香川県三豊市立西香川病院 院長
大塚 智丈(おおつか ともたけ)さん

1988年、徳島大学医学部卒業後、同大学の神経精神医学教室に入局し、同大学医学部附属病院で勤務。その後いくつかの病院を経て、1992年、国立療養所西香川病院精神科勤務。2000年、同院は地方移譲により公設民営の病院に。2006年には町の合併により現在の三豊・観音寺市医師会三豊市立西香川病院となり、2014年、同院院長に就任。著書に『認知症の人の心を知り、「語り出し」を支える—本当の想いを聴いて、かかわりを変えていくために』(中央法規出版)など。

認知症の偏ったイメージ
 私が精神科医になった頃、認知症に興味はありませんでした。自分にはあまり関係ないように思っていたのです。2000年に当院が公設民営の病院になったとき、医師会より「精神科は認知症の診療に力を入れてやってください」ということになりました。しかも、精神科は認知症専門の病棟にすると。社会的なニーズが高まっていくと思っていましたから、「まあ仕方がないな」という感じでしたが、認知症に対して何ができるとは思えませんでした。
 そのような私がもの忘れ外来を始めたころ、2回目に当人が来ないことがまれではありませんでした。家に帰った後に本人が怒っていたと、家族から聞かされることがありました。今から考えると、初診時に私が家族の方とばかり話していたため、本人は自分だけが放っておかれていると感じていたと思います。テストをされて答えられず、プライドが傷つけられる体験をされていたとも想像します。ですが、当時の私は認知症の人に話かけても、あまり話が通じないと思っていました。こちらが何かを言ってもよくわからないだろうと。本人の想いにも気づいておらず、本人の心を傷つけていたのです。その時の失敗と反省が私のスタートです。
 精神科医の繁田雅弘先生の著書に『認知症の精神療法:アルツハイマー型認知症の人との対話』(HOUSE出版)があります。これまで認知症は精神療法の対象になるとは考えられていませんでした。うつ病や神経症、統合失調症の人に、診断後は薬の処方をしているだけの精神科医がいたとしたら、それは「やぶ医者」ではないでしょうか。ところが、認知症に対してはそれが平然とまかり通っている。そういう状況はおかしいのではないかと問題提起しているのがこの本だと思います。
 多くの人の抱いている認知症のイメージは「何もわからず、普通の生活ができなくなる」という中・重度のものです。本当は軽症の時期もある、とても幅広いものなのに、悪い方に偏った認識しかもっていない方に、その認識のまま「あなたは認知症です」と告知したら、絶望し、「自分は終わった」などと思ってしまうことが多くなるでしょう。認知症になった姿を見られたくないと、自宅に閉じこもってしまいかねません。そうなると認知症も進んでしまいます。
 私たちは、軽症の認知症の方には、「あなたは認知症ですけれど、それはあなたがイメージされてきた認知症ではありません」と伝えます。50年前、がんにかかったら「もう終わり」と思われていたから、本人に告知しないのが当たり前でした。でもいまは違います。がんにもいろいろなステージがある。認知症も同じ。イメージしているより軽いほうへの幅が実際は大きいのです。長寿で人気を博した双子の姉妹「きんさん、ぎんさん」は認知症であったと言われていますが、認知症には見えず楽しそうに暮らしているようでした。同様に、認知症になっているようには見えない認知症の人で、楽しく暮らしている人は意外と多いのです。
 認知症の進行のスピードは30年前の3分の1になったといってもよいと言われています。軽症時に診断を受け、薬を処方してもらい、楽しみややりがい、生きがいをもっていると、認知症の進行がゆっくりになるでしょう。あなたがイメージされている認知症にすぐなるわけでもないし、イメージされている認知症になる前に人生を終わられる方も増えてきています。以上のように説明すると、少しほッとされる方が多い。もの忘れや失敗など、できないことばかり気にしていると、それに囚われてイライラしたり、やる気を失ったりし、症状悪化や進行が早まりやすくなりますが、楽しみや生きがいをもてば、進行は遅くなりやすいし、生活・人生も豊かになる、ともお話しします。認知症は一部の人がなるものではなく多くの人がなり得るものになっていると説明すると、恥ずかしくも、情けなくも、怖いものでもないことがわかってもらえる場合が多く、告知を行っても「気が楽になった」という方もいます。

人生100年時代では当たり前のこと
 当人ができないことにこだわって気分が落ち込み、どんどん不幸の方へ進んでしまうのは、当人だけでなく、家族にとっても、いいことではありません。そうではなく、いま楽しんでできることを大切にする。そして、同じ人間として、自分はどういうことを言われたら落ち込むか、イライラするか、やる気をなくすか。どういうことを言われたら気持ちが楽になるか、希望をもって前向きに生きられるようになるかを考える。相手との関係性ができれば、難しいことではありません。認知症でなくても、失敗が続いていたり、頑張っているけれどうまくいかなったりする時に、「またこんなことやって」とか言われたら、落ち込んだり、「なんだ、こいつ」と思うことがあるのではないでしょうか。同じ人間として考えれば、想像しやすくなります。
 人生100年時代、長生きをすれば、心身の機能も衰えていきます。それが自然なことです。そして、物忘れが増えていくことは変えられません。長生きしている人が、これからの人生でこだわるべきところとして、物忘れの多い少ないよりも、楽しみの多い少ないの方が重要だと思います。楽しみの多さは変えられる可能性がありますから。
 明治・大正生まれの方の多くは、60~70代で亡くなりました。現在、日本人の平均寿命は男性が約81歳、女性が約87歳です。この数字には新生児死亡も含まれるので、寿命の中央値では女性は90歳くらいになります。また女性は男性に比べて認知症の有病率が高く、80代後半で48.5%。したがって80代後半で認知症を発症し、残りの人生を認知症とともに生きるのは、日本人女性の平均的な生き方になっているということです。90歳を超えたら、90代の前半で6割、後半で8割の方は認知症になる。もう普通のことですね。子どもの時、親に面倒をみてもらって恥ずかしいとか、情けないとか思わないように、人生の最期も、認知症になったら周囲に多少のお世話はよろしくと頼んで、堂々と楽しみながら生きていく。それが将来の自分の子どもやお孫さんのためにもいい。辛い人生ではなく楽しい人生にするためにも、自分は何がしてほしくて、何をしてほしくないかを伝えておくことも大切です。認知症の人が傷つく理由のひとつに、周りの態度がいままでと変わったということがあります。そういうことを共有するのが人生100年時代には求められているのではないでしょうか。

笑い声が聞こえる認知症カフェ
 認知症と診断された方には(病棟に隣接している旧職員住宅の一室を改修した)認知症カフェに行くことを勧めています。国が認知症疾患医療センターに求める診断後支援には2つあって、ひとつは診断後の当人や家族への相談支援、もうひとつは当事者によるピア活動。この2つは義務ではありませんが、われわれは両方を行っています。

病院の敷地内にある認知症カフェ

 後者については、渡邊康平さんという、71歳で認知症を発症し、現在83歳になるご本人が、日常の悩みなどについて率直に話し合っています。「認知症になって楽しく暮らしている人なんているのか」とまだ思っている方もいるかもしれませんが、そうではありません。このカフェでも誰が本人で誰が家族なのかわからないくらい。笑い声も絶えないですし、渡邊さんも楽しそうにしています。
 認知症と診断されて落ち込んでも、そこから脱して、前向きに生きていこうと感じるうになることは可能です。ちょっとでも誰かの役に立ちたいという「自己超越の欲求」(自分を超え、見返りを求めず、他者や社会に貢献したいという欲求)をもつ方も一部の方ですが現れます。現在、ピアサポーターをしていただいている方は渡邊さんを含めて3人いますが、それは上述の診断後支援があるから可能であったわけで、診断して薬を出すだけで終わっていたらこのような方々は現れなかったでしょう。


 認知症の人はサポートされるだけでなく、サポートする側にもなると、自己肯定感が高まります。人には「認められたい自分」と「役に立ちたい自分」があって、若いころは「役に立ちたい」より「認められたい」自分の方が強い人が多いでしょう。しかし、老人性超越という言葉もありますが、「役に立ちたい」自分が強くなった人は「自己超越の欲求」が満たされるでしょう。それは精神科医のアルフレッド・アドラーによる心理学とその後継者がいう幸せの3要素の、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」のうちの3つ目の他者貢献、他の人への貢献感に当たるのではないかと思います。

関係性をつくる
 私たちは認知症の人の家族にこう説明しています。認知症になると、これまで7~8割の力でできていたことが、全力を尽くさないとできなくなる。そして全力を尽くしてでもうまくできなかったり失敗したりするようにもなる。さらにそれを周りから注意されたりするもする。それでもがんばって続けていることはすごいことだと思いますので、その努力に敬意と感謝の気持ちをもってくださいませんかと。そうすると家族の本人への注意が少なくなります。認知症が重度の人でも、洗濯物はたためるし、草むしりもできるでしょう。そういうときに「ありがとう」を伝える。そうした日常の積み重ねで、家族との関係がよくなった、人の温かさを知ることができたという方もいます。
 診断後支援で私たちがとくに気をつけているのは、本人へのかかわり方です。本人は自信がなくなって、自分がどういうように見られているかなど、周囲の自分への態度に敏感になっておられる場合が多い。ささいな言葉によって周囲が気づかない間に傷ついてしまうこともあります。ですので、私たちは言葉や表情・態度に気をつけ、丁寧に接しながら会話を行うよう心がけています。自分を軽んじない、自分の気持ちに配慮してくれる人と思ってもらうことによって信頼関係を築いていきます。本人の苦しい部分、家族にすらわかってもらえない、あるいは誰もわかってくれないという諦めの気持ちなどを、こちらが代弁する場合もあります。
 そして、悪いほうへ偏った認知症イメージを修正・改善し、過剰な不安や怖れを軽減できるように努めます。また、本人の楽しみ・やりがいや役割の重要性、周囲からの指摘・注意を控えることの重要性、超高齢社会で生きていくなかで何にこだわって何を割り切るのがよいかなどについても、本人と家族に説明を行います。今後の人生では、物忘れにこだわるよりも楽しみややりがいにこだわる方がよい人生になる。そういう考え方でないと、長生きするみなさんが不幸に向かって行くことになるし、あなたが楽しみなどを大切にして幸せに暮らすことが、お子さん、お孫さんらの将来のためにも必要ですというと、受け入れてくださる方が多いです。
 本人にお友だちはいるのか、近所にどういう人がいるのか、といったことも聞いていくようにしています。家族以外に地域で本人と一緒に楽しんでいる人――例えば喫茶店で話をする人、カラオケに誘ってくれる人などがいたら、その回数を増やせるようにお願いしてもらえないかと家族に伝えます。ある方は週末にひ孫さんがくることをとても楽しみにしていると言っていたので、ひ孫さんへのプレゼントを考えてみませんかと提案しました。家族と一緒に選ぶのも楽しい時間ですよ、ひ孫さんの来る回数も増えるのではないですかと言うと、その方の表情が明るくなりました。


 認知症の人や家族に対してできることはたくさんあります。認知症には何もできないという先入観から脱してもらうためには、証拠を見せるしかありません。ですから私たちは自分たちの実践を記録し、より広く伝えていきたい。専門職も自分のアプローチが認知症の人の幸せに貢献していると感じられれば、大きなやりがいや満足感を得られるようになるでしょう。