日本各地には御山がある。場所によってはオヤマ(伊豆七島・御蔵島にある御山)、ミセン(広島県宮島の弥山)、オンタケ(長野県と岐阜県に跨る木曽御嶽山)、ミタケ(埼玉県秩父御岳山)など、呼び名や綴りは違うものの、いずれも尊厳が認められる特別な山=霊山だ。そこは3つの領域に区分されていた。山頂部はカミの領分、山麓は人々の暮らすところ=いわゆる俗界。その間のもっとも森林に恵まれた山腹部は霊界と俗界をつなぐ場であり、現在は山麓にある氏神の神社の多くはかつてここに祀られていた。山の幸が多く採れるところに入るにあたっては、山のカミの許可をいただく。そしてお礼をいう。そういう場所だったのである。
 山頂部は水源ともなり、急流の川をつくる。樹木が保水の役目を果たし、雨水や雪解け水を地中に溜め、それが清水になって川の流れを加減し、やがて海に注ぎ、海藻や魚介を育てる。日本列島が人々に恵みを与え、人々の信心を育んできた。
 信心はさまざまな形で人々の年中行事を生んでいく。かつての正月は、大晦日もしくは元旦に祭神を迎えるという最も清浄な行事を挟んで前後約半月ずつの1カ月を指していた。盆は旧暦7月13日から15日ないし16日にかけて先祖の霊を家に迎え、供物を供えて供養する行事だが、その先祖たちの霊界と私たちの俗界をつなぐ役割を担う長老=生見玉(生御霊)へのご機嫌伺いの意味が強かった。一方で出自の異なる多様な人々の集団である都市住民のためには、夏祭りが催されるようになった。東京の三社祭、京都の祇園祭、大阪の天神祭、博多祇園山笠といった、群衆が狂喜乱舞する盛大な行事である。
 私たちの生活の節目、節目に神仏が現れる例として、7歳の子どもが盛大に祝われるのは、神の子から人の子になった証であり、そこから親のしつけが始まるということも本書で知った。参詣と巡礼について、お伊勢参りは現在の旅行業の原型との指摘も面白い。
 最後は「フーテンの寅さん」の時代まで近づいてくる。同じ露店商人でも、香具師は個人、的屋は集団であり、その存在は江戸期に明らかになっている。香具師として口上売りをしながら全国を渡り歩く寅さんを演じた渥美清さんは、戦後の闇市のひとつ、現在のアメ屋横丁で香具師が言葉巧みに商売する姿をみてイメージを膨らませたという。
 風土、信仰、仕事(生業=たつき)が歴史という時間軸で語られる本書を読むと、古くから続く私たちの生活慣習が理に適ったものであることがあらためてわかる。コンパクトな文庫だが、知っておきたい知識が満載の書だ。 (芳地隆之)