本ホームページでは当協議会の月刊小冊子『生涯活躍のまち』の過去の記事を配信しています。今回、ご紹介するのは36号掲載のもの。広島県福山市の景勝地・鞆の浦で地域を巻き込んだ共生社会づくりに取り組む鞆の浦・さくらホームの羽田冨美江さんです。また、後半では当協議会副会長であり、社会福祉法人愛知たいようの杜理事長の大須賀豊博との対談も掲載します。

羽田冨美江さん
有限会社 親和 代表取締役
理学療法士 介護支援専門員
認知症介護指導者
1956年生まれ。理学療法士として20年間、福山市内の病院や老人保健施設、リハビリテーション専門学校に勤務。義父の介護をきっかけに地元の地域福祉活動に携わるようになる。2004年4月に鞆の浦・さくらホーム開所。広島県鞆の浦でグループホーム、デイサービス、小規模多機能居宅介護、放課後等デイサービス、「お宿と集いの場 燧冶(ひうちや)」、駄菓子屋を、兵庫県相生市で小規模多機能居宅介護、高齢者向け住宅、惣菜屋を運営している。事業所が人と人を繋ぐハブとなり、地域社会の中で、家族、近隣の人々、知人などと心の通い合いがある社会的なつながりを保ち、気にかけ合いながら、年齢を重ねても、障害があっても「居場所となるまちづくり」を目指している。著書に「介護が育てる地域の力」「超高齢社会の介護はおもしろい」。

鞆の浦・さくらホームの取組みから見る地域を巻き込む共生社会

顔がみえる関係づくり
 鞆の浦は広島県福山市の南端にある小さな港町です。鞆町(鞆町後地および鞆町鞆)の人口は現在3,500人あまり、高齢化率48.6%に上ります。うち、後期高齢者30.8%、単独世帯23%と厳しい数字ですが、住民の町への愛着は深く、鞆の浦・さくらホーム(以下、さくらホーム)は、地域で暮らす豊かさを住民とともに体感したい、障害のある方や認知症の方の受け皿をつくりたいという想いから立ち上げられました。
 さくらホームは、「年齢を重ねても、障害があっても、居場所となるまちづくり」をミッションとして掲げ、居宅介護支援事業所、通所介護、小規模多機能居宅介護、認知症の方のグループホーム、「さくらんぼ」として放課後等デイサービス、発達障害支援の事業を展開しています。「さくらんぼ」の同じ敷地内には住民が立ち上げたNPO法人「鞆の人とくらしを」があり、地域互助の拠点(見守り支援、買い物支援)、介護予防の拠点(コミュニティカフェ、体操)、地域包括支援センター出張所があります。
 徒歩圏域に拠点(4カ所)が点在することで、利用者さん、事業所職員、地域住民のお互いの顔が見える関係を目指してきたところ、地域の高齢者が介護予防の体操をした後に花壇の草取りをしたり、焼き芋を焼いてくれたり、若年性認知症の方が掃除をしたり、子どもたちの世話をしてくれたりと、ごちゃまぜのコミュニティが自然とできていきました。

さくらホームのアプローチ
 お互いに顔の見える関係をつくることに加えて、職員が利用者さんのもつ資源を耕していくことも大切なアプローチです。医療や介護の枠を越え、地域の人と顔なじみになる。住民と何気ない会話ができるようになる。それによって自分たちでケアの課題を全部抱え込むのではなく、地域に返す意識をもつ。その際には住民を頼りにするという方法です。
 さくらホームらしい事例を紹介しましょう。
 奥様と2人暮らしをされていた92歳男性、タツオさんは元漁師。介護度2で認知症はあるものの、身体は自由に動くし、書道家でもあるので施設のメニューなどを気軽に書いてくださいます。奥様は介護度5でグループホームに入居しており、タツオさんは小規模多機能を利用しながら、毎日数回、奥様のいるグループホームと自宅を行き来しています。ところが地域からは「早くグループホームに入れてほしい。不安でしょうがない」との苦情が寄せられました。タツオさんが他人の自転車を拝借し、乗り捨ててしまったり、銀行で「通帳を盗まれた」と大声を出したり、ご近所の花壇の花を摘んだりするというのです。
 でもタツオさんは自分で歩けるし、施設には入りたくないという。そこでさくらホームとしては、自転車置き場に「自転車には鍵をかけましょう」というポスターを貼り、タツオさんの自宅付近で乗り捨てされた自転車を見つけたらすぐに戻すようにしました。銀行はタツオさんの担当者を決めてくれました。すると、「通帳が盗まれた」と騒いだ際も収めてくれるようになりました。
 それ以外にも「タツオさんがお店で買ったビールをその場で飲んでふらふらして危ない」「海に向かって立小便をして危険」といった苦情もありました。それらに対しては、お店の方にノンアルコールビールしか売らないようにお願いしたり、花は早くに亡くなった息子さんの仏壇に供えるためと事実を説明し、スタッフが謝罪することで、花壇の持ち主に被害届を取り下げてもらったり、立小便で海に落ちないか心配という町内会長や民生委員の方々には「本人の習慣だから落ちたら落ちたでそれは仕方ない。そのときは知らせてほしい」と伝えたり――ひとつひとつ課題に対処したことでタツオさんは自由に奥様と自分らしく暮らせるようになりました。
 ところが、他県に住んでいたひとり息子さんが定年退職されて、実家を訪れた際、タツオさんが近所の方に迷惑をかけ、いろいろと支えられていたことにショックを受けたそうです。近所の方は迷惑とは思っておらず、むしろ半分面白がっていたくらいなのですが、息子さんは「またご迷惑かけたらと思うと気が気でない」とタツオさんを息子さんの住む都会の施設に入れるため、連れて帰られてしまいました。
 タツオさんと奥様は離れ離れになる残念なことになりました。私たちは利用者さんの自己選択や暮らしの継続性を大事にしてきたにもかかわらず、息子さんへのアプローチが足りなかったことを反省しました。と同時に、「近所の人はこちらが頼んだら助けてくれる」。そして「誰かを助けることで住民の意識が変わっていく」こともわかりました。

福祉がつなげる暮らしのネットワーク
 103歳の認知症のAさんは元教師で毎週囲碁教室に来ています。当初は一局やったら帰ったのですが、教室のお仲間がAさんをトイレに連れていってくれるようになり、何かあれば(さくらホームに)連絡すると言ってくださるので、教室で長く過ごせるようになりました。また、100歳体操に参加しているグループホームの入居者さんは、近所の方が見守ってくれており、体操が終わるとグループホームまで送ってもらっています。
 私たちは日頃から地域の方々に「(利用者さんが)転倒したら、その時はその時。地域で暮らすとはそういうことです」とお伝えしているからか、「認知症が怖くなくなった」という声を聞くようになりました。後掲の写真は「駄菓子屋で店番をしているデイサービスの利用者さん」「近所の夏祭りで、自分でつくったくるみボタンを売る自閉症のSさん」「『さくらんぼ』を利用している重度障害児や医療的ケアの子ども、元気な子ども、認知症の高齢者、近所の人がみんな一緒になっての餅つき」「オモチャサロンで子育ての親御さんと重度障害の子どもたちが一緒になってのコンサート」です。私たちは病院の家庭医、企業、地域の人と力を合わせ、地元の小学校で「健康とはどういうことか、幸せってなんだろう」というテーマで話し合う機会をつくっています。共生社会にとって、子どもたちへの教育とその継続が一番大切だと考えているからです。
 地域の資源が限られているなか、趣味、しごと、サロン、自治会などを通して住民一人ひとりのネットワークをつなぎ、広げていく役割を福祉が担う。これを私たちは約20年続けてきました。まだ十分ではありませんが、利用者さんに対する住民の意識は「介護が必要な人」から「地域でともに暮らす人」へゆっくり変容している。そんなことを実感しています。

駄菓子屋で店番(左上)、近所の夏祭り(右上)、みんなで餅つき(左下)、オモチャサロンでのコンサート(右下)

対談(困ったときは)胸を張って、“できません”と言おう
大須賀豊博 × 羽田冨美江さん

大須賀 豊博
社会福祉法人愛知たいようの杜理事長
一般社団法人生涯活躍のまち推進協議会副会長

職員を地域化するとは

大須賀 鞆の浦は訪れたことがあります。とてもいいところですね。今日の話からは、人と人とのつながりのある町だということが伝わり、だからこそ住民の方はタツオさんの日々の行動が気になって仕方がないのだろうなと思いました。多くの場合、住民が「○○さんをなんとかしてくれ」と自治体へ苦情を寄せて、役場の職員を困らせてしまうのですが、さくらホームを設立してから約20年間、自治体とのやりとりで難しかったことはありますか。

(羽田)自治体とやりとりすることはあまりないです。自治会からの苦情は多々ありますが、タツオさんに関しては、ご近所の方はタツオさんの性格も知っているので、タツオさんが施設に入るのは無理なことは想像できていたと思います。トラブルが起きたときは、ご近所の方が職員と一緒に自治会に説明に行ってくれたこともありました。
 さくらホームの立ち上げ当初、私が「鞆町をこんなまちにしたい」と言ったとき、地域の方は「あんたが勝手にしたらいい」という反応でした。でも、「できないから力を貸して」と言えば、「仕様がないなあ」と助けてくれました。いまではお餅つきに「大丈夫か、手伝いに行こうか」と向こうから言ってくださいます。問題行動のある人については、「何かあったら連絡をください」とお願いし、みなさんを巻き込むようにするほか、地域住民、民生委員、自治体職員などで構成する地域ケア会議を頻繁に開いています。

(大須賀)支える側である介護専門職は不足する一方です。どこかで限界がくることはみんながうすうすわかっているのに、事業者はつい自治体にどうにかしてくれと相談に行く。でも自治体はどうしたらいいかわからない。したがって事業者が持ち込んだ困りごとは戻される。ではどうするか。そこに目を向けることで、地域の課題に気をかけてくれる人が集まってくれる。専門職と自治体ではどうにもならないところを地域の方が支えるのです。

(羽田)鞆町も、以前は認知症の方に対する地域住民からの苦情もあったのですが、高齢化が急速に進んだことで、住民にとって「わがこと」になっていきました。そして「自分がこうなったときには、こんな風に自由にさせてほしい」「何かあればさくらホームに連絡すればいい」と考えるようになった方が増えたと思います。

(大須賀)「さくらんぼ」の活動もすごくいいですね。いろいろな機能を足していった結果、「ごちゃまぜ」になったのか、もともと必要な機能をもたせようとイメージして展開してきたのか、どちらですか。

(羽田)ボランティアが見守り支援や買い物支援をするため事務所として福山市から借りていたところに「さくらんぼ」が入りました。機能を足していったというよりも、地域の居場所に「さくらんぼ」が加わり、自然に融合していったという感じです。

(大須賀)私たち(愛知たいようの杜の)職員も地域の課題をつい自分たちだけで解決しようとして、うまくいかないことがあるのですが、職員を地域化するとは、外に向かって発信していくことだと思います。その難しさはどんなところにあると思いますか。

(羽田)職員の地域化を嫌がる職員もいます。「自分にはできない」とか、「住民の人がこわい」とか。そういう職員に無理はさせません。利用者さんがデイサービスから帰ってくると、地域の人が「お帰り」といって迎えたり、車椅子から降りるときに手伝ったりする様子を見て、だんだんと慣れていくようです。介護職員は、介護はできますが、地域住民と協働することには慣れていないので時間がかかります。
 地域化が得意で、サンマを焼くパーティを開催したり、お祭りの踊りに利用者さんと一緒に参加したりする職員もいます。それを他の職員が見て、「面白いなあ」と自分もやり始めることもあります。いきなり地域に入るのは難しいので、まちなかの活き活きサロンやコミュニティカフェへ行かせたりしていますが、入社したら先輩と一緒にまちなかを移動するので、「ここでは挨拶しなくては」とか「こんな話をしよう」というのがわかってくるのです。

外へ向かう方法と内へ呼び込む方法

(大須賀)(愛知たいようの杜のある)長久手市は、高齢化率が低く、若い世代が多いのですが、地域のつながりが薄い。若い世代にとっては、近所づき合いのわずらわしさがないことが、移り住む理由のひとつとなっているせいか、住民同士の挨拶がほとんどないんですね。鞆の浦では地域で挨拶をしていくことで、人の繋がりができ、住みやすい、暮らしやすい、最後は見守ってもらえる、そんな町になっているのでしょう。
 長久手市は現在、そちらに向かっている段階ですが、つながる仕組みには、外へ出て行ってつながる方法と、内側へ呼び込んでつながる方法の2つがあると思います。羽田さんの方法は前者。職員が外へ積極的に出ていくというものですね。私たちがやっているのは、どちらかといえば後者。内側へ呼び込むという方法です。
 デイサービスで認知症の方を花見に連れていったことがあります。その際、地域の方に「介護職員は認知症の方の面倒をみなければならないので、写真を撮るのが難しいんです。誰か写真が得意で撮ってくれる人はいないですかね」と相談しました。実際は自分たちで写真を撮ることくらいはできるのですが、ある方から「どこそこの誰それは写真がうまいから、今度話しておくよ」と紹介されました。地域がつなげてくれるんですね。おかげで私たちは認知症の方をケアできるし、写真を撮りに来てくれた方は、作品を褒められるので元気になり、なおかつ私たちの応援団になってくれる。こうした循環がいい。内側に呼び込む仕組みもさくらホームで取り入れてみてはどうでしょうか。
 人は儲かっているところや、うまくいっているところに、助けにはいきません。「いかに困っているか」「うまくいっていないか」を維持しながら、事業を進めていく。そうすると、みんなが応援してくれて、応援してくれる人も元気になる。だから自分の会社は儲かっていない、うまくいっていないと積極的に言っていった方がいい(笑)。

(羽田)SNSで「私たちはこんなケアをしています」と発信していたら、それに共感してくれた若者が全国からきてくれました。鞆の浦は風光明媚で、子育てがしやすいところであることも世間に伝わっているようです。

(大須賀)自治体や事業者は自分たちでなんとか解決しようと思ってしまう。でもなかなかうまくいかない。解決できない困りごとを地域に出していくことが大切です。そうすると、それを気にしてくれる、あるいは手伝ってあげようという人が現れて地域が変わっていきます。
 これまでのような住民が役場に苦情を上げる関係ではなく、問題を住民にうまく返すことで、支える側と支えられる側が交ざる。最初は助けているつもりが、実はこちらが活かされていたとはよくあることです。
 今日のオンラインセミナーに集まっている私たちがうまく情報発信をし、困りごとを地域に戻して、それを解決するために人が活躍する。そんな仕組みをつくっていきましょう。