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能登半島地震・有償ボランティアについて
年初に地震が発生し、もうすぐ1年が経とうとする能登半島、なかでも輪島市および能登町では当協議会の会員である社会福祉法人佛子園ならびに公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)が約3,300戸の仮説住宅の見守り支援を行っております。現地では9月21日の豪雨災害が相まり、過酷な状況が続いているなか、ここで皆さまに協力をお願いする次第です。
詳細はJOCAのHPをご覧ください。
https://x.gd/EcqSo
【有償ボランティア】
8,000円/日(日数については応相談) 輪島での見守り支援への同行など。 3日以上の方には交通費をお支払いします(近隣の方応相談)。
【登録方法】(JOCAのHPから登録)
有償ボランティア:https://forms.office.com/r/t2WAdjuPZB
以下はオンラインでの説明会です。現地の状況や参加者からの質問も参考になると思います。
11月30日には輪島市の鳳至地区ならびに門前地区の仮説住宅団地に併設されるコミュニティセンターの起工式が行われます。災害関連死を防ぐためには、見守りだけではなく、住民の方々が交流し、健康増進のための運動や地域の困りごとの解決を考えるなど、自らが主体となって地域をつくり直すための拠点として位置づけているのがコミュニティセンターです。
①集会(みんなが集まれる場所)、②福祉サービス(現在は高齢者デイサービスを想定)、③飲食(一緒に食べたり、飲んだりできる場)、④銭湯(裸の付き合いも大切)の機能をもつ「ごちゃまぜ」の拠点、いわば「ミニ生涯活躍のまち」が生まれます。戦後の日本における災害支援では初めての試みです。
今後、日本各地で発生する可能性がある自然災害支援の経験値を積む機会にもなるかと思います。災害ボランティアに向かう佛子園・JOCAの職員が元気になって戻ってくる姿を見ると、支援活動はチームビルディングにもつながるのではないかと思う次第です。
能登半島における「創造的復興」につきましては、以下の記事(当協議会が発行している『生涯活躍のまち』第49号)をご覧ください。
詳細についてのご質問があれば、遠慮なく、下記までご連絡ください。電話、メール、オンライン面談など、ご都合のよい形でご説明いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
(一社)生涯活躍のまち推進協議会 芳地 隆之(ほうち たかゆき) Mobile: 080-2373-1928 Mail: taka.2429.hochi@gmail.com
特集 創造的復興
能登半島地震の被災地が目指すものである。くだけた物言いにすればガラガラポン。能登半島、とりわけ奥能登の2市2町(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)は少子高齢化が止まらず、沈みかけていたところで甚大な被害を被った。であるなら、今までの姿に戻すのではなく、新しい、そして楽しい能登半島をつくっていこう。そんな意味も込められている。
医療や福祉の分野だけでなく、金融や不動産、製造業、あるいは文化や楽の要素も不可欠であれば、人材が首都圏から入ってくればいい。4月12日、東京大手町の3×3Lab で開催された「丸の内プラチナ大学・逆参勤交代コース特別シンポジウム『能登半島の今と未来』」(一般社団法人エコッツェリア協会主催)では、ドラスティックな転換が必要という点で、災害支援も逆参勤交代も同じであることがわかった。今号では同シンポジムにおける雄谷良成・社会福祉法人佛子園理事長の基調講演と松田智生三菱総合研究所主席研究員のインプットトークの概要を報告する。
創造的復興とは何か
社会福祉法人 佛子園理事長
公益社団法人 青年海外協力協会会長
一般社団法人 生涯活躍のまち推進協議会会長 雄谷 良成
災害における創造的フェーズ
今年の元旦に発生した能登半島地震は2000年に1度の活断層地震だという。ビルの基礎杭が引き抜かれ、途中で折れているという光景を見たのは初めてだった。日本3大朝市のひとつ、輪島朝市は焼野原のようになってしまった。能登町の内浦地区では民家が津波にのまれ、内陸が海に引っ張られていた。今日はこうした被害に見舞われた能登半島における創造的復興とは何かについて皆さんと考えたい。
能登半島は地震が起こる以前から人口や経済の規模が縮小し続けていた。したがって、それを再生=元に戻しても、沈んでいく流れは止められない。ならば違うものに置き換えられないか。それが基本の考え方である。
災害フェーズにおける一般的なイメージは、救命救急期→復旧期→復興期と進み、その上で何か新しいものをつくっていく創生期へつながるというものだろう。しかしこのプロセスでは創生期を実現することはできない。「災害における創造的フェーズ」に入るためには、発災後72時間の救命救急期は変わらないものの、その後の急性期、復旧期において、復興期と創生期に何をするかを仕掛けていかなければならないのである。
前消費者庁長官であり、旧内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局地方創生総括官補を務められた伊藤明子さんは発災直後に「いまから仮設住宅がどうあるべきかを考えて、動かないと間に合わない」と言われた。マスメディアは「仮設住宅が〇〇〇軒建った」というように数の報道をしがちだが、
居住者をどのようにケアしていくかという視点が見落とされてはならないという意味だ。
災害関連死を防ぐために
仮設住宅に優先して入居する人たちは独居高齢者や障害者である。彼ら、彼女らが避難所から移る段階を終えると、行政はひと安心する。しかし、避難所で周りの人たちから見守られている状態と、仮設住宅にひとりでいるそれと、どちらが怖いかといえば、後者だ。
私は公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)の会長も務めている。JOCAは東日本大震災(2011年3月11日)や熊本地震(2016年4月16日)、西日本豪雨(2018年6月28日~7月8日)などの国内の災害支援だけでなく、JDR(国際緊急援助隊)を通した海外での支援活動も行っている。東日本大震災の時は、青年海外協力隊のOBOG、約6,000人を被災地に派遣。ロジスティックの拠点を仙台市と遠野市に置いて支援活動を展開した。現在もJOCAが活動を続けているのが宮城県の名取市と岩沼市であり、なかでも岩沼は、JOCAが仮設住宅の見守りを行ったことで唯一、自死がでなかったところである。
仮設の居住者には、津波で家族を亡くし、家を流された方が多い。そうした辛さを抱えながら、仮設住宅のなかに引きこもってしまうと、とくに高齢者や障害者は持病を悪化させたり、自死に追い込まれたりする。そこで私たちが岩沼市に提案したのが、仮設住宅の入居を抽選ではなく、地域ごとにまとまって入ってもらうことだった。そうすると孤立しがちな入居者の情報が入ってくる。
「あのおばあちゃんは息子さんを亡くしている。私たち家族のことはいいから、あのおばあちゃんのところに行ってあげて」というように。抽選で入居者を決めるとどうなるか。お互い顔もわからないので、隣で子どもが泣いていると、うるさいと壁を叩く、といったことが起こってしまうのである。
熊本地震では仮設住宅の入居が抽選で決められた。JOCAはその時点で支援活動から撤退することになったのだが、その後、どのような事態になったかといえば、地震による直接死が55人だったのに対して、災害関連死は218人に上ったのである。ちなみに災害関連死における障害者手帳をもっている人の割合は東日本大震災で21%、熊本地震で28%であった。日本の人口に占める障害者手帳をもっている人の割合は9%である。災害後の障害者のリスクがいかに高まるかわかるだろう。
災害関連死が直接死の4倍になった最大の原因として、熊本県は見守り、戸別訪問ができなかったことを挙げた。上記の割合を能登半島地震に当てはめると、2024年1月1日時点での直接死が244人なので、災害関連死は1,000人近くになる。そうした局面にわれわれはいるということだ。
仮設住宅の石川モデル
この間、国、県、市町に働きかけを続け、奥能登2市2町(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)で建設が予定されている仮設住宅約5,500戸のうち、輪島市ならびに能登町を中心に約3,300戸の運営をJOCAならびに佛子園が受けることになった。
従来は大きな運動場に200~300戸を建てて、居住者が減ったらそこを解体して別のところに、ということを繰り返してきた。しかし、高齢化率が60%に上る奥能登では、自宅が損壊しても建て直せない人がほとんどだ。そこで市街地や近郊の土地に高品質の木造住宅をつくって、そのまま本設として住み続けてもらう「まちづくり型」、自宅が損壊した土地に平屋を複数建てて、そこに自分の住んでいたところに住めなくなった人にも提供する「ふるさと回帰型」といった、これまでの仮設住宅にはみられない「石川モデル」をつくることになった。「まちづくり型」仮設住宅の近くには銭湯や厨房の機能をもったコミュニティセンターを設置し、住民が集う場として、被災して運営が立ち行かなくなった社会福祉法人、医療法人が能登を離れずに済むよう、事業を運営する場として使えるようにする。
被災者から支援者へ
私たち佛子園は能登半島地震の被災者であると同時に支援者ともなった。発災直後、奥能登にある2つの施設、日本海倶楽部(能登町)および輪島KABULET(輪島市)の職員や利用者さんの無事ならびに建物の安全を確認した上で、2カ所を被災地のハブ拠点とし、白山市の佛子園法人本部から送られている支援物資を地元の福祉事務所にも配るという役割を担ったのである。
日本海倶楽部は1998年5月、能登町に設立された。石川県におけるクラフトビールの先駆けであり、全国初の障害者が働くブルワリー兼ビアレストラン「Heart & Beer 日本海倶楽部」を運営している。輪島KABULETのプロジェクトが輪島市で始まったのは2018年4月である。町中に点在する空き家を改修して活用しているところが特徴であり、拠点となる施設では食事処や温泉を運営するほか、ウェルネスやママカフェ、サービス付き高齢者向け住宅、かつて遊郭だった建物を東京から誘致したラーメン店ならびにゲストハウスにするなど、子どもから高齢者まで、障害のあるなし、日本人や外国人に関係なく、地域の人々が「ごちゃまぜ」になって過ごせる場を広げている。
輪島市役所の2階では障害のある人も関わるカフェも運営している。ここは市内で最初の福祉避難所となった。福祉避難所は避難所に行けない人が行く場所だ。ところが支援物資は避難所に届けられる。自
衛隊風呂も避難所の近くに設置される。福祉避難所は支援のエアポケットに陥ってしまうため、私たちは上述の輪島KABULETにある温泉の再開を急いだ。
とはいえ発災から10日足らず。断水が続いていた。1,200mを掘って湧き出たお湯の温度は60度。そのままでは熱くて入れない。そこで支援物資のミネラルウォーターのペットボトル(賞味期限ぎりぎりのものがたくさんあった)を浮かべて湯を冷まし、湯上りの身体についたナトリウム塩化物泉をその水で流すようにしたのである。
避難所にはお餅も送った。炊き出しは復旧期には大切な活動であるが、人は何かをもらい続けていると身体を動かさなくなり、持病のある人はそれが悪化したり、メンタルも下がったりする。当人たちに自主的に何かをやってもらう支援が必要ということで考えたのが、正月に食べ損なったお餅だった。焼いて渡すのではない。硬いままのものを「みんなで食べて」と届けると、おじいちゃん、おばあちゃんが網金を探してきて、子どもたちのために焼こうとする。あべかわやみたらしにするなどの工夫もする。認知症のある人も、目の前にお餅を置かたことで若い頃を思い出して焼き始めた。障害のある人は災害ゴミを片づけ始めた。衛生状態が悪いトイレの掃除も――炊き出しをしているボランティアはあまりやりたがらないのだが―― 一生懸命やってくれるので周りから感謝される。このように支えられる側から支える側に回ると、人は元気になるのである。
現状バイアスからの脱出
地震で店舗が崩壊した飲食店のために、かつての飲み屋街よりももっといい場所となるような屋台村をつくる計画が進行中だ。地域経済分析システム「REASAS」のデータを活用した6次産業化も始まっている。地震で土地がひび割れてしまったことで能登町の米の産出額が従来の6億3,000万円から半減した。代わりに、発災前から仕掛けていた農福連携によるさつまいもを生産するため、米作りを断念せざるをえなくなった米農家と一緒に作付けを行っている。洋菓子メーカーやコンビニなど販売先も決まっているので、2年後には3億円の売上を見込んでいる。
こうした事業は現状バイアスから脱することで可能になる。いままでとは違ったやり方を強いられる状況だからこそ、能登半島で何らかの可能性を見つけ出すチャンスなのだ。安定しているときには受け入れられなくても、ガラガラポンになっているときは外から人は入りやすいので、日頃は利用されにくい人材活用の機会となる。企業にとってはCSRだけでなく、社員に「傾聴する力」がつく。CARE TRAININGになるので、支援に入ることで元気になるのである。社員のメンタルの不調に悩んでいる企業にとっては解決のいい機会になるだろう。その場合は会社から複数派遣することを勧める。
職場では上司と部下という上下の関係でも、被災地ではゼロからのスタートゆえにフラットになる。共通の話題が生まれることで、それがTEAM BUILDINGにつながるのである。
世界の震災の20%はわが国で起こっている。日本全国いつなんどき被災するかわからない。歴史上、日本はいくたの自然災害を乗り越えて、新しいものをつくってきた。この創造的復興に、今日お集まりの皆さんにも加わってもらえることを願っている。
復興支援型逆参勤交代~人が動けば日本が変わる~
三菱総合研究所 主席研究員
丸の内プラチナ大学 副学長 松田 智生
スモール・ボリュームからマス・ボリュームへ
逆参勤交代とは制度をもって人を動かすというアイデアである。江戸の加賀藩邸には3,000人がいた。その流れを逆にすることで能登に新たな人の流れを起こすことが「復興支援型逆参勤交代」だ。
江戸の参勤交代 ➡ 令和の参勤交代
江戸に人の流れ ➡ 能登に人の流れ
江戸に藩邸整備 ➡ 能登にオフィス、住宅整備
江戸で人材育成 ➡ 能登で人材育成
首都圏および近畿圏の大企業で働く従業員は約1,000万人。そして、大丸有地区と呼ばれる東京の大手町・丸の内・有楽町エリアの就労人口は約35万人である。これは震災前の能登半島の人口とほぼ同じである。現在、日本では年間約80万人も人口減少が進んでいる。人口が減少する日本で、地方と都市では、人材の争奪ではなく循環と共有。復興においても人材の循環と共有をしていくべきだ。
地方における関係人口の拡大に向けて、従来はIT、ベンチャー系や意識高い系、自分探しの若者や高齢者、フリーランスなどは中心であったが、これらはスモール・ボリュームと言わざるを得ない。これから主力になるのは、前述したような大企業1000万人や大丸有地区の35万人を「マス・ボリューム」として動かすべきだ。意識が高く前向きな「能動的参加者」だけでなく、上司か指示されてじられてしぶしぶ来たとか、友人に誘われて何となく来たという「受動的参加者」がマス・ボリュームの有望な候補である。この受動的参加者が、地方での新たな経験を通じて、良い意味で「化ける」ことが多々ある。これまで丸の内プラチナ大学で全国20自治体で実施した逆参勤交代のフィールドワークをきっかけに、地方の中小企業での副業を開始したり、自治体でのアドバイザーを務めたり、地方での二地域居住を始めたビジネスパーソンが増えてきた。彼らに共通しているのは、これまでは意識が高かったわけではなく、逆参勤交代をきっかけに地域への貢献意欲が高くなったことであり、こうした受動的参加者が逆参勤交代で化学反応を起こせば、復興をサポートするマス・ボリュームになるはずだ。
復興連携型モデルとは
東京の大丸有地区の就労人口32万人(かつての28万人から増えている)を動かすためのエンジンが丸の内プラチナ大学だ。学長は第28代東京大学総長の小宮山宏氏が務め、観光、SDGs、農業等の10コースがある。私は副学長と逆参勤交代コースの講師を務めている。東京講座では自治体の首5長が逆参勤交代への期待語り、現地で2泊3日のフィールドワークを行い、自ら主体的に何が貢献できるかを考えるきっかけを作る。
逆参勤交代には、①ローカルイノベーション型(新規事業)、②リフレッシュ型(健康経営)、③武者修行型(人材育成)、④セカンドキャリア型(シニア人材活用型)など多様なモデルがあるが、能登
版逆参勤交代は⑤復興連携型(被災地の復興支援)といえるだろう。⑤の例としては熊本県南阿蘇村での被災地学習が挙げられる。地元の中学生と行った交流会では、参加した大人たちがよそ者から見た南阿蘇の魅力を語り、生徒たちと復興について話し合うと、子どもたちの目がきらきらしてきた。被災生活が長く自己肯定感の低かった子どもたちが多世代交流を通して化学反応を起こす。それは未来人材の育成につながっていくはずだ。
逆参勤交代のインセンティブ
今後の有望な逆参勤交代としては、兼業副業型(地域での新たな仕事発見)、人的資本型(地域の人材育成・研修)が挙げられる。とくに後者については、上場企業が自社社員を能登半島へ送り込み、災害支援に取り組んでいることを株主や投資家に開示することで、企業価値の向上につながるだろう。逆参勤交代を実施しなければ法人税50%、実施すれば20%になるといったインセンティブを生む制度設計も必要だ。プラチナポイント制度として、地域での就労やボランティアで50時間の貢献が5万円の地域通貨となるといったことも考えられる。「ライバル会社も実施しているのであればわが社も」という横並び意識の利用も大切だ(笑)。
人が動けば能登が変わる、日本が変わる。主語は地元住民。能登へ向かう私たちが元気になることも大事だが、地元住民の雇用が増える、消費が増える、税収が増える。そして子どもたちという未来人材を育成できるということに価値を置きたい。
その土地でよい縁ができれば、運が広がり、それに対する恩返しも生まれる。縁と運と恩。そして後は一歩踏み出す勇気。ここにお集まりの皆さんが能登半島へ入ってくれることを期待している。