会社での「ありそうな」エピソードから本書は始まる。どこかから派遣されてきた役員が社員に向って「競争意識が足りない。来月からは営業成績が平均未満の者はクビだ」という。そんな檄を飛ばされて、社員は頑張るかもしれない。しかし、毎度平均以下を辞めさせていけば、いずれはひとりになる。当たり前のことだ。本当はトップセールスを記録する社員から、その極意や考え方を学ぶべきなのに——。こんな不合理は会社に限った話ではない。人の人生に「経営」という視点で光を当てると、いろいろな局面で見えてくるのである。
 たとえば「自分は尊重されていない」と不満を抱いている人がいたとする。そこで「俺はできる」を誇示するためにマウンティングをしたら逆効果だ。周囲は離れていくだろう。ならばどうするか。自分がしてもらいたいことをする。相手を尊重すればいい。そうすれば相手も尊重で返してくれる。この人の間違いは敬意が一方通行で払われると思っていることだ。双方とも払うことができれば、「限りある資源」に見えていたものが「無限に生み出せる価値」へと変わるのである(「5虚栄は経営でできている」)。
 就活生の例でいえば、「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」と50~100社に入社希望を出すのは悪手であり、のほほんとしながら1社に向けて応募書類のクオリティを上げる学生の方が内定をとれる可能性は高くなる(「7 就活は経営でできている」)。年収だけでみて会社を決めて入社をしても、激務の連続でストレス発散から浪費をしたら、本末転倒だろう。孤独な人が周りの人へ片っ端から連絡をし、返事がないことを非難し始めることで孤独が増す(「11 孤独は経営でできている」)、高齢者が図書館で人気の新聞コーナーで激しく場所取りをし、館内で「そういう人」とレッテルを張られ、居場所を失う(「12老後は経営でできている」)。これらのケースは、自分の目的が何であるか、自分の行為はその実現のための手段として適っているのか、を見失った経営失敗の結果だ。
 煎じ詰めると、経営とは人と人との関係の上に成り立つものではないか。本書を読み終えた後に、「はじめに:日常は経営でできている」の一節、本来の経営は「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」が腑に落ちる。
 ときどきふざけた文体ながら、とても深い内容。それも本書の魅力である。 (芳地隆之)