3密を回避するための”STAY HOME”が言われ始めたころ、小誌『生涯活躍のまち』編集会議で、「ひきこもり状態になっている人にとっては、ほッとさせられるところもあるよね」といった話になりました。小誌で「8050問題を考える」という特集を組み、フリースクールや当事者の家族の方々にお話を聞いて、この問題の解決は「外へ出るか、出ないか」にあるのではないことを認識していたからです。事の本質はそこではないと。

そうしたなか、法政大学の学長である田中優子さんが『毎日新聞』に連載している「江戸から見ると」の「おうちで働こう」(5月20日付)を読んで、思わず膝を叩きました。田中さんはこう書いています。

「そもそも江戸時代の人々はその多くが職住一致か職住近接で、自然環境を含めた家とその周辺で働いていた。仕事をする=家の外に出る、という図式は近代工業時代がもたらした生き方であって、普遍的でないばかりか、育児や介護と仕事を両立させることができない、不自然で困難な働き方なのである」

これは「ひきこもり」だけでなく、たとえば、どうして首都圏郊外で人口減や高齢化が進んでいるのか、その要因としても受け取れます。田中さんは「育児や介護をする人も含め、正規社員だけでなく、フリーの人々も積極的に家で働く方法を編み出していくこと」が「ウイルスと共存する新しい人の生き方を創造できるのではないだろうか」とも記しています。

また、「距離を置く」(6月3日付) では、江戸時代の人々がお互いにソーシャル・ディスタンスを保っていた例を紹介します。

「たとえば食卓を囲む、その食卓というものがなかった。食卓は近代になってから定着したものだ。同じ皿から料理を分けることもしなかった。食事は銘々膳と各自の茶わんと箸を使った。銘々膳は前後左右にくっつけることが難しい。旅館などの宴会の情景でもわかるように、向かいの人とはだいぶ距離がある」

私たちの日常、しかし、世界では稀な慣習である「お辞儀」もそうでしょう。お互いがぶつからないよう距離をもって頭を下げる。また、江戸時代まで遡らずとも、ちょっと前までは、人が家を訪問する際は玄関に座ったり(高さがちょうどいい)、縁側でお茶を飲みながら世間話をしたり(家の人は少し離れて)が普通の光景でした。

ちなみに江戸時代の居酒屋や水茶屋はテーブルがなく、ベンチ式でした。「つまり横並びで座り、カウンターもなく、酒や茶は自分の横に置くので、おのずと隣とは距離があく。しかも、冬でさえも密閉空間にはできない。換気が良すぎるくらいだ」

現在のコロナ禍に対して、私たちはかつての日本人の生活を見直して、ちょっと江戸に近づいていけばいいのかもしれません。1950年代にアメリカの大衆消費文化が世界に広まった際にうたわれた「American Way of Life」に倣って、「Japanese Way of Life」を発信していくのはどうでしょう。

ちなみに1980年代に映画祭の各賞を総なめした『家族ゲーム』の象徴的なシーンは、いま思うと江戸時代をデフォルメしたものだったのかも。