7月30日(金)、金沢大学において日本学術会議中部地区会議主催「高齢社会を生き抜くための取り組み」と題する学術講演会が開催されました。当協議会の会長である雄谷良成は社会福祉法人佛子園理事長として登壇。「The ごちゃまぜ 看取り合う共生社会」というタイトルで講演しました。

金沢大学医学部で公衆衛生学の講義を受け持っている雄谷はその際にいくつかの問いかけをしたそうです。

「高齢社会を生き抜く」の主語は誰ですか? 「生き抜く」とはどういうことなのですか? そもそも認知症とは不幸なのでしょうか?

雄谷は学術会議の先生方に問題提起をしたのでしょう。自ら何らかの答えを提示するのではなく、佛子園における取組を紹介しながら、参加者の方々に考えてもらうという講演だったと思います。

この話を聞いたときに、思い出したのが『おらおらでひとりいぐも』という小説でした。

主人公は74歳でひとり暮らしの日高桃子さん。故郷の東北を飛び出し、東京で同郷の周造さんと結婚。一男一女に恵まれるも、夫は先立ち、子どもたちとは疎遠な毎日。東京で暮らして50年近くになるのに、最近では東北弁が頭と心の中を行き交っています。田舎の「ばっちゃ」が着けた前掛けの干し大根のような甘い匂いや東京で初めて会った夫が語る東北弁など、昔の思い出が鮮やかに蘇り、あちこちに飛ぶ思考はときにジャズのような言葉のセッションになる。また、自分のなかの「柔毛突起」(小腸の内面の粘膜に密生する指状の小突起のこと)がもうひとりの自分になって話しかけてくるのです。

桃子さんは普段は失語症のように他人の前では話せないのですが、心のなかは実に多弁。「おらおらでひとりいぐも」とは人生でやることはやったという桃子さんが、これからは誰に、何に気兼ねすることなく生きていくという決意の表現でもあります。

「認知症になった人はこれまでの人生とは別人格になることはない」と雄谷は言います。また、「認知症の人が食事の後に『まだ食べていない』と言われたときには、『食べたでしょ』とか『忘れているの』とか言わず、たとえば『何を食べましたっけ?』と聞いてみる。それが直前の食事か、あるいは朝ごはんかは構わない。尋ねることが大事」とも。

『おらおらでひとりいぐも』の桃子さんは認知症ではありませんが、たとえ認知症になっても、彼女の頭や身体のなかをめぐる豊穣な言葉はそのまま生き続けるのではないでしょうか。

著者の若竹千佐子さんは55歳から小説講座に通い始め、本作で文藝賞を受賞したのは63歳。史上最年長の受賞だそうです。翌年には芥川賞を史上2番目の高齢で受賞されました。また、田中裕子さん主演で映画化もされています。機会があればぜひ。