「昨日はいいお天気で、明日も晴れといわれているでしょう。その間の今日は雨になってしまって残念ね」

4月20日(日)の朝、マリンタウンの仮設住宅にお住まいの女性が苦笑いしておりました。その後の「コミセンマリンタウンBASE」の開所式で、雄谷良成・社会福祉法人理事長・公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)会長はその声に呼応するかのように挨拶の冒頭でこう述べました。

雄谷良成・佛子園理事長、JOCA会長

「こんな天気の日でも、住民の皆さんが安心して集まれるのがコミセン(コミュニティセンター)です。東日本大震災の時には(集会所はあっても、福祉の機能を有する施設は)ありませんでした。住民の皆さんが何か困ったとき、心身の不調があるときなど、これまでは仮設見守りのスタッフがそれを聞いて関係各所に連絡していましたが、コミセンは、元気な人も元気でない人も来られるところです。ごはんをつくれない人、ひとりでお風呂に入るのが不安な人にもワンストップで対応します。仮設住宅の住民の皆さんだけでなく、地域の人が駆けこめる日本の災害支援で初めて生まれた施設です。輪島市では5月に門前、6月に鳳至、来年は町野にコミセンが開設していきます。(能登半島で被った被害に対する)反撃の狼煙を上げましょう」。

災害支援において前例のなかったコミセン設立に尽力したのは佐々木紀・衆議院議員です。佐々木議員は発災以降、仮設住宅には台所もお風呂も設置するのに、どうしてコミセンが必要なのかという国に対して、その必要性を粘り強く訴えてこられました。佐々木議員はこう語りました。

佐々木紀・衆議院議員

「高齢化が進む能登半島には不可欠なんだということを国は理解してくれました。能登半島の教訓を活かすべく、災害対策基本法に福祉の役割を位置付ける改正にも取り組んでいます。コミセンはこれからの災害支援の標準になっていくでしょう。ふらりと歩いて行けるところに皆さんが集まり、食事をし、お風呂に入れる場所ができたことを、皆さんと一緒に喜び合いたいと思います」

坂口茂・輪島市長は、他の市町が方向性を変えていくなか、輪島市としてあきらめることなく、仮設住宅の敷地にコミセンのスペースを確保し続けました。

坂口茂・輪島市長

「多くの皆さんが災害により楽しみの場所を失いました。それを取り戻すためのコミセン。佛子園・JOCAの尽力に支えられ、私は何度も国に依頼し続けました。もうだめかなと思う時もありましたが、その都度、佐々木議員からも励ましていただき、実現の運びとなりました。ここを拠点に多くの方に元気を取り戻してもらいたい。輪島市は仮設住宅から終の住処を入ってもらうよう手立てをしていきます。そのときまで皆さんで活用していきましょう」

石川県は馳知事の主導で、仮設の入居は抽選にせず、なるべく集落単位で移住を進めました。石川県健康福祉部の塗師亜紀子部長は、「コミセンマリンタウンBASE」は奥能登で初めて新設されたコミセンであることを挙げ、「コミセンでは相談支援もされると聞いています、それが孤立防止、賑わいづくりつながることを祈念しております」

塗師亜希子・石川県健康福祉部長

コミセンは住民が主体となって使っていく場所です。この日の司会はマリンタウン第一団地にお住いの橋詰さん、名野さん。佐々木議員も坂口市長も塗師部長も来賓というよりも、一緒にここまで歩んできた仲間といえるでしょう。

「コミュニティって、寄り合いとか、集まりという意味だよね」という70代の男性は、「仮設のお風呂は使い慣れないから、輪島KABULETなどの温泉を使っていた。ここができれば、歩いて来られるからいいね」。輪島朝市の自宅兼工房で漆職人として働いていたそうで、発災後の火災で着の身着のまま自宅から退避したとのこと。現在は奥様と一緒に暮らしておられます。

「仮設住宅では知人や親戚が来ても場所がなかった。これからは、ここに連れて来られる。そこに行けば誰かと会えるかもしれないというのがいい」

こちらが「仮設住宅の方々の(開所式への)出足は若干遅いですかね」と聞くと、

「輪島の人はね、太鼓の音を聞くと『あ、何かやっているな』とやってくるんですよ。行事があったら、太鼓を叩いたらいいのではないかな」

外のテラスで食事を楽しむ仮設住宅の皆さん

それを先取りしたかのようなステージを披露してくれたのは「13(イザ)!ミュージック」のお2人(けんちゃんとマー坊)。会場の皆さんにもアフリカのジャンベ、ブラジルのトゥバーノなどの太鼓を渡して、みんなでセッションしました。打楽器はけんちゃん、マー坊はインディアン・フルートで『テキーラ』や『ミッキーマウスマーチ』の演奏を。なるほど音楽は人を立ち上がらせる力がある。太鼓や笛に寄せられて住民の皆さんも徐々に集まってきました。

イザ!ミュージック(左:けんちゃん、右:マー坊)

「輪島は発災後、食事をするところがなかったから、うれしいわ」というのは近所にお住いの女性。仮設住宅に住むお友だちと食事に来られました。「でも味がよくなかったら来ないわよ」と釘を刺していましたが、コミ食堂いちおしのコミセンラーメンを食べる表情はほころんでいました。

別の女性からは「コミセンからいい匂いが漂ってくるのがいい。匂いが人を呼ぶのよ(笑)」とアドバイスも。太鼓と匂いが人を呼ぶ?

司会の橋爪さん、名野さんとともに仮設住民のまとめ役を担ってくださっている福島さんは、「ここで囲碁教室などもやったらいいと思うんですよ。大会にして勝負したら真剣になって面白いじゃないですか」

司会を務めた橋爪さん(右)と名野さん(左)。マリンタウンの皆さんのまとめ役を担っている福島さん(中央)。

コミセンでは高齢者デイサービスも行われるので、いろいろな目的で利用する人たちが交じって(=ごちゃまぜ)いきます。

佛子園とJOCAが1年4カ月前から取り組んできた能登半島地震・豪雨災害支援活動は、ここまで状況を動かしました。佐々木議員がいう「日本の災害支援の標準」が能登半島でスタートします。

コミ食堂の店長・白崎しのぶさんはマリンタウンの仮設住宅の住民。厨房に立つのはほとんどが地域の方。最高齢は77歳。コミセンは地元の雇用にも貢献しています。