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ちょっと寂しいくらいがちょうどいい~作家・久田恵さんインタビュー~
インタビューシリーズ「地方創生から10年」の第4回は作家の久田恵さん。栃木県那須高原にあるサービス付き高齢者向け住宅「ゆいま~る那須」に久田さんが入居したのは2018年、70歳のときでした。自分の気に入った場所で、ひとりで自由に暮らす。同じような生き方をしている人たちと一緒にコミュニティをつくっていく――そんな場所として移住してから6年を経た現在、久田さんは東京の実家でひとり暮らしをされています。それはどうしてか。那須と東京の暮らし、そして自分にとっての終の住処についての考えをお聞きしました。
聞き手/松田 智生(生涯活躍のまち推進協議会理事)
構 成/芳地 隆之(生涯活躍のまち推進協議会事務局長)
いいも悪いもひっくるめて、それがサ高住
松田 久田さんが那須に移住されたころは、国が首都圏の高齢者に向けて、元気なうちに地方へ移住し、自分らしく生きていくという日本版CCRC=生涯活躍のまちを提唱していた時期と重なります。サービス付き高齢者向け住宅(以下、サ高住)「ゆいま~る那須」ではどんな暮らしをされていたのですか。
久田 「ゆいま~る那須」を訪ねたのは2017年2月です。取材が目的でした。そこで元雑誌記者の入居者から、「ここでは自分たちでセイフティネットをつくる。各自が役割をもちながら、健康管理や社会貢献をめざす」という話を聞きました。お母さまも「ゆいま~る」シリーズのハウスに入られていたそうで、彼女の言葉から、「行政や企業を頼りにするのでなく、自分たちのコミュニティを自分でつくる」覚悟のようなものが伝わってきたのです。また、隣の「森林ノ牧場」の匂いに北海道育ちの私は郷愁を誘われました。私はシングルマザーでしたが、老いて子どもと同居はしたくなかったので、父親が亡くなったあとは息子夫婦に東京の実家を託し、すぐに「ゆいま~る那須」に入居することに決めました。
松田 実際に暮らし始めて、いかがでしたか。
久田 「ゆいま~る那須」に入居してきてわかったのは、人の出入りが多いということです。いろいろな理由で入ってくる人、出て行く人がいる。入居者には元公務員も、長年企業で働いていた方もいる。積極的に他の入居者と関わる人もいれば、あまり人と関わることなく、静かに暮らしている人もいます。男女比は女性が80%、男性が20%くらいでした。入居後にもっと広い、あるいは狭い部屋への移動もできます。
いったん入居したら次の選択がないわけではなりません。「ゆいま~る那須」のよさは個人のことをあれこれ詮索しないこと、入居者を一切管理しないこと。この年齢になってここへ来た人には、慟哭したくなるような過去がひとつやふたつはあるだろうと思いますが、お互いの距離のとり方が上手で人のことに干渉しないんです。と同時に、他の入居者がいま何をしているのかは気になるようで、噂話はしょっちゅう(笑)。今日は昨日の続きで明日も同じ。そんな空気に包まれているから、ちょっとした変化でもみんなの脳が活性化されるのかもしれません。
松田 2022年に上梓された『ここが終の住処かもね』は、久田さんの「ゆいま~る那須」での暮らしをベースにした小説だと思います。そこで久田さんの分身と思われる主人公カヤノが、「いいやつでも、いいやつじゃなくても、べつにいいやと、思っているし……」と語るシーンがあります。入居者のなかには意地悪な方もいらっしゃいますよね(笑)。
久田 小学校のクラスと一緒ですよ。学級委員のようなリーダータイプもいれば、引っ込み思案タイプもいる。いじめっ子やいじめられっ子のような関係もあり、それでいてクラスとしての調和も不思議と保たれている。いい人も、そうでない人も、ひっくるめてサ高住という共同体。自分で決めてやってきた人たちですから、気が合う、合わない、はあっても、みんな捨てたもんじゃない。私は昔からの仕事の相棒に、「あなたにかかったら、みんないい人になる」と言われるのですが、それは自分がノンフィクションを書いてきたなかで、人間の裏も表も見てきたからかもしれません。
松田 人間関係に疲れて、東京に戻ったのではないのですね。
久田 那須では野外劇などを開催するための土地を借りて「原っぱプロジェクト」を立ち上げたり、学校に通って介護の資格も取ったり、その過程でたくさんの友人ができました。「ゆいま~る那須」での暮らしは有意義で楽しかったのですが、東京の実家が空き家になってしまったんです。息子夫婦が出た後は、親戚が暮らしていたものの、昨年、急に引っ越すことになった、どうしようと。そこで実家に帰ってみると、居心地がとてもよかった。20年間、父と暮らしてきた家ですから当たり前ですね。そこでサ高住の退出を決め、戻ってきました。
松田 久田さんのすごいところは決断したら、すぐに実行に移すこと。こうしたいと思っても、行動が伴わず、手遅れになるというケースは、高齢者の住まい選びによく起こることです。
久田 私は老後にのんびり暮らせるだけの年金がないフリーランスなので、生涯働き続ける必要があります。ところが「ゆいま~る那須」ではその多くがボランティア。市街地から離れていたので、ライターとして働く機会も少なく、お金の面での心配もありました。
安心感があるから人生を楽しめる
松田 終の住処がサ高住から実家へと変わったのですね。
久田 私は放浪癖があって、若い頃からあちこち転々としてきましたが、この年齢になると、これまでのように「なるようになる」とはいかず、どこで最期を迎えるかを考えなくてはいけません。いまのところ、年齢を重ねて要介護状態になったら、両親が亡くなるまで入居していた、家の近くの有料老人ホーム「シルバーヴィラ向山」に入ろうと思っています。ここは創設者・岩城祐子会長の方針で、酒・タバコOK、門限なし、入居者同士の恋も自由。高齢者専用長期滞在ホテルのような、かつ富裕層向けではない施設で、拙著『母のいる場所』で紹介しました。毎月、コンサートやイベントがあり、サークル活動も多彩。学生向けの介護体験実習や地域の方々にプールの開放もしています。祐子会長は積極的に恋愛を勧めていて、入居者同士のマッチングもしていました。
松田 私の知っている高齢者向け住宅でも色恋は日常茶飯事だと聞きました。
久田 異性を感じると女性はお化粧するし、男性もお洒落に気を使います。いくつになっても恋は人を元気にするし、シニア世代ほど疑似恋愛感情が必要なのかもしれません。私は「シルバーヴィラ向山」の職員と顔なじみということもあり、食堂で食事をとったり、「転ばない体操」に参加したり、入居者の皆さんとおしゃべりやトランプなどをしたりしています。ひとり暮らしをしていると、食事はとても助かります。誰かと一緒に食べる方が楽しいですし。ただ、私が出入りさせてもらっているのは、『母のいる場所』を書いたからということがあり、誰でも出入り自由というわけではありません。老人ホームがもう少し地域に開かれて、食堂が「子ども食堂」ならぬ、「シニア食堂」になればいいなと思います。
松田 自然豊かな地方と都会での暮らし。その両方を経験された久田さんから、シニアに向けてのメッセージをお願いします。
久田 私が集住と独居をした経験からいうと、「住まうありきよりも集うありき」だと思います。それはサ高住に住むか、自宅に住み続けるかの住まいの選択でなく、誰かと集い、交流する居場所や役割が必要ということです。自宅にしろ、施設にしろ、終の住処が決まっていて、そこに集う仲間や役割があれば、安心できる。残りの人生を楽しめる。そして、その選択を自分の意志で決めることが大切です。人は年齢を重ねると、孤独になることが避けられません。でも、人生は寂しいくらいがちょうどいい。そう思って生きていると、気持ちが楽になるのではないでしょうか。