「これは小林一茶の句です。誰もが美しい花を愛でる。桜の木の下では身分の違いも関係ないという意味です」

 4月5日に金沢市東山地区にある蓮昌寺にて開かれた桜下の宴で、雄谷良成上人(社会福祉法人佛子園理事長、公益社団法人青年海外協力協会会長、一般社団法人生涯活躍のまち推進協議会会長)はこう述べてから、ソメイヨシノ誕生の由来について語られました。

「東京駒込にあった染井村で、大きく花の咲く大島桜と、花は小さいけれど散った後に綺麗な葉が出る江戸彼岸を交配して生まれたのがソメイヨシノです。花も綺麗だが、葉も素敵なソメイヨシノを全国に広めて、日本中の人に見てもらおうと考えたのが大久保利通でした。今から150年ほど前のことです」

 大久保は薩摩藩出身。同じ薩摩の西郷隆盛、長州の木戸孝允と並んで「維新の三傑」と呼ばれ、廃藩置県や中央集権を推し進めるも、1878年に東京紀尾井坂で暗殺されます。享年47歳。ちなみに西郷は西南戦争に敗れ、1877年に自決。享年49歳。新政府軍としてかつての盟友である西郷と対峙することになった木戸は1877年に病死。享年45歳でした。

「大久保はソメイヨシノを全国に広げようと、全国にあった旧武家屋敷に、さらには欧州で視察した際に目にした公園を日本にもつくり、そこにソメイヨシノを「接ぎ木」の技術で増やしていくことを考え、実行していきました。「接ぎ木」とは、植物の枝や芽などを切り取り、他の植物に接ぎ合わせて、新しい木として育てる手法です。つまり日本のソメイヨシノはすべて同じ遺伝子をもっている。クローン技術によって全国に広がっていったのです。南から北へ桜前線が北上していくのは同じ種だからこそ可能であり、だからこそ毎年「桜の季節」を全国の日本人が楽しみに待つ。小林一茶は江戸時代後期の俳人ですから、後年の大久保の意図を知る由もありませんが、桜を愛でるという行為において人は平等だという思いは日本人のなかにあったんですね」

 一茶には有名な「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」という句があります。一茶が、痩せて弱々しいカエルを応援した、春の季語を含む有名な句は、弱者への愛情や人生の苦難に負けない気持ちを称えています。雄谷上人は一茶の思いと桜を重ねて次のように続けました。

「2年前の能登半島地震の時、金沢の桜の木も何本か折れました。今年の冬は雪が多く、その重みでも折れました。それでも桜は何言わず、変わらずに花を咲かせる。私たちも『あーあ』とか『でもなあ』とか、できない言い訳をせず、やるべきことをやっていきたいですね」

 気持ちが言葉になることもあれば、言葉が気持ちを左右することもある。ネガティブな言葉は人をうしろ向きにさせます。今年の桜下の宴は人間の平等、そして前向きな心を育むことについて考える機会となりました。

恒例のひがし茶屋街・仲乃屋の芸妓の方々による素敵な舞。演目は「元禄花見踊」と「さわぎ」でした。
今年はひがし茶屋街で人力車ツアーを行っている車夫の方も来てくださいました。
桜下の宴の後は場所を代えて、5年前に亡くなられた五井建築研究所の西川英治会長を偲ぶ会が開かれ、生前の西川会長の思い出話に花が咲きました。