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人が笑顔になれば、それが福祉です~若杉会福祉会理事・ごちゃまぜ沖縄共同代表、屋宜貢さん~
今年のGOTCHA !! RALLYの発信地は沖縄。社会福祉法人若杉会福祉会理事、そして一般社団法人ごちゃまぜ沖縄の共同代表を務める屋宜貢さんが中心となって準備を進めています。そこで『生涯活躍のまち』25号に掲載したインタビューをご紹介。昨年5月に那覇市でご自身がプロデュースしたミュージカル『市民ごちゃまぜミュージカル 希望の街』公演準備中に話をお聞きしました。特集タイトルは「THAT’S ENTERTAINMENT」。お楽しみあれ。
――屋宜さんは高校を卒業された後に米国に留学されたそうですね。
はい。米国ではテニスにも熱中していて、聴覚障害のある方のテニス大会の手伝いもしていました。当時から障害者スポーツに携わりたい、また、自分の親、そして自分が安心して暮らせるような老人ホームをつくりたいと思っていて、日本語話者と英語話者では手話が違うということも現地で知りました。
米国から帰国後は京都にある特別養護老人ホームで勤務を始めたのですが、日本は福祉のハード面、ソフト面ともに米国より「20年は遅れている」と感じました。
――たとえばどういうところで?
スタッフが入所者と話をしたり、入所者の爪を切ってあげたりするのは介護の仕事とみなされませんでした。当時は1990年代半ばで介護保険も導入されていない時代。おしゃべりなどは介護ではなく、遊びだと思われたんです。自分たちの仕事は排泄の介助、移動の補助などであって、お話や爪切りは勤務外にという考え方でした。また、普段の業務も流れ作業的というか、食事の際に入所者は車椅子に座ったまま並んで待たされる。なぜ全員が同時に動かなくてはいけないのか、と疑問を呈しても、なかなか聞いてもらえない。仕方がないので、入所者の心のケアといったことは勤務外の時間や休日にしていました。
ある日、法人のトップに呼ばれたんです。「生意気なことばかり言っていたからクビになるのかな」と思いつつ出向いたら、指導員として自分の思う通りでいいからホームの運営にも携わってみなさいと言われました。そこで夏祭りをやることになり、機能訓練室と呼ばれた食堂に幟を立て、提灯をつるし、ドアや窓も障子に代えて居酒屋風にして、カラオケも入れたら、みなさんとても楽しそうで。
――沖縄での学生時代からイベント活動をされていたそうで、そのときのノリも手伝ったとか。
クラブミュージックやレゲエ、沖縄民謡までイベントの企画をしていたのですが、当時は自分のために楽しんでいたところが大きく、ホームで夏祭りをしたとき、「世の中に面白さを提供するのもいいな」と。自分が楽しみながら相手にも楽しんでもらおうという考えに切り替わったんです。
それから地域に暮らす人を対象にしたまちおこしイベントを企画・開催するようになりました。たとえば、商店街から「地元が盛り上がるようなことをしてほしい」と頼まれて始めたのが「出会い祭り」。お互いを知らないから、差別が生まれる。出会ったら(差別は)起こらないよね、というコンセプトで3年続けました。当時はお金もなかったのに、よくできたなと思います。
――エンターテイメントの仕事をされるのは沖縄に戻られてからですか。
30代前になって沖縄に帰り、イベントのプロモーターになりました。国内外のアーティストを招聘し、ショーの内容などを考えて売り出す。自分のホールをもっていたので、いろいろな方にライブや演劇の場として提供していました。
――たくさんの方が登場されたとお聞きしています。
頼まれると基本断らなかったからだと思います。レゲエ、ヒップホップ、ディスコイベント、ショーパブ、あるいは沖縄でコンサートやった外国人タレントのパーティなどを開催していたのですが、企画を持ち込まれて、「やるか、やらないか」を判断する際、「採算とれる?」「うーん」「がんばればできる?」「なんとか」みたいなやり取りでも引き受けていました。自分がいいと思う企画にはお金も出していたので、儲けの得意なプロモーターではなかったですね(笑)。
――プロモーターの経験が後の社会福祉法人若杉福祉会で生きてきた。
保育園2カ所、児童館2カ所を運営している若杉福祉会に理事として入る際の条件として、お遊戯やお芝居の発表会、運動会など、エンタメの部分は自分に任せてほしいと伝えました。発表会でも運動会でも、子どもにとって簡単にできることは楽しくないんです。すぐにできちゃうことにはすぐに飽きてしまう。運動会の練習ではしばらく基本動作をやって、1カ月前になって本当にやりたい種目に挑戦しました。これまでよりもちょっとハードルを上げると、やる気が増してくるんです。
大切なのは子どもたちが本当に楽しんでやっているか。本番で発表会が完成しなくてもいい。これまでできなかったことが、今日はここまでできるようになりました、というように子どもたちがチャレンジしている姿を見せていくことが大切だと思っています。ただ、現在は職員が積極的に取り組んでいるので私の役目はもうないですね(笑)。
――過程を見せることが大切だと。
保護者の方は、発表会や運動会全体の良し悪しよりも、自分の子どもはどうかを見ています。本番のときにただ立っているだけの子どもがいたとしても、練習の時には舞台にさえ立たなかったのに、それが太鼓をもって舞台に上がっているとしたら、すごい成長ですよね。そういうことを伝えたいし、そのためにはひとり一人の子どもをきちんとみていなければならない。私は長くエンタメに関わってきたため、つい完成度を求めたくなるのですが、子どもたちがやって楽しいか、楽しくないか。それに尽きます。
――子どもと対等に向き合っているからこその思いに感じます。
若杉福祉会は、地域に自治会がなかった時代から、住民が集まる集会所の役割を担ってきました。保育園は地域の福祉拠点になるべきだと思っていて、卒園して近隣の小学校、中学校に通っている子どもたちはいまも遊びにきます。その彼らが企画をもってくるんですよ。バーベキューやりたいとか、お泊り会をしたいとか。それを聞いて、こちらは「今日準備して、明日やるというのは計画とはいわないよ」「お泊り会をするときには、まずそれを親に伝えないとね」といったアドバイスをする。あるいは「バーベキューをやるなら、そのお金をどう集めるの?」と尋ねてみる。イベントのプロモーションと同じで、それを子どもたちは学ぶわけです。
――若杉福祉会が運営している保育園や児童館ではプロのアーティストが働いているそうですね。
エンタメ分野の人は児童福祉に向いているんです。普段から人前で表現活動されている人は自分に自信をもっている。子どもたちの前でも堂々としているのでかっこいい。そんな憧れる大人が児童館の職員でいることで、子どもたちも生き生きするんですね。大人が楽しくしていると子どもたちも元気になる。大人が好きなことをやって、自分自身が輝いていることが、子どもたちのためになる。そういう環境にいると子どもたちは将来像を描きやすくなると思います。
――どんな「かっこいい大人」がいらっしゃるのですか。
児童館の館長はパフォーマー、職員にはベーシスト、舞台俳優、画家、保育園には太鼓などの伝統芸能音楽の奏者など。みなさんプロとして稼いでいますが、エンタメ業界も、とくにコロナ禍以降は、不安定なので、日中は福祉施設で働いて定期的な収入を確保する。急に仕事が入った場合は、そちらを優先してもらって、私たちが人繰りの調整するようにしています。
「やってあげる」「やってもらう」ではなく、お互いが「ありがとう」といえる関係をつくりたい。そのためには双方が必要な存在であるということが基本です。たとえば、プロの演奏家が高校生を指導する機会を私たちはつくっているのですが、そこで教わる高校生は代わりに小学生に勉強を教える、あるいは中学校の軽音楽部員に演奏を教える。お互いに頭を下げることはない、対等な関係づくりといえます。
――そうした普段の活動が5月8日に開催される那覇市制100周年記念「市民ごちゃまぜミュージカル 希望の街」につながっていったのですか。
きっかけは社会福祉法人佛子園の施設を視察したことです。福祉に対する考え方が変わりました。型にはまらない自由な福祉があるんだ、世の中の人が笑顔になれるのであれば何をしても福祉ではないかと思ったのです。これまで自分のなかで「福祉」と「エンタメ」は別々のものと分けていたのですが、「一緒にしていいんだ」と。「市民ごちゃまぜミュージカル」ではワークショップ・オーディションをやり、全員を受け入れました。なかには、社会でうまくやっていけるだろうかと思わせる方もいて、少し心配していたのですが、演出家など制作陣は「ミュージカルをやろうなんていうのは、そもそも社会的には不適合な人ばかり(笑)」。それを聞いて、「エンタメってやっぱりいいな」と思いました。子どもからお年寄りまで、とか、障害のあるなし、なんてわざわざ断る必要もない――あえて言わなければ伝わないこともあるのですが――映画『グレイテストショーマン』みたいな、演じる人たちがありのままの自分を表現する。そんなミュージカルをつくることになったのです。
――舞台のレベルも日に日に上がっているそうですね。
正直、驚いています。素人の方々が舞台に立つので、私は派手な照明や特殊効果で演技や歌の拙さをごまかそうかなどと考えていました。ところが制作サイドはすべて却下。「そのままを見せましょう」と。それは保育園での子どもたちの発表会に対する考えと同じです。
――現在、進行中の若杉福祉会のごちゃまぜ施設のプロジェクトについて教えてください。
場所は那覇市でもっとも高齢化が進んでいる地域で、森に隣接したところに建つ予定です。完成は2026年を目途にしています。「音楽とアートの森」というコンセプトでスタジオやステージをつくるほか、子ども食堂、ウエルネス、キャンプ場が入ります。福祉事業としては、地域密着型特別養護老人ホーム、就労継続支援、児童発達支援、子どもの第3の居場所事業(不登校児などの受入)を行う予定です。ただし、福祉収入だけでは限界があり、十分な人件費を捻出できないので、エンタメによる事業収入を組み合わせた経営を考えています。そのなかのひとつに一般の劇映画の製作があり、就労のメンバーも加わって、来年度にクランクインの予定です。
そうした活動によって施設も活性化する。映画で撮影したロケ地は「聖地巡礼」として売り出していけるかもしれない。アーティストのグッズも就労支援でつくりたい。エンタメが活性化すれば、就労も盛り上がるでしょう。みんなの得意分野が生かせる環境をつくっていきたいと思っています。