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今月のおススメ本は、タブレット純著『ムクの祈り タブレット純自伝』リトルモア
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歌手であり、芸人であり、昭和歌謡研究家である著者の普段の語りはか細く、歩き方は風に揺られてふらふらしているのだが、ひとたびギターを手に歌えばよく通る低い声が聞くものを魅了する。ただし、昭和の時代を生きてきた有名人の物まね芸は雑。何とも捉えがたい人が自らの半世紀を振り返った本である。
タイトルのムクとは著者が子供のころに飼っていた犬の名前。「バラックのような掘立小屋」での暮らしからの転居先には庭がないという理由で、手放してしまった。ムクを野良犬にした罪悪感と自らの姿をムクに重ねて本書を書いた。
ムード歌謡が小学生のころから好きで、中学一年生の時、百科事典の項にある銀座の夜景の写真を切り抜き、好きだった力士「麒麟児」の写真と一緒にクリアファイルに入れていたら、隣の席の女の子から「ハシモト君(著者の本名)が変な夜景と大仏の下敷きを持ち歩いていて気持ちが悪い」と教師に密告された。周囲とは異なる風貌と趣向は「破壊集団」である男子学生のいじめの標的となる。
高校を卒業してしばらく古本屋で働く。古本屋は表向きで、違法な“ビニ本”と“裏ビデオ”で儲けている店だ。著者は古本屋の社長の90歳になる母親とともに店番を任されていたが、彼女には認知症があり、レジの数字は一桁以上違うのが当たり前。しばらくして、その社長は逮捕され、古本屋もつぶれる。
世間に放り出された著者はヘルパー2級の免許を取得し、介護の職場で働くことに。これまで何をやってもダメだと自分を責めていた著者が、スタッフや利用者さんと比較的良好な関係を築けてこられたのは、己の弱さを自覚していたからか。
転々とする人生は続く。飲み屋で和田弘に会い、彼がリーダーを務めるマヒナスターズの一員になるも、元のメンバーが返り咲き、再び介護職へ。そこから演芸場に行きつく。まるで野良犬があちこちで拾われるように。
著者の心の支えのひとつは、中学校で自分と同じいじめられっ子だった一学年下の女の子から渡された「いつも笑っている先輩が好きでした」と記された一枚の紙切れ。子供のころから同性愛を自覚し、女性になりたいと思いながら、女性に惹かれる自分の心情などを綴る文章はとても繊細だ。
いまでは赤坂の草月会館でのリサイタルと浅草の東洋館でのムード歌謡漫談の両方をこなす。器用なのか、不器用なのか、わからない特異な芸能人がなにはともあれ、こうして生まれた。 (芳地隆之)