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『生涯活躍のまち』最新号の特集は「NOTO, NOT ALONE」
●復興のシンボル
そのデザインとコピーを目にし、いち早く反応したのは社会福祉法人佛子園理事長、公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)会長の雄谷良成だった。能登半島地震の発災直後に佛子園法人本部で立ち上げられた災害対策本部の本部長としてこれを紹介し、制作したのは誰かを調べて、ご本人に作品を復興のシンボルとして使わせてもらえないか、お願いしようと提案したのである。作者は穴水町出身で、名古屋在住のデザイナー・竹野順子さんであることがわかった。竹野さんに連絡をすると、快諾してくださるとともに、上記のメッセージが寄せられた。それを受けて最初に取りかかったのが、“NOTO, NOT ALONE”をアレンジした能登特製ブレンドとTシャツ、そしてビールである。
●マイナスをプラスへ
能登特製ブレンドは佛子園のオリジナルブランド「丹珈琲」のバリスタが人気銘柄「ホンジュラス」「エチオピア」「マンデリン(インドネシア)」をブレンドして開発した商品である。中米、アフリカ、アジアという異なる大陸だが、コーヒーベルト(赤道を中心にして、南回帰線から北回帰線の間にある熱帯地方)でつながっている。だから「珈琲も、ひとりじゃない」という思いが込められている。
Tシャツは佛子園の施設である輪島KABULETのプロジェクトとして始動した。トレーラーハウス「NOTO, NOT ALONE 研究所」を輪島市内に設置し、プリンター、データを送信する機器、乾燥機を搬入。Tシャツブランド“tdrops”を展開する佐賀県の会社、tdrops.jp の技術指導を受けて、障害のある人も就労継続支援として制作に加わる。トレーラーハウスではカフェも併用し、能登特製ブレンドを提供する。輪島KABULETの利用者さんは発災して間もない頃から、まちなかの瓦礫を拾ったり、市庁舎のゴミを整理したり、支援される側だけではなく、支援する側として活動してきた。そして地域を元気する役割も担うのである。Tシャツのパッケージや発送の作業などは仮設住宅に住む高齢者の皆さんの仕事にしようと考えている。
輪島KABULETは佛子園とJOCAによる共同プロジェクトとして2018年夏に開設された。少子高齢化が急速に進み、基幹産業である輪島塗の事業規模も大幅に縮小する輪島市で、街中に点在する空き屋を利活用した食事処、温泉、ウェルネス、グループホーム、ママカフェ、ゲストハウスなどの運営を通して地域の再生に取り組んできた。そしていま、倒壊した住宅や瓦礫の残るまちなかのトレーラーハウスで障害のある人が、仮設住宅に暮らすことになる、おじいさん、おばあさんが活躍する場を準備しているのである。
1998年に設立し、障害者施設として日本で初めてクラフトビールを生産した日本海倶楽部は、被災直後から事業の再開を目指して準備にとりかかっていた。2月に入ってビール工場のボイラーとブラストチラー(粗熱とり・急速冷却・急速凍結するための機器)が復旧。浄化槽も稼動し、醸造できるようになった。まずはNOTO, NOT ALONEラベルのピルスナー、ヴァイツェン、ラガーの3種類から販売を始める。
高齢化、過疎化が進む能登町でビールの生産を始めたのは、ここでつくられたビールを全国に展開するためだ。ブルワリーの開業にあたってはビールの醸造施設をドイツから輸入し、ビール醸造のスペシャリストをチェコから招聘。同社ビールのクオリティを磨き上げていったことでファンを増やし、地元に雇用を創出してきた。そしていま、新たなブランドを確立するための事業に取り組み始めた。
輪島KABULETも日本海倶楽部も、能登半島地震を苦難ではなく、新たな挑戦と受け止めているのである。
●新しい協力隊モデル
能登半島地震の支援活動はJOCAにとっての大きな転換点となる。青年海外協力隊(現JICA 協力隊)として途上国で培ってきた経験とノウハウを被災地で生かす――協力隊のミッションのひとつである、国内での社会還元を実践する場となっているからだ。
これまでのJOCAの災害支援ボランティア活動のほとんどは「落下傘」的に現地へ入るものであった。今回は当事者である。フロントからバックヤードまで、全国から派遣されたJOCA 職員やOV(JICA 海外協力隊経験者)が経験値を積み、人的、物的支援、あるいは国、県、市町村との間で築いてきた行政との関係性を体系化していけば、今後、日本各地で生じる様々な災害にも対応できるようになるだろう。全国各地には4万5,000人以上のOVがいる。どこでも支援活動に取り組むことができるのである。
とりわけ仮設住宅の運営は長期的かつ日常的な活動となる。一方的な支援に留まらない。住民が主体となって地域を運営できるよう移行していくためのサポートだ。これは途上国において、「魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教える」という協力隊として派遣される際の教えにも通じる。と同時に、人口過疎地を再生していく地方創生ともつながる事業なのである。