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松原惇子さん講演会《ひとりぼっちの老後》を楽しく生きる
2019年2月17日、生涯活躍のまち移住促進センターにて、『老後ひとりぼっち』など多くの著書のある松原惇子さんをお迎えして、おひとりさまの高齢期を楽しみながら生きていく秘訣をうかがいました。ユーモアを交えた松原さんのお話に会場は笑いの連続。今後の生き方を考える有意義な講演会となりました。
底を打つその先があるのが「人生100年」時代
自分が「ひとり」の老後について考え始めたのはいまから20年前のことです。自分のお墓もつくり、「直葬」(通夜・告別式を行わず、納棺後すぐに火葬する葬儀)のことも考えてきました。いま70代に入った自分にとって、これからの20年をどう生きるかが課題です。
今日、ご参加の皆さんの多くは60代以上ですよね。はっきりいって下り坂の人生を歩んでいます。人生を山にたとえると、社会的立場や収入面でのピークは55歳。そこから下っていき、85歳で底を打つ。さらにそこから100歳まで長く続くのが、巷でいわれる「人生100年時代」の正体。だから私は皆さんに早く死ぬことをお勧めします(笑)。
100歳までずっと楽しい人生なんてありません。現実を見れば、100歳でピンピン元気な人なんてほとんどいない。たいていは施設に入っています。芸能人も80歳を境にいなくなるでしょう。それまでテレビにちょくちょく出演していたのに、ある日パタッと画面から去ってしまう。(女優の)森光子さんや(映画評論家の)小森のおばちゃまもそうでした。皆さん年齢には勝てず、ある時期スーッと違う世界、すなわちお世話をされる側にいくのです。ただ、芸能人の場合はお世話してくれる人がいますが、皆さんはどうですか?
人がケアを受けるようになると、必ず金銭の問題が生じます。私が主催するSSSネットワーク(家族の有無に関わらず「ひとり」を生きる女性を応援しているNPO法人)の会員に年金や資産などについてアンケートをとったことがありました。800人を対象にしたのですが、無記名の調査にも関わらず、回答したのはわずか35名。それだけお金のことは他人に言いたくないのです。回答してくれた人の多くは資産を持っている方ですが、お金は安心の拠り所なだけ。ほとんどの人はそれを置いて死んでいきます。生きているうちに使いきれません。だから資産を持っていない方が幸せかもしれません。
年齢とともに変わる気持ち
人生をいきいきと過ごすために大事なのは最期のイメージをもつこと。自分はどういう死に方をしたいのかをきちんと考えておいたほうがいい。たとえば、65歳を過ぎて重い病になったとき、延命治療や最善の医療を受けたいのか、何も受けずに逝きたいのか。私はいろいろな人を見ているのですが、ちゃんとしておかないと死ねないんですよ。「私は兄弟とは疎遠なのでひとりです」と言っても、本人が死にそうになると、家族や親類縁者が現れて、あれこれ言い始めます。ですから、自分がどうしたいかをはっきり決めて、一番親しい友人などに話しておくか、一筆書いて預けておいてください。
「ひとり」という言い方はまあまあですが、「ひとりぼっち」というとすごく寂しい感じがします。私の場合、30代はすごく寂しく、孤独に苛まれました。40代はバブルが来たこともあり、仕事は順調でとても充実していたので、寂しさは感じられませんでした。50代は“そこそこ”で、周りの「ひとり」も“そこそこ”小金を貯めていました。当時の私たちの会話でよく出る言葉が何だったかといえば、「ひとりでよかったね」。結婚が必ずしも幸せではないことが、わかってきたからです。
とはいえ、先ほど述べたとおり、60代になると仕事の依頼も減ってきて、寂しくなってきました。そうすると子どものいる人がうらやましくなる。「子どもっているだけで違うんだな」と。私の知人で子どものいる人や家族に囲まれている人の顔つきは違うんですよ。ホワッとしているというか、自分のようにきつい顔をしていない(笑)。「やっぱり子どもは大切なのかしら」と思っていたら、周りの60代もそう感じていた。ところが、70歳になったら、「寂しい」とか、「子どもがいたらよかった」といった想いがパッと消えたのです。
あるお医者さんが「70歳を超えた人は身体的に強い」とおっしゃっていました。人は60歳を超えるのは難しくないが、70歳を超えるのは大変だというのです。私は60代のとき、仕事の依頼も減ってきて、心に不安が生じました。ところが70代までくると、後は死ぬだけと思うようになった。死ぬまでに何をしたいかだけを考えればいいので、気持ちが安定してきたのです。
どこで最期を迎えたいか。地域の中で皆に見守られて逝きたいのか? 都会の自分の家で誰にも看取られずに逝きたいか? 70代からそろそろ準備をしておくこと。自宅に住めなくなったらこういう施設に入りたい、とか、ぎりぎりまで家にいてそれから特別養護老人ホームに入る、とか。それによって今後の人生の設計図が違ってきます。自宅で終えるという決断をしたのであれば、近所の人といまから仲良くしようとなるでしょう。
ひとりで死ぬ覚悟と安心感
自分の最期を決めておくと、お金はあとどのくらい必要なのかがわかります。有料老人ホームに入らないと決めたのであれば、3,000万〜4,000万円も準備する必要はありません。上述のアンケートの回答では、お金を持っている会員は「最期は有料老人ホームに入るので4,000万円は用意している」と書いていましたが、お金を持っていない会員は「自分は有料老人ホームに入る気はない。人生どうでもいい、腹をくくった」と答えています。自分はどちらのタイプなのか。お金があればいいというものではありません。50万円しかもっていなくても、明るく生きている人もいますから。ただ、心配性は損をしますよ。
就職活動をしているという40代の女性が「100通りの将来のパターンを考えている」というのを聞いて呆れてしまったことがあります。人生を安心コースで歩むためのプランなのでしょう。こういう40代の「ひとり」女性はけっこう多い。バブルを知らず、世の中低迷している時代に育ち、経済が停滞している中で生きてきた世代だからでしょう。でも、誰も「人生、こうなる」と予測できません。往々にして予想外のことが起こるものです。
私の年代で再婚する人もいますが、人と人との関係は大変です。きれいごとでは済みません。外からは「子どもがいて幸せ」に見える夫婦も、子育ては大変なこと。自分の思い通りにはいきませんし、「子どもが病気になるかも、非行に走るかも」といった心配なども背負っていかねばならない。夫だって、たとえば病で倒れたら、面倒をみなくてはならないでしょう。持ちものが多いほど、いいこともあれば、大変なこともある。だから周りを見て「みんな幸せそうでいいな」と考えるのをやめました。すると「ひとりで清々しく仕事していいじゃない」と思えるようになったのです。「ひとり」は本当に自由。持ちものがないということは自由だし、死ぬのも自由。そのすばらしさに目覚めました。「ひとり」で死ぬという覚悟と安心感を得たからこそ、いまの楽しいひとり暮らしがあると思っています。
寂しいという考え方を捨てる
私の両親は仲がよく、母は父から何でも買ってもらっていました。父は戦争の経験から、「人は自由で健康なら幸せだ」が信条で、私も父から「自由にやりなさい。自由ほどすばらしいものはない」と言われ育ってきました。私も自分が60代までは「自分の両親は理想的ですばらしい夫婦だ」と思っていたのですが、両親と一緒に旅行にいった際、母が父を仕切っているのを見て、「これが女だな」と思ったものです。奥さんって仕切るんですよ。相手にも人格があるのに、自分のもののように扱う(笑)。母親の言うことをはい、はいと聞いている父親をみて、私は「男性は器が大きいな」と思いました。
冒頭で申し上げたSSSネットワークの前身はグループハウジング研究会でした。当時50代だった私と同じような女性が集まって、「老後に住める家をつくらない?」と始めたものです。その会が新聞に取り上げられたところ、入会希望者が200人くらい来てしまいました。
そんなに大勢の人が来て、どうしたらいいかわからなくなった私は、会のスタートを半年くらいお待たせしたりしたため、結局、20人くらいが残り、彼女たちと「住むならどこがいいか」「現在どういう物件があるか」「お金はどのくらいかかるのか」など毎月シミュレーションをしてきました。その会が5年目に入った頃でしょうか、そのとき私が出した決論は「これ以上やっても楽しくない」。この20人と同じところに住んだら絶対にいやになると思ったのです。いまは1カ月に1回会うくらいだからいいものの、同じ住まいに「あの人がいるんだわ」「エレベータで会いたくないわ」と毎日思うようになったら、そこがどんなにすてきな建物でもいられないな、と。
そこで「人と一緒に住む」という考えをやめました。みんなバラバラに住んで、いざというときにネットワークでつながれはいいと、グループハウジング研究会を解散しました。メンバーだった20人のうち、その後に立ち上げたSSSネットワークに加わってくれたのは2〜3人。それ以外の人はプイッといなくなったので、「一緒に住まなくてよかった」と思ったものです。人と仲よくやれるのは物事がうまく進んでいるときだけ。SSSネットワークでは、「1人ひとりがんばりましょう」「困ったときに繋がればいいじゃない」をモットーにしました。
年代によって「ひとり」ということに対する考え方も違ってくるでしょう。「ひとりが楽しい」という人もいれば、「ひとりは寂しい」という人もいる。しかし、「寂しい」という人はどんなことをしても「寂しい」と思います。「寂しい」という考え方を変えないかぎり、ひとりで楽しいという人にはなれません。
不安は誰にでもあります。でもそこに目を向けてばかりいると、口をきく人もいない、自分を思ってくれる人もいない、という悲惨な老後になってしまいます。
楽しい高齢者になるには
だから楽しい人になりましょう。SSSネットワークの会員で自分と同い年の末期がんの方がいます。私が「何かお手伝いできることはない?」と聞いたら、「松原さんは800人もの会員を抱える会の代表なのだから、自分のことで時間を割かせるわけにはいきません」と言う。「でも、あなたのことを知ってしまったのよ。縁があると思って、困ったことは言ってね」といった話をして、私はここのところ毎日、彼女の自宅マンションに通っていますが、ドアフォンを鳴らしてもなかなか出てきません。しばらく待っていると、ようやく応答がある。部屋から玄関まで移動するのが大変なんですね。
身体が弱るとはそういうことです。ドアフォンが鳴ってから玄関に行くまで時間がかかると、訪ねてきた人は帰ってしまう。そういうことが起こる。彼女は親しい人向けに合鍵をいれるボックスをつくったそうです。
うれしいことにSSSネットワークの会員が彼女の手伝いをしに通ってくれています。なぜ会員が彼女を手伝っているかというと、彼女が明るいから。明るいとそうなるのです。皆さん、愛される老人になってください。そうなれば最期まで幸せでいられます。どうすれば愛される老人になれるのか? そんなに難しいことではありません。まず服装を明るくすること。蛍と同じです。人は明るいものに引き寄せられる(笑)。そして明るいものはなるべく顔のまわりにつけましょう。赤いズボンをはいても、相手は下半身まで見ませんから(笑)。
色味のないものを着て、ブスッとしている人にあなたは近寄りますか? ピンクのものを身に着けて、にこにこしている人を見たら、声をかけたくなるでしょう? とくにいいことがなくても、いつもにこにこしていると人が声をかけてくれる。その程度のことなら誰でもすぐにできます。
ずっと家にこだわってきた
「ひとり」の捉え方とともに変わってきたのは老後の住み方です。私が30代のときのデビュー作『女が家を買うとき』で、シングルは老後が不安なのでシングル同士で集まって一緒に住めばいいと書きました。ところが、それは夢物語だとわかったのは、先ほど話したグループハウジング研究会での経験の通りです。
ですから、有料老人ホームのお世話にもなりたくない。人の世話になるより、人の世話をする方が楽しいと思って、60代のときに「自分は家でがんばるぞ」と決めました。私はいまも食欲がすごくあるので、85歳くらいまではひとりで大丈夫かなと思っています。その後は食も細くなり、心身も弱ってくるでしょう。そうした最期のステージを迎えたときに住まえるところがあるといい。それを自分でつくろうと思っています。計算すると3億円くらいかかりそうで、そんなお金はないのですが、できる、できないはともかくとして、考えることが大事。そして、やりたいことは口に出す。そうすればどこかで誰かと出会いがあるかもしれません。
いまになって再び家の問題に取り組んでいる私が、どうして家にこだわってきたのかといえば、そこに人生が乗っていると思っているからです。高齢者が住みかえをする際の理由として挙げるのが、病気など、「いざとなったときに不安だから」。でも、それは違うと思います。大事なのは「そこで楽しく暮らせるかどうか」。人生、「いざというとき」なんてそうそうありません。いざというときは「死ぬとき」です。
日常を丁寧に送る
老後を楽しく暮らすために一番大事なのは生活を丁寧に送ること。自分でご飯をつくり、部屋を掃除し、たまには花を買って活ける。ところが「ひとり」にはそうしたことをないがしろにしている人が多い。普段は働いているので、家は寝に帰るだけという「オヤジ」系の、「寝床なんだから、別にきれいにしなくていい。誰かくるわけでもないし」みたいな(笑)。
インテリアは人に見せるためにあるわけではありません。自分のためです。家に帰ったとき「ああ、ほっとする」という空間があると、いつまでも元気でいられます。散らかしているから寂しいと感じてしまうのです。テレビを見ながらレトルト食品なんか食べていると生活がすさんでしまいます。訪問介護に同行してみると、家は真っ暗だったり、ゴミ袋が積んであったり。そこに暮らしている人の心の中もそういうふうになっているのではないでしょうか。刑務所のように、朝起きたら布団をたたんで、体操してみてください(笑)。そうすると心が整ってきますから。
ひとりだからといって、人生はひとりで完結できません。人といるから笑えるし、楽しくなる。けれども密着しない方がいい。密着から不幸が始まる。人との距離感を保ちながら生きていくのは、寂しいかもしれないけれど、一番いいと思います。私にも密着した友人がいましたが、それには必ず別れがくる。それに懲りたので、ほどよい人間関係をつくるよう心がけています。以前は「家に遊びにこない?」と誘っていましたが、それももうやりません。家はひとりの場所。弱い心になるとどうしても人を求めたくなるので、「人を求めない」と貼り紙をしておくといい(笑)。とはいえ友人は必要なので、なるべく趣味や考え方が一致している人と仲良くしてください。それと猫(笑)。存在だけで心の拠り所となります。
生きものと一緒にいるのはすてきなこと。猫は禁止という有料老人ホームはだめ。猫がうろうろしている施設の方が居心地がいいじゃないですか。外国の施設はペットを飼うのが自由なところが多いですよ。オランダのユマニタス高齢者福祉施設を訪れたときは驚きました。「刺激が必要だ」と、ある日、象を連れてきたんです(笑)。それに感激した前オランダ女王のベアトリクスもそこを訪れました。
こうしたことは、施設に住んでいる人が幸せならいいという考え方から生まれる発想ではないでしょうか。オランダのその施設を訪れた時、90歳の元ジャズピアニストのおばあさんがきれいに着飾って、演奏している映像を見ました。彼女はその1週間後に亡くなったそうです。すてきなことだと思いませんか。
オランダの認知症の施設は高級住宅地のような雰囲気でした。認知症の方もみんなすごくおしゃれをしている。施設にいても寝たきりにはさせず、必ず起こして服装を整え、ロッキングチェアに座らせるんです。だからそこでは入居者もスタッフも誰が認知症なのかわからない。男性の入居者なんか靴はぴかぴかで、蝶ネクタイまでしていますから(笑)。
その点、ここ(講演を行った長方形の会議室)はだめですね、殺風景で。私だったら壁にルノアールの絵を掛けます。それだけで雰囲気はがらりと変わる。高齢になったら外見が大事というのは、単に着飾ることではありません。それは住まいも同じ。美、アートなのです。
明るく生きましょう!