなく、残業続きでした。休日には勉強会もある――これは大学病院ならではのいいところですが――ので、その翌日に夜勤が入るのも普通でした。忙しいとはいえ、臨床の現場では患者さんから本当に感謝されるので、この仕事にやりがいを感じていました。ところが、30歳を目前としてにバーンアウト(燃え尽き症候群)に陥ってしまい、「これはちょっと休まないといけないな」と思い、退職。ところが、それから1カ月後にかつての先輩から、看護学校の教員にならないかという連絡がありました。「1カ月、休んだから、大丈夫でしょう(笑)」ということで、大阪府立千里看護専門学校で教えることになりました。
――その間にいろいろな資格を取得されたと伺いました。
専門学校の教員をしながら、お休みには自ら美容の専門学校に通って、エスティシャンやネイリストの資格を取りました。アートメイクの資格は20代に、韓国人のアーチストから「これからは看護師などの有資格者でないとアートメイクが施術できなくなるから」と技術を伝授していただきました。アートメイクとは皮膚の比較的浅い部分に専用の針を用いることによって、眉の入れ墨や唇に色を入れる、傷の上にうすだいだい色を乗せるなど皮膚に色素を定着させる医療行為です。そうした技術を身に着けることで、千里看護専門学校の閉校後、様々な学校の非常勤講師や三宮のアンチエイジングクリニックの立ち上げなどを手伝いながら、兵庫県の芦屋にエステサロンを立ち上げました。
――エステサロンではどのようなことをされていたのですか。
私は看護師免許をもっているので、成人病センターの師長さんから、がんの手術をした方を紹介されることがありました。抗がん剤の治療でもろくなった、あるいは色が変化した爪のケアをしたり、眉が抜けてしまった方の眉を入れたり。普通のエスティシャンやネイリストではできない仕事をいただくようになったのです。
――ネイルアートによって気分が上がるとはよく聞きます。
長年、介護していたお母さまが亡くなったことで、これまで張りつめていた気持ちがぷつんと切れてしまい、引きこもっていたという方が来られたことがあります。「これではいけない、気分を変えるためにネイルをしてもらおう」と思ったそうです。お化粧は鏡を見ないとわかりませんが、ネイルはいつも目の前にあるので、きれいだとテンションが高くなるんです。人と会話をするとき、ときどき視線を落とすことがありますよね。そうすると視界に爪が入る。男性もきちんとケアした方がいいですよ(笑)。その月のラッキーカラーをつける人もいます。これで運がつくと思ったり、外出しようという気持ちになったりするそうです。これも自然治癒力のひとつだと思いました。
――その後、ご結婚されて、和歌山へ行くことになったのですね。
はい。宇都宮病院の院長・理事長である宇都宮宗久と結婚したのですが、当初は「週末婚でいい」と言われました。芦屋のエステサロンを経営していたので、平日は兵庫で仕事をし、週末だけ和歌山へ来てくれればいいと。ところが病院の経営をみると、経営の実権を高齢の事務長が握っている状態で、しかも不透明な会計が発覚。それによる莫大な返還金が生じたため、「週末婚」どころではなくなり、宇都宮病院の理事として経営に関わりながら、一看護師として現場にも立つことになりました。
――病院の立て直しではどういうところに一番気を使われましたか。
当院はもともと消化器の手術を専門としていましたが、手術は大きな病院がするようになったことで、和歌山県で初めて療養型病床を設置しました。すると周囲からは、「あそこは一度入院したら出られない。入るときは入り口からだけれど、出るときは裏口」などとイメージが悪くなりました。この病院では何をしているのか、外から見えなかったからでしょう。院内の雰囲気も明るくはありませんでした。そこで私は地域連携室を立ち上げ、地元の病院や介護福祉事業所、包括支援センターなどを回って、協力関係を築いていき、慢性期医療・回復期医療、在宅医療に力を入れるようになりました。とはいえ、和歌山県では高齢者人口も減少に転じ、医療・介護ともに需要の低下が見込まれている。と同時に人材確保も厳しい。その両方の課題に柔軟に対応することが経営課題となりました。
――病院が直面するピンチを前向きに捉えてチャンスに変えた。これが「なるコミ」(和歌山市鳴神にあるコミュニティ)へとつながっていくのですね。
地域ニーズの聞き取りをしたところ、住民の交流機会が減少し、引きこもりの高齢者が増加しているという実態が見えてきました。病院敷地内にある「なるコミ」の建物は、かつての看護師寮です。看護師が入居しなくなり、倉庫として使っていたそれを、当初は介護施設にと考えていたのですが、「近くには介護老人保健施設や特別養護老人ホームを運営している病院もある。わざわざ競合するような施設をつくる必要はない」という院長の判断から、ここを地域の居場所にしようということになりました。
とはいえ、人が集まらなければ、コミュニティにはなりません。では、どうやって人を集めるのか、おいしいものだろうと、薬膳ランチを提供することにしました。疲労回復のため、身体を温めるためなど、訪れる方々には、その効能なども説明するので、自然と会話も生まれます。薬膳の考え方は医食同源。季節の旬の食材を組み合わせる。冬から春に向けては、冬にため込んだ有害物質や老廃物を輩出するデトックスの効果がある、ちょっと苦みのある、この食材がいいですよとか。コミュニケーションのツールにもなっています。
――人が集うには「おいしいもの」が大切なのですね。ここは病院の外来食堂とのことですが、病院の施設にはぜんぜん見えません。
これまで病院に入っていた給食がおいしくなくて、なんとかしないと、と思っていたところ、和歌山市内を中心に居酒屋を展開している株式会社中心屋の斎藤忠孝社長と知り合いました。給食事業を行っている会社のコンサルティングもしている同社長に相談したら、中心屋の居酒屋チームの方々が、人材開発支援助成金などを使って薬膳の資格を取得し、食堂の営業時間である日中に厨房に入ってくれることになったのです。
――薬膳ランチに使われている器もとてもきれいですね。
有田焼もあります。食事で多くの小鉢を使う文化は日本だけであり、こういうところの豊かさを忘れたくないと思ったからです。高齢者住宅の入居者の方が、お出かけ先として薬膳を食べに来られることもあるんですよ。
――地域の人が集う拠点には、楽しいことが必要ですが、ここには面白そうなプログラムがたくさんありますね。
最初にできたのは「なるコミ体操」と「健康フラダンス」でしたが、ヨガ、ピンポン、鳴神子ども食堂、ベビーマッサージなど健康や趣味に関するプログラムがどんどんできています。住民の皆さんが考えるんです。たとえば、フラダンスの先生がウクレレの先生を呼んできてくれて、ウクレレ教室ができたり。風水開運教室があるのは、「なるコミ」に通っている方が「風水を習いたい」と自分で先生を連
れてきたのがきっかけでした。
私はここの責任者ですが、サーバントリーダーシップ、いわゆる奉仕型というか、私が仕切っていたら、人の関係は私の知り合いに限定されてしまいます。皆さんが思っていることを支えると、私が思ってもみなかった面白い展開が生まれる。その方が楽しいじゃないですか。ちなみに「なるコミ」を立ち上げる際に決めたのは、よくある健康教室は開催しないということ。病院がコミュニティに関わると、「高血圧について、心不全について、〇〇先生がお話します」というものになりがちです。そうすると健康に対する意識の高い人は集まるけれども、健康に無頓着な、本当は一番来てほしい人が来なくなるのです。
――高齢者だけでなく子どもたちの居場所もつくられました。生涯活躍のまちが目指すモデルは、居場所と役割のある多世代のコミュニティづくりですが、それを既に実践されています。
当初は看護師の子どものための院内保育園としてキッズルームを立ち上げたのですが、和歌山県内は待機児童がゼロだったので、地域に開放しようと。そうすると、親御さんが車で子どもを連れてくるようになりました。皆さん、おもちゃや絵本、さらにはピアノやテレビなども寄付してくださるんですよ。
――自分たちの場所だという意識の表れですね。宇都宮さんはあえて「なるコミ」に顔を出さないようにしているとおっしゃっています。
医療従事者は私を含めて「仕切りたがり」が多いんです(笑)。そこをぐっと抑えて見守りに徹するようにしています。コミュニティが自ら動きだすのを待つ。これも私が大事にしている自然治癒力と通じるところがあるかもしれません。
――ぐっと抑えて見守りに徹することは、しようと思ってもなかなかできることではありません。多くの仕切りたがり経営者が学ぶことですね。「なるコミ」が病院経営に与える影響にはどんなものがありましたか。
たとえば、当院に入院されていた方が退院後、「なるコミ」に通ってくださるケースがあります。一方、健康な方が、ここが病院の関連施設であることを知って、ワクチンの接種や生活習慣病の検診を受けてくれることもあります。「なるコミ」のおかげで病院の敷居が低くなったのではないでしょうか。「なるコミ」単体では収益を生み出しているところまで来ていないのですが、法人全体の収益には貢献しています。病院の利用者数や病床の稼働率の上昇もさることながら、社会貢献活動に取り組む病院で働きたいという専門職の応募も増えました。
――あえて課題があるとすれば、どんなことですか。今日のプログラムの参加者をみると、男性の高齢者がなかなか集まらないというころでしょうか。
将棋クラブの参加者は大方男性ですが、それ以外のプログラムはほとんどが女性ですね。やはり男性には「おいしいもの」と「お酒」ということで、統括部長・地域連携室長の柴野が「おやじ食堂」を企画してくれています(笑)。お宅のお父さん、一時預かりますと。料理の得意な人が腕を振るい、みんなで食べて、飲んで、楽しいひと時を過ごし、終わったら当院のスタッフが車で家まで送迎をするというものです。
――私はコミュニティの活性化には一歩踏み出せない男性の背中をどう後押しするかが課題と思っています。あまり真面目に考えずに、先ずはスナックからどうか。高知県に移住した釣りバカ日誌の元編集者の黒笹さんは、「美人ママのスナックと美人女将の小料理屋には必ず男は集まる」と力説されていました。宇都宮さんが月1回くらいママになる「なるコミ・スナックの越子ママ」はどうでしょうか?(笑)。
カウンターに立ったら、皆様の健康相談もできますね(笑)。
取材後記
病院の再建、地域活性化の好循環を実現している「なるコミ」は、生涯活躍のまちの先駆的モデルと再認識しました。宇都宮さんの言われる人が集うポイントは「おいしいこと、楽しいことと、おしゃれなこと、そして普段の生活でときめくこと」。お堅く真面目になりがちな地方創生政策に一石を投じる至言です。 (松田智生)
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