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地方では「打席」に立つ機会が増える~Jリーグクラブ営業部長・東理香さんが語る東京と鹿児島での暮らし~
(ひがし・りか)♪死にたいくらいに憧れた花の都大東京~で都会生活をエンジョイしていたつもりになっていたが、33歳で社会人入学した法政大学人間環境学部にて、地方自治やまちづくりに対する意識の高い若者に刺激を受け、故郷への思いが募り始める。2008年、東京での同郷の集まりで地元からJリーグを!という話が盛り上がり、帰郷を決意。2009年にUターンし、2010年にFC KAGOSHIMA(県一部リーグ)発足に参加。2011~2013年九州リーグ(ヴォルカ鹿児島との統合)、2014~2015年JFL(鹿児島ユナイテッドFC)、2016年J3参入、2019年J2、2020~2023年J3、2024年J2昇格などを経て、現在に至る。
――東さんは鹿児島県生まれ。東京での仕事や大学進学を経て、Uターンされたとお聞きしています。これまでの歩みを教えていただけますか。
私が若かったころは――鹿児島に限らず――女子は高校を卒業したら、地元の短大にという風潮があったように思います。女子が東京の4年制大学に進学するケースは多くありませんでした。私は、地元で感じられる無意識の壁というか、見えない呪縛みたいなものから逃れたいと思って、東京に飛び出しました。いざ東京に出ると、自分が何者でもないということを思い知らされました。勤めはしていたのですが、キャリアを積むという感じもなく、「これまでのように故郷に反発しているだけではだめだ、上の学校に行くしかない」と思い、社会人のための進学の制度を使って法政大学人間環境学部に入学しました。社会学的に環境問題を考えるところで、ゼミの指導教官は日本政策投資銀行 OBの方。先生は鹿児島での勤務経験もあり、「とてもいいところだった」と言われた時は、故郷を毛嫌いしていた私にはちょっとした驚きでした。
私は一時期、アトレ恵比寿のスターバックスで働いていたことがあり、他店から手伝いに来た社員で鹿児島弁丸出しの人がいたんです。堂々とお国訛りで話している。スタバはスタッフの多様性を大切にする会社だったので、誰もそれを笑ったりしない。自分の言葉で話せばいいんだと実感しました。
そんな経験から少しずつ「里心」がついてきました。でも、ただ故郷に戻るのではなく、自分じゃなければできないことをやりたい。そう考えていたところ、同郷の飲み会で知り合った、現在バスケットボールB2の鹿児島レブナイズの代表、有川久志さん(当時は電通勤務)に鹿児島をスポーツで盛り上げようと声をかけられました。また同時期に知り合いでもあった同じ鹿児島出身で、後に鹿児島ユナイテッドFCのクラブ代表を務めることになる徳重剛も加わり、鹿児島にサッカークラブを立ち上げ、Jリーグを目指そうと鹿児島に帰りました。2009年6月のことです。
――現在、営業部長として、どのようなお仕事をされているのですか。
鹿児島ユナイテッドFCの営業部長として法人スポンサーを獲得するのが仕事です。クラブの設立当初は Jリーグにも入っていなかったので、クラブの存在を知らない人が多く、「どうしてスポンサーにならなければいけないの?」という反応でした。JFL(日本フットボールリーグ。カテゴリーとしてはJ1、J2、J3の下に当たる)を勝ち上がり、Jリーグに参画するようになると、テレビや新聞、ポスターで見たよと言われるようになりました。
――とはいえ、ご苦労も少なくないのでは?
こちらからスポンサーになってくださいとお願いする立場です。社内向けの説得材料としては、サッカー観戦が社員の親睦を深め、世代間の共通の話題づくりにもなるといったこともお伝えしています。スポンサーの皆さんには選手と交流する機会も設けています。なによりスポンサーが増えると、周囲に鹿児島ユナイテッドFCを応援している会社が増え、スポンサーの社長さん方が「おたくはまだスポンサになっていないの」と営業マンとして勧誘してくれます。
こうした関係を私は「被害者の会」と呼んでいます(笑)。私と徳重剛は、そもそもの言い出しっぺである有川久志害者の会です。私も周囲を巻き込みながら、仲間の輪を広ていく。78歳の私の母は、毎年、私からシーズンパスを買わされています。現在、2025年春オープン予定のクラブハウス(鹿児島市喜入地区)が建設中で、クラウドファンディングでも資金を集めているのですが、母から「クラブハウスが建つんだって」と聞かれて、「ひとり2万円で受け付けているの」答えました。すると、「2万円払ったら、クラブハウスのなかを見せてくるツアーはあるの」と聞くので、「それは3万円のコース(笑)」。たぶん母もお友だちを誘ってくれるでしょう。
――ねずみ講みたいですね(笑)
ネットワークビジネスと言ってください(笑)。鹿児島ユナイテッドFCというクラブチームを運営する喜びのひとつに鹿児島のアウェーまで応援に来る他県の方々との交流がります。敵ではあっても、私たちには「わざわざ鹿児島まで来てくれて、ありがとう」という気持ちがある。だからホームでわれわれが負けても、悔しさを押えて、勝者である相手チームを拍手で称えます。「お見事」と。私は観客の皆さんの礼を大切にした行動を見て誇らしい気持ちになります。
今シーズンは、観客が1万人を超える試合が2回ありました。2回目の試合は6連敗中で、サポーターの皆さんは「なんとか後押しせんといかん」という気持ちで集まってくださいました。残念ながら、最終戦を待たずに来期の J3への降格が決まってしまいましたが、それでもラストの試合には8,000人以上のサポーターが駆けつけてくれました。
――その気持ちは何なのでしょう。
当事者意識だと思います。7月に開催したスポンサーの交流会で、鹿児島トヨペットの社長さんが挨拶のなかで、鹿児島ユナイテッドFCの監督が交代することに触れて、「われわれは新しい監督を迎える」といわれました。
サポーターはサッカーを見ながら、自分を応援していのかもしれません。楽しいばかりの毎日ではないけれど、サッカーを観戦することで元気が出て、明日もがんばるかという気持ちになる。日常のなかの非日常というスパイスの役割を果たしているのだと思います。サッカーは1点が重いスポーツです。J2で勝てないなか、鹿児島ユナイテッドFCが得点すると、1万人近くのサポーターの熱望が一気に爆発。
「脳汁ドバー」あるいは「ガンギマリ」といった感じになります(笑)。それが癖になるのかもしれません。
――Jリーグのクラブは地域にどのような影響を与えていると思いますか。
10年以上前ですが、鹿屋体育大学に講義にいらっしゃった株式会社日本経済研究所の小原爽子さんのお話で、ヴァンフォーレ甲府の経済効果に言及されていました。甲府市のタクシーの運転手さんから「自分は試合を見に行ったことはないが、あれ(Jリーグクラブ)がないと商売上、困る」と言われたという話もありました。タクシーの利用はもちろんのこと、相手チームのサポーターが地元の飲食店で食たり、飲んだりして、お金を落していくんですね。
スタジアムに集まった8,000人くらいのサポーターのかには今日スーパーのレジですれ違った人がいるかもしれない。だから優しくしようという気持ちになる。そして相手チームに暴言を吐いたらだめだとも思う。そういう意識が、地域を綺麗にしようとか、困っている人に声をかけようという行動につながるのかもしれません。
――東京から戻って来てからの年月を振り返って、自分の生活がどう変わったとお考えですか。
私は営業部長として裏方に撤してはいるのですが、自分が頻繁に「打席に立っている」という感覚があるんです。自分の役割が地方の方ではより大きくなるというか。今夏、訪問したヴァンフォーレ甲府の井尻真理子営業部長にこう言ったら、「その気持ちはとてもよくわかる」と何度も頷いてくれました。
東京を離れて、地方で働こうとしている人にアドバイスをするとしたら、クリエイティブな仕事、あるいはエッセンシャルワークに従事することをお勧めします。AIが代わることのできない、何かを作り出す、あるいは日々の生活に欠かせない仕事ですね。エッセンシャルワークのひとつである一次産業の発展のために、小学校から農業や食を通した教育をしてほしいと思います。食べるものを歴史や伝統に関連づけるとさらに世界が広くなり、子どもたちが郷土に誇りをもつきっかけになるかもしれません。
――今後の抱負を聞かせてください。
鹿児島ユナイテッドFCが上のカテゴリーへ昇格する、集客数を増やす、そして新しいスタジアムができることです。生きているうちに J1優勝のかかった試合で初期の創設メンバーとして、VIP席で観戦させてもらうことを楽しみにしています(笑)。
(聞き手 芳地隆之)