この特集タイトルは、当協議会の会長である雄谷良成が理事長を務める社会福祉法人・佛子園の「BUSSIEN VISION 2030」が掲げる目標のひとつからとった。ややこしいと思われるかもしれないが、雄谷ならびにstudio-Lの代表である山崎亮さんの講演録、ならびに2人の対談を読んでいただくと、地域づくりにおいて、それがいかに大切かがわかるだろう。
 雄谷は「組織はトップを見ているだけではわからない、ナンバー2がどういう人間か、そしてナンバー2が後継者を育てているか、それによって自分の評価が決まる」と語っている。山崎さんは「生涯活躍のまちで活躍するのは(仕掛け人である)ぼくたちやあなた方ではない。地域の人たちなのだ」ということを強調されていた。
 人を育てられる人を育てよう。道に迷ったときは、ここに立ち返る。そうすればまちづくりは確実に前へ進んでいくはずだ。


生涯活躍のまちのネクストステージの次を見据えて

雄谷 良成
(社福)佛子園理事長/(公社)青年海外協力協会会長/(一社)生涯活躍のまち推進協議会会長

支える側に立つ障害者

 石川県白山市に佛子園の本部を立ち上げて4年が経ちました。建物を完成させて終わりではなく、これからどう成長していくかが大切だと思っています。
 障害のある人が働けるということは、いろいろな人が働ける可能性があるということ。ここで働いていた青年は先ごろ一般就職しました。自立したのです。重い自閉症ですが、こちらが頼んだわけでもないのに、自分でラジオ体操の先生をし、自分で稼いだお金でアイドルのコンサートにも出かけていました。
 ある養護施設で虐待を受けていた男性もいます。うちに来た当初は、身を守るために女性言葉で話して弱いふりをしていたくらい(虐待が)ひどかった。当初は盗癖もありましたが、いまではまったくありません。
 何かあったとき、行きどころがないと社会的問題に発展することもあります。自分が住んでいる地域に居場所があることの大切さは独居の高齢者にとっても同じ。とくに年末年始は本当に寂しい。だからわれわれのところに来てもらい、いろいろな方がいる「ごちゃまぜ」のなかで交流すると元気になるのです。
 障害福祉サービスだけに頼らず、地域でどう見ていくか。私たちが障害者施設をつくった当時、地域の住民から強い反対に遭って、「ここまで地域の理解がないのか」と驚きました。そこで私たちは地元の活動に積極的に参加し、障害者や高齢者、若い世代など、様々な人がともに暮らすことのよさを知ってもらうよう努めたのです。
 われわれが運営するスポーツジム(ゴッチャ!ウェルネス)では発達障害の青年がトレーナーをしています。障害者で彼くらい障害の重いトレーナーは世界でも稀でしょう。いまでは指導的な立場です。ゴッチャ!ウェルネスの特長のひとつは会員がやめないこと。会員同士がピアサポート(同じような課題に直面する人同士がたがいに支えあうこと)の関係にあるからだと思います。
 いままでは障害者を社会で誰かが面倒をみるという考え方が一般的でした。しかし、私たちのところに「児童養護施設で子どもの話し相手になりたい」という発達障害の青年がいるように、社会保障の対象と思われていた人がそれとは反対側の立場にもなります。それだけの人力を彼らはもっている。人材が減っているといわれますが、まだまだ人はいるのです。

人は交わることで健康になる

 「二草三木西圓寺」のある石川県小松市野田町では、高齢者や子ども、障害者などが集まったことから人口が増え、世帯数は2008年の55世帯から2018年には75世帯になりました。
 ここにうちのスタッフがある男性を連れてきました。11年前に校長先生を引退した方で、態度は高飛車、すぐ人に説教をするタイプだったのですが、難聴になってしまったそうです。いままでは理屈で人をやり込めていたのに、耳がよく聞こえなくなったため、説教のしようがありません。それで家にひとりで引きこもるようになってしまったのです。
 彼はここに来て、いろいろな人に接し、うれしくて泣いていました。そして、さっきまで泣いていたと思ったら、ベリーダンスを楽しそうに見ていて、また人に絡みだした(笑)。
 そこに普通にいる——人と交わるだけで健康になるのです。家にひとり寂しくしている人を連れ出すのに介護保険は必要ありません。近くにいる子どもの頭を撫でるなんて、福祉などの公的サービスにはないのですから。

エイジフリーの時代の到来

 私は石川県金沢大学で公衆衛生学を教えているのですが、生きがいと生存率には相関関係があります。生きがいを感じている人とそうでない人では要介護になる率が大きく違うのです。これは福祉や医療には限界があるということを示しています。
 カリフォルニア大学バークレー校とドイツの調査会社の共同研究によると、2007年以降に生まれた日本の子どもの半数以上は107歳以上まで生きるそうです。これは先進7カ国でトップ。日本人の平均寿命はここ10年で2歳以上伸びています。普通は経済成長が鈍化すると、寿命も停滞傾向になるものですが、それがまったくない。ということは、今後生まれてくる子どもの平均寿命は110歳くらいまでになる。それは未来に起きることではなく、現在進行中のことなのです。
 いままでの人生設計は、教育は20歳前後で終わり、その後の仕事は60〜65歳くらいまで。残りの20年くらいを引退生活で過ごしたら死ぬというものでした。ところが、人生100年時代を迎えたいま、「人生は85歳まで」というペースで走っていたら、その先にまだ20年くらいが待っている。そうなるとお金のことも改めて考えなければなりません。そもそも時間の使い方を考え直さないといけない。現在、高齢者の継続雇用は65歳までですが、3年後には68〜70歳になります。年金の受給も70歳以降となれば、高齢者の定義は70歳以上になるでしょう。定年のないエイジフリーの時代がやってきます。それに不安を感じる方も多いでしょうが、田んぼに水を張り、苗を植え、稲を刈るという、ゆっくり時間をかけて行う稲作文化をもつ私たち日本人には合っているのではないでしょうか。
 上述の生きがいと生存率の関係に話を戻せば、高齢者の就労率の高さと健康寿命の長さにも相関関係が見られます。日本が取り組む課題の解決は、これから少子高齢化が急ピッチで進む台湾、韓国、シンガポール等にとってのモデルになっていくでしょう。

人口減の原因は少子高齢化だけではない

 白山市北安田町にある地域コミュニティ「B’s行善寺」は2016年10月にグランドオープンして以降、関係人口を増やしていきました。同月に約2万3,200人だったそれは2017年3月には2万9,500人に。うち施設の利用者は1万人強、食事をしたり、ビールを飲みに来たり、また温泉に入りに来たりする地域の人々は2万人弱。後者には生活保護を受けている人もいれば、執行猶予中の人もいます。いろんな人がいますが、誰かが誰かを助けようなんていう意識はさらさらありません。ただ一緒にいると元気になる。いままで排除されてきた人たちが実は大きな力となっている。たった11万人の地域社会でこうしたことが起こっているのです。 
 石川県輪島市では、佛子園と青年海外協力協会(JOCA)が連携して地域づくり(輪島KABULET®)に取り組んでいます。同市の人口は1980年の4万5,000人から2019年2月現在は2万8,000人にまで減少しました。地元の伝統工芸である輪島塗はバブルの時代には160億円の売り上げを記録しましたが、いまは30億円台に落ち込んでいます。人口減少は少子高齢化によるものだけでありません。130億円規模で基幹産業が衰退すると人口が流出していくのです。

インバウンドを引きつけるもの

 古い空き家を福祉仕様に改修しようとする際、しばしば法律の壁に突き当たります。輪島市のケースでは、ある家屋に大きな柱がありました。そのため廊下の幅を車椅子が通れるほど確保できません。かといって、その柱はそのまま使いたい。以前なら国土交通省はそうしたことは認めませんでしたが、「そこ廊下と呼ぶからだめなので、同じ広間として申請してほしい」と言ってくれました。こうしたサポートを経て、現在、輪島市では中心市街地で14〜15カ所の空き家や空き地を「Reイノベーション」(リノベーション=建物の改修とイノベーション=技術革新を組み合わせた造語)しており、以前は真っ暗だったところに、いまでは灯りが点り、みんなが運動したり、ほろ酔いしたりしています。
 輪島KABULET®の拠点施設が行っている地域の人々への配食サービスや地域の人々が温泉に入りに来る回数などを数値化していくと、まちの人たちの様子をチェックすることができます。「ああ、あそこのおばあちゃん、亡くなったのか」「〇〇さん、配食残すようになったけれど、大丈夫かな」など、そういう機能もあるのです。ちなみに高齢者、障害者が乗れる電動カーの導入を準備しています。われわれの拠点を中心にルートを組む予定です。輪島KABULET®のサービス付き高齢者向け住宅にはパブリックスペースが設けられていて、地元の方々に開放しています。入居者が食事を摂るところに地元の人が普通に来ているのです。そこでは入居者の女性が働いており、彼女は1カ月分の家賃を給料で賄っています。
 インバウンドも増えてきました。われわれが取り組む生涯活躍のまちモデルのなかで、輪島市がインバウンドの数では圧倒的に多い。高齢者のデイサービス、温泉、食堂などがある輪島KABULET®の拠点施設では、日本人とアイルランド人が、おたがい知り合いでなくても、当たり前のように飲んでいる。これまでの輪島市の観光の売りは朝市、キリコ祭り、おいしいお酒と魚でした。でも、拠点施設は地元の人がタオル一丁で来るところ。観光客はそれがすごく楽しかったという。いわゆる観光名所にではなく、人との交流を求めて人はリピートするのでしょう。

事業継承をネクストステージの柱に

 生涯活躍のまちは、これまでぼくたちが仕掛けてきたことの次のステージに進まないといけません。人が集まる仕組みはつくった。人は住み慣れた地域で日ごろの生活を支えてもらっている。その次は何か。
 能登固有の「能登かぼちゃ」は糖度が高く、とてもおいしいのですが、農家の高齢化によりつくり手が激減しています。そこでつくっていた人が支援する側に回り、障害のある人に指導するようになりました。いまでは能登かぼちゃでつくった「あずきかぼちゃ」をスープ用の粉末にし、いろいろなレストランに卸しています。評判は上々です。
 金沢市の「町屋サロン・むじん蔵」は、もとはわれわれがよく通っていた飲み屋さんでした。そこの経営者がお金の計算や細々したものを仕入れるのが面倒だというので、「そうしたことはすべてわれわれがやるから、あなたは職員になってくれ」と提案しました。そして「このお店で障害のある人たちも働けるか」と聞いたら、「できる」と。
 JOCAが以前、本部を構えていた東京の「半蔵門」駅近くにはぼくたちの行きつけのラーメン屋さんがありました。そこのオーナーといろいろ話していたら、以前、オーナーと奥さんは特別養護老人ホームで働いていたことがわかったのです。彼は調理師として、彼女は介護職員として。2人はこのたび輪島市に移住することになりました。奥能登にはおいしいラーメン屋さんがなかったので、ここのラーメンは奥能登で間違いなく一番になるでしょう。
 地域の拠点ができて人が集まっても、仕事がなければ戻ってこられないという話を各地でよく聞きます。ですから生涯活躍のまちのネクストステージでは、こうした事業承継までいきたいと思っています。

生涯活躍のまちの次の次は

 事業承継のネクストステージ、つまり次の次になるわけですが、そのモデルづくりを長野県駒ヶ根市で始めました。長野県知事と駒ヶ根市長が話し合いのテーブルに乗ってくれて、前述の半蔵門にあったJOCAの本部を昨年、駒ヶ根市に移転したのです。
 独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊訓練所もある駒ヶ根市周辺エリアには8年後にリニアが通ります。そうなるとここは南アルプス、中央アルプスという大自然に囲まれていながら、日本の3大都市圏(東京、名古屋、大阪)に1時間以内で行ける、という他にはないメリットをもつでしょう。生涯活躍のまちの次の次は都市計画のレベルにまで引き上げていきたいと思っています。


人と地域が動き出すコミュニティデザインの方法

山崎 亮さん
(株)studio-L代表/東北芸術工科大学教授

市民が学び、動き始めるプロセス

 ぼくはデザイナーとして公園の設計などに携わっていたのですが、20年ほど前から公共空間を自分たちだけで設計してしまうことの気持ち悪さを感じていました。そこで「どうせ公園つくるなら、みんなで話し合ってつくろう」と。そうすればみんなが関わってくれると思ったのです。 大分県で実施した線路残存敷活用プロジェクトでは、地域の方々に先に集まっていただいて、JR跡地である当該地の細長い空間をどんなふうに使ったらいいかを話し合うワークショップを開きました。集まった100人くらいの方には、そこで何をしたいかを実際にやってもらいました。たとえば、「ここは細長いから綱引きができる」というチームには「エア綱引き」。それらをカメラで撮影して、何曜日の何時にやりたいかをカード化してみんなに回し、「いいね」のシールを貼るといったことを行ったのです。
 5時間くらいのワークショップでしたが、公園でやりたいことが439種類も挙げられました。次にそれらをひとつずつ小さな模型にし、その場所を時間で分けるのか、空間で分けるのかを話し合ってもらいました。
 そうした過程を経て最終的にデザインに落とし込んでいくと、本人たちがそこで活動してくれることになります。コミュニティデザインとは市民が学ぶ社会教育の壮大なプロセスです。どんな事業も市民参加で進める方が、主体的になるし、学び、行動を起こしてくれる。滋賀県では川だったところを公園にするプロジェクトがあったのですが、このときは模型ではなく絵にしました——ぼくたちには1回やった方法は2度としないという傾向があります——。重要なのは「こういうきれいな公園ができました」というハードの絵ではありません。どのようなプロセスをどのくらいの団体が進めてきたのか、その過程が重要なのです。
 大阪府泉佐野市の泉佐野丘陵緑地ではあえて平面図を描かない方法を取りました。設計対象は全体の面積の20%、残りの80%を市民が公園に変えていったのです。公園づくりの養成講座を開き、毎年30人くらい公園づくりのエキスパートを育て、この人たちが自分たちで公園をつくる。「これを10年かけてつくりましょう、予算は少なくていいので時間は確保してください」と行政にお願いし、今年10年目を迎えます。
 この間、3期生が棚田跡地を自分たちで畑に変え、畑や周辺農地で採れたものをお客さんに食べてもらっています。ここには「パークレンジャー」と呼ばれる人が100人くらいいて、彼らが公園の各所を案内してくれています。ボランティアでやっている60代が中心で「パークレンジャー」として活動しているうちにどんどん健康で元気になっていきました。
 公園という公共空間をつくるのであれば、プロが設計して専門家が施工するのではなく、地域の人たちが自分たちのできることを発見し、地域で行動を起こした方が、国土交通省がつくってほしいと思っていた予算内で、厚生労働省も喜ぶようなものをつくることができるのです。文部科学省は生涯学習をやってもらいたいと思っていますが、こうしたプロセスを人々が学び、地域で行動を起こすことがまさに生涯学習的なものといえるでしょう。

いまある空間を活用する

 北海道の根室別院という浄土真宗の寺から、「地域の人に寺を使ってもらうにはどうしたらいいか」という依頼を受けたことがあります。改修費などの予算はあまりないので、まずは地域の人に宗派を超えて集まってもらいました。そこで「寺は宗派が違うと入りにくいのか」「入りやすいところは何か」と聞いてみたところ、「カフェだったら気兼ねなく行ける」と。カフェをやるのに多くの改修費や人員はいらないので、まずは地域の人が時間限定でカフェをやることにしました。
 するとカフェに加えて、人生90年時代の映画を上映し、その感想を話し合うチーム、畳の上でヨガをするチーム、町歩きのチーム、流しそうめんのチームなどが生まれ、各々がお寺を借りて活動をしています。
 カフェ、ヨガ、町歩きなどをやり始めると人々はお寺に入りやすくなり、いまでは火、水、木に市民が勝手に活動しています。ロゴマークをつくろうということになったので、ロゴや色の候補を見せ、みんなに選んでもらいました。カフェの名前も1人3案ずつ考えて、付箋に書いて「いいね」をつけていくなかで、「日の出カフェ」に決めました。カフェチームのおばあちゃんたちはラテアートを勉強しています。独居の方が朝食をつくれず、福祉サービスを利用していることから、モーニングも出すことにしました。
 そうこうするうちに18チームくらいが活動するようになると、お坊さんも何かやりたくなって、金曜日の夜に「坊主バー」を始めました。流しそうめんチームと寺子屋チームはコラボして子供食堂をやり、貧困の連鎖をとめるような活動を行っています。こうした活動に対して浄土真宗本山からの協力はありますが、寺はお金を出していません。カフェ以外の活動資金は、1回やると15万〜20万円の収益になるバザーで賄っています。

園路を作る活動(泉佐野丘陵緑地)

展示会は目的ではなく手段

 エイジフレンドリーシティ※1を標榜している秋田県秋田市から、この概念をもっと市民に広げたい、ネガティブなイメージを払拭させるにはどうしたらいいか、という依頼を受けました。そこで「長生きの町を考えましょう」とワークショップの参加者を募ったのですが、いつものメンバーしか集まりません。そうではない人たちとも「高齢、長生き、健康」を考えるにはどうすればいいかということで、安藤忠雄さんが設計した秋田県立美術館で展覧会の開催を企画し、市民に向けて「展覧会を一緒にやる人募集」と告知しました。
 一般市民で展覧会を美術館でやった人はあまりいないので、「どんなことやるんだろう?」と100人くらいが手を挙げました。そこでやったのは、すごくおしゃれだとか、何かをつくり続けているとか、おもしろい生活をしている高齢者への取材です。彼らのライフスタイルや趣味には若い人の度肝を抜くようなものもあり、おもしろいことをやっている29人の高齢者に——彼らの年齢を合計すると2,240歳になるので、「2240歳スタイル」として——着るもの、食べもの、住まいに関する展示をしてもらいました。
 着るものスタイルでは、秋田のおばあちゃんたちがどれだけ着込んでいるか。それらの素材を展示し、手触りを感じてもらう。食べものスタイルでは、高齢者が何を食べているかリサーチし、——高齢者というのがいやなので、「先輩」と呼び、「先輩クッキング」と称しました——インスタントラーメンの「チャルメラ」が好きなお父さんが土鍋を使ってつくり、食べるまでの5分の動画を撮りました。先輩の冷蔵庫をまるまる再現するということも。先輩の冷蔵庫には食べものじゃないもの——現金が冷やしてあったりするのです(笑)。住まいのスタイルでは、手の届く範囲に何でもものが置かれているところを「コックピット」と称して展示。お父さんは自宅の「コックピット」がなくなったので、美術館に通ってくるようになりました。
 展覧会の開催は目的ではなく手段です。100人が展覧会を行い、1,600人の来館者に自分の言葉で説明をする。説明するとより学ぶ。学ぶと長生きしたいと思うようになる。そして、長生きするためには何をしなくてはいけないかを考える。29人の先輩を見ていたら共通していることがいくつもありました。そのなかで一番重要だと思ったのは、20歳以上の歳の差がある友だちがいること。韓流スターの動画が見たくて、スマホの使い方を若い人に教えてもらっているおばあちゃんなど、そういう人が元気で新しいことをどんどん吸収していることがわかったのです。
 そこで「年の差フレンズ」という活動を始めました。展覧会の受付や案内をやった100人のメンバーは展覧会に来た人の連絡先を知っているので、来訪者1,600人に「年の差フレンズの活動をやります。みなさんも健康に長生きしたくないですか」というメール送ったところ、太極拳チーム、おやつをつくるチーム、集まった人の年齢の合計が5,000歳を超えないと歌えない合唱チームなどが生まれました。
 魅力的に生きている先輩を知った若い人たちは『クスクス』という雑誌をつくり、販売しています。若い人が社会貢献しようと思ったらボランティアでなく、自分より20歳以上年上の人と友だちになることをお勧めします(笑)。

※1【エイジフレンドリーシティ】「高齢者にやさしい都市」という意味

新しい空間はなくてもいい

 石川県野々市市から地域包括ケアの概念を広げてほしいといわれたときは、住民の方々と一緒に雑誌をつくることにしました。雑誌をつくった経験のある人があまりいなかったので、文章の書き方、スマートフォンで美しい写真を撮るコツ、基本的カメラの撮り方などの講座に集まってもらい、自分の人生100年がどうありたいのか、私たちがどういう時代を生きるのかを考えながら、『野々市日和』という雑誌を完成させました。
 内容は地域包括ケアに関するインフォーマルな情報に特化しています。「病院はここにあります」「デイサービスはあそこです」といった情報は行政が提供しているので、同誌では市民が「俺の地域包括ケア」と勝手に思っているものばかりを並べたのです。
 たとえばスナックのママが社会資源だという記事。このお店のカウンターには毎朝、独居の高齢者向けの弁当が用意されています。弁当を食べる場所は自宅でも、公園でもいい。ただし弁当箱は夜返しに来て、そのスナックで飲んでいくのが条件。ママはその弁当箱を洗ってまた翌朝、用意する。配食サービスを使わず、飲み代で費用を回収しているわけですが、ママが高齢で弁当づくりができなくなったとき、独居の男性のご飯問題をどうするか、事業承継をどうするかまでみんなで話し合っています。野々市市では食チーム、介護チーム、住まいチーム、仕事チームなど9つのチームができて、各々が活動しています。新しく空間をつくったわけではありません。市民参加型で丁寧にプロセスを経ていくと、人々は自分たちの人生を豊かにするため、この繋がりをつくっておかないとまずいという発想をもって、動き出すのです。

障害は普通のこと

 障害者と一緒になる「O!MORO LIFEプロジェクト」を神奈川県横浜市でやっています。障害を笑い飛ばそうという趣旨です。多くの障害者は無意識のうちに「すみません」「ありがとう」を毎日言わなくてならない境遇に陥っています。雄谷さんのところでそうしたことがない理由のひとつは、「障害のある人にツッコミをいれる」ことへの自制がないからではないでしょうか。ツッコミを自制すること自体に何らかの差別が内在されていると思うのです。そこで障害を笑いとばすチームをつくり、それを「O!MORO LIFEプロジェクト」と呼ぶことにしました。
 いろいろな障害や特性をもった方々とアートスペースで話し合いを繰り返してきました。手話通訳の人にも参加してもらい、ストローでお酒を飲むとか、手話でないとものが買えない屋台とか、車椅子で大階段に挑戦するとか、「とにかく楽しもう」「言いたいことは早く言ったほうがいい」ということを当事者の方にもわかってもらいたくてやっています。
 高尾山に登ったときは、電動車椅子の男性が視覚障害の女性に車椅子の取っ手を握らせて誘導しました。普通だったら「車椅子の方に誘導してもらって、うれしかった。ありがとう」という美談になるところですが、視覚障害の女性は「車椅子の取っ手は冷たいからいやだ」と。「うれしかった。ありがとう」と言い合うような「気持ち悪さ」を感じる関係を壊し、そんなことを言わずに済む関係ができたらいいと思います。

地域を離れるとき

 ぼくらには、大きなお金を動かすことも、自分たちがリスクをとって事業主体になることもできません。よそ者としてその土地に入り、「何者が来たのか?」と思われながら、ちょっと魅力的なテーマを設定する。そうすると「そんなことやったことないな」という人たちが集まるのですが、最初は疑心暗鬼です。ですからワークショップでぼくたちが使う手法はいろいろあります。アイスブレイク※2だけでも100種類、ワークショップで50種類、チームビルディング※3で100種類ほど。当日集まったメンバーの人数や年齢層を見ながら、あのワークショップやってみようというのを繰り返し、人と人との関係性をつくってきました。地域で100人くらいがコアメンバーになってくれると、この人たちが10人ずつ人を連れてきてくれるので、1,000人を集めることができます。さらに自分たちがやりたいことをやっていると地域のなかにファンや支援してくれる人がじわじわ増えていく。
 冒頭、中野さん(内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局参事官)が講演で話された地域アドバイザーはぼくたちに近いのかなと思います。ぼくたちは3年と決めて地域に入り、人と人とをつなげ、彼らが事業を立ち上げたら、なるべく早くそこから去る。それを見極める基準は、100人が10のチームに分かれ、各チームが以下の7つをできるようになったときです。❶日々、練習ができているか、❷練習試合をしているか、❸年間2回くらい全国大会に出ているか(たとえばグッドデザイン賞に応募するなど)、❹メンバーの役割(キャプテンや会計など)を自分たちで決めているか、❺新人の勧誘をしているか(新入生が入らないと同じメンバーで高齢化していく)、❻卒業の仕組みをつくっているか、❼部費を自分たちで捻出できているか。——大人が部活をやっているようなものと思ってもらえばいいでしょう。
 ぼくたちスタッフは25人しかいないので、年間60地域と決めて、3年間関わることにしています。したがって毎年新しく引き受けられるのは20地域です。地域アドバイザーになったら、県下で何地域くらい応援できるか、○年間で自分たちの手を離れ自走してもらうために、たとえば1年目はここまで到達、2年目はこうしたほうがいい、といったことを考えてもらうといいでしょう。

※2【アイスブレイク】初対面の人同士が出会うとき、その緊張を解きほぐすための手法のこと。あるいは場の雰囲気を和ませ、集まった人々のコミュニケーションを促進するために行うグループワーク
※3【チームビルディング】メンバー主体的に個性や能力を発揮し、一丸となってひとつのゴールを目指す組織になるための取り組みのこと

地域アドバイザーに求められるもの

 公共空間をつくるときは地域の方とゆっくり進めていくのがいい。大きな予算で一気に進めるより、小さな予算でいいから長く時間を確保する。貨幣資本でなく時間資本を手に入れることが大事です。「10億円出すから2年で事業やってくれ」といわれたら、ぼくたちは「10億円もいらないので、10年という時間をください」と答えます。時間があれば、ソーシャルキャピタル(地域・社会における人々の信頼関係を表す概念)を高めることもできるし、地域の人が責任感をもってついてくることもできます。
 地域包括ケア、地域共生社会、生涯活躍のまち、CCRCなどといった言葉を自分の生活に落とし込み、納得するには時間がかかります。それを2週間で学び、2週間で構想をつくるなんて無理。みなさん他にも仕事やっているのですから、離れていってしまうでしょう。
 専門家が一気に立ち上げたものは地域の人々の心の動きに寄り添えません。どこかで批判や不平が出てきます。アフリカには「早く行くならひとりで行きましょう。遠くまでいくならみんなで行きましょう」という諺があります。地域づくりのプロセスには時間をかけて、自分ごとと思える市民を増やしていかないと応援されないし、続きません。 将来こうなったらいいというマスタープランの構成部分を専門家につくってもらうのが従来のやり方でした。それにはお金はかかるけれども、時間は短くてもできる。地域づくりはその逆です。そこにいる人たちの技や経験を組み合わせて全体をつくるので、出来上がりはきれいなものにはならないかもしれません。けれども「この人はここは不得手だけど、ここは上手いからやってもらおう」というように、この人ならどんなことができるかという発想が大切なのです。
 高度成長時代におけるまちづくりは優秀な人たちが短時間でやってきました。そして、優秀と呼ばれた人ばかりでつくってきたまちがそう優秀でもないという結果になってしまいました。東京が高齢化社会に対応できないのが数字上でも明らかなのは、ものすごくいびつな都市をつくってしまった証でしょう。 これまでは優秀といわれた人たちが地方から東京に集まってきて、地方は優秀でない人が残っていると思われていましたが、そうではありません。地域づくりは地域の人々の様々な知恵や技があるからこそできるのです。


地域アドバイザーに求められるものは何か

行政・住民との距離のとり方

雄谷 「お金よりも時間がほしい」という山崎さんの考えには同感です。地域づくりに10年もらえるのはいい。

山崎 泉佐野市・泉佐野丘陵緑地のケースは10年と行政から最初に言ってもらったので、ゆっくり公園をつくることができました。自治体の総合戦略を3カ月で策定してほしいといわれることもありますが、自治体は国から言われるずっと前から戦略的なものをもっているべきだと思います。そうすれば3カ月でまとめろといわれても、慌てず、いままで話し合ってきたことを書面にすれば足りるはず。その5年後に同じことを言われても、その間に何度もワークショップを開催すれば、たくさん学べるのです。

雄谷 自治体との関係でいえば、なかなか決定してくれないとか、いまは選挙を控えているのでいえないとか、生臭い話で1年先送りになるケースもたくさんあります。山崎さんにもそんな経験はありますか。

山崎 やると決まってきたことが市長の交代で変わるとか。そういうときはぷちっと切れてしまい、自分たちの範疇ではなくなるのでどうしようもありません。ある市では業務が1年目で切れてしまうことがありました。市民が活動を起こそうとチームが動き出したときに「終わりです」と。それでも市民の皆さんは活動している。行政の都合で止めてしまっても、なんらかのものは残るんだなということを学びました。

雄谷 山崎さんたちは3年間でその地域を離れるそうですが、そのくらいでフェイドアウトしないと、自分たちがやりすぎのようになってしまいます。ぼくたち元青年海外協力隊はやりたがり屋で、突っこんで失敗するパターンも多い。

山崎 うちの事務所もそう。どうしてもやりたがりになる。若いスタッフはやると褒められ、頼られるから、うれしいんですね。地域の人もこの子たちを褒めたら、地域のことをなんでもやってくれるとわかっているので、野菜などを持ってきてくれたりする。そうすると、3年経ってもその土地を離れられなくなる。だからプロジェクトリーダーは若いスタッフに「それではよくない」と言い聞かせています。
 その地に根づいて住民として関わるやり方もありますが、われわれにはそうしたマンパワーがないので、3年後には次の地域へ行かなくてはなりません。各人が複数の地域をかけもちして、1カ月に1回ずつ通い、次回までの宿題を出すということをしています。自分たちはなるべく何もせず、聞かれたら答え、デザインや事例を示し、住民たち自身が試行錯誤しながら自分たちでやらなくてはという気持ちになり、自分たちのまちで実践することが楽しいと思ってもらえるようにするわけです。

雄谷 3年でどこまで達成するという自分たちのKPI(Key Performance Indicator)を持っているのですか。

※【KPI(Key Performance Indicator)】個人や部門の業績評価を定量的に評価するための指標のこと。達成すべき目標に対して、どれだけの進捗がみられたかを明確にできる指標が選択される

山崎 この人数でできるのはこれくらいといったなんとなくのKPIです。

雄谷 年間で新しく受けられるのは20案件までとはなかなかいえないですよね。

山崎 ぼくらが組織を大きくしたくないというのもあります。スタッフをこれ以上増やすと、今誰がどういう家庭環境にあるのか、個々の状況がわからなくなりますし、25人以上増やさないなら何件できるという逆算ができますから。
 4月1日からスタートダッシュで決めてくれる自治体は、担当者の思いがあるのでいい仕事ができます。10〜11月になって「予算が余ったから」的な感じでオファーしてくる自治体とは、あまりいい仕事ができない。だから引き受けるのは3年間で60件までと決めて、それ以上はお断りするのは、お金とは別に気持ちよく仕事ができる状況をつくりたいという理由もあるのです。

偏差値ではない部分が重要

雄谷 地域をつくることと次世代を育てることは似ていると思います。studio-Lでは若手をどうやって育成しているのですか。

山崎 25人のスタッフのうち、辞める人間がいないと、若い人が入ってこられないので、4年前に東北芸術工科大学にコミュニティデザイン学科をつくらせてもらいました。ここでコミュニティデザイナーを育てています。普通に教室で講義を聞くといった授業ではありません。コミュニティデザイン学科では空間を把握する能力や音楽・リズム能力などを高める教育をしており、studio-Lでやっていることと似ています。
 アドバイザーやコーディネーターのような仕事は偏差値が高くても仕事にならない。一瞬で人に信頼してもらえる能力、うまいこと人に甘える能力などが求められます。相手に対して「放っておけない」と思わせる雰囲気を醸し出すなんて、偏差値が高い人にはなかなかできませんよね。「俺はなんでもできます」的なオーラがあると誰も手伝ってくれませんし、コミュニケーション自体が生意気だったりすると、地域に愛されないのです。高度成長期は人に迷惑かけないように自立して生きていくことがよしとされてきました。
 その結果、人に甘えるとか、人と何かをすることが極端に下手になってしまった。いまでは偏差値と関係する能力の部分はAIなど機械にまかせればよくなっていきます。人間が人間として蓄えるべき能力はなにかというととき、偏差値ではない部分が重要になってくるのではないでしょうか。

雄谷 ぼくが新聞社を辞めて実家に戻り、佛子園を継いだのが32歳くらいのときですが、佛子園はなんていやな組織なんだろうと感じました。何か新しいことをしようとすると、古参の人たちから反対される。理路整然とできない理由を探そうとする「できない感」や「しめつけ感」に支配されて、それらを払拭するのにかなり時間がかかりました。
 当時の自分が30代初めだったからか、7〜8年前から30代半ばのスタッフを本気で教育し始めました。そして40代になった彼らに全ての決定権を渡し、各拠点を好きなように任せています。今度は彼らが次の世代を育てる段階に来ていて、その結果を見るのが楽しみです。と同時に、自分はこれからどうするかなとも考えています。佛子園の理事長として、いつまでもスーパーマンのようにいるのもなんなので、もう辞めてなにか新しいことをしようかと。

山崎 ぼくもうちのスタッフに「もう辞めさせてくれ」と言っています。いま厚生労働省と一緒にデザインスクールをやっています。介護福祉士が毎年2万人くらい足りない状態が続いているなか、同省は介護福祉士のイメージ刷新事業を行ってきました。その一環で大手広告代理店が企画したアイドルを使ったイベントなどに何億円もかけてきたのですが、参加者は会場から帰ってきたら、そのアイドルのことしか言わないし、介護のイベントだったことなど覚えていない。それでは意味ないということで、「アイドルを使わない提案をしてくれ」とぼくらが頼まれたのです。
 そこでぼくらが提案したのは、参加者が学び、参加者が考えるデザインスクールを8ブロックで6回同時開催するというものでした。水害で30人くらしか参加しないブロックもあれば、70人以上が参加するブロックもあります。参加者は介護、福祉、医療の関係者からデザイナー、クリエイターまでさまざま。某ラーメンチェーン店のスタッフも「これまで高齢者問題など意識したことはなかったが、いまは高齢の方もラーメンを食べにくるので学びたい」と参加しました。
 先生もいないし、カリキュラムもないデザインスクールを開催した結果、全国に67チームが生まれ、それぞれアイデアを考えてくれており、それらを来年4月以降、実践してもらう予定です。6回で終わるはずが、みんな盛り上がりすぎて7回目をやることになり、3月21日〜25日には秋葉原に全国のチームが集まって展覧会と発表会を行いました。
 67チームがどんなことを提案しているかというと、たとえば「そとばカフェ」といって骨壷にラテをいれ卒塔婆でかき回す(笑)。どういう最期を迎えたいのかを気軽に話せるデス・カフェをやりたいということから命名されました。
 高齢者施設では「ぼっち空間」というのをつくりました。施設では休憩時間も必ず人から話しかけられますが、15分だけでもひとりになれるとパフォーマンスが上がるので、ひとりになれる空間をサイズ別につくったのです。Sサイズはダンボールを被る、Lサイズは職場の隅にテントを張るというように。
 若い人の育成についていえば、彼らが新しいアイデアを生み出すことのできる環境を、ぼくの場合は事務所のなかでつくってきたのかもしれません。スタッフは自分たちのステータスを高めるため本を読んだり、ネタを仕入れたりして、お互いに自慢するようなことをやってくれています。

雄谷 仕事ができる人間に育てることはそんなに難しくありません。人を育てられる人を育てるのが難しい。そしてそこがおもしろい。創業社長はどこの会社でもそれなりにすごいのです。カリスマ性があったり、声が大きかったり。どこの会社もナンバー2を見るとわかります。佛子園もぼくではなく、ナンバー2を見てほしい。ナンバー2が下の世代を育てないとぼくの評価は出ないと思っています。

山崎 ぼくの場合はそういう存在が3人います。最初にその3人を徹底的に育てました。彼らは現在、大阪、東京、山形事務所の所長になっており、彼らが彼らの下の世代を育ててくれるんだろうなと思っています。ぼくたちは、地域の人々が育って動き出す状況をつくるために、誰がどうやったらやる気になるか、自分がどう振舞ったら人は動くのかということばかり考えている。つまり自分自身より誰かが育つにはどうしたらいいのかを考えている人が事務所のなかで立ち回ってくれているのです。
 生涯活躍のまちを推進する地域アドバイザーを増やしていこうと思うとき、あなた自身がすごい人になっても意味がない。周りがあなたを見ていると動きたくなる状況をつくること。そのために雄弁に語るタイプでも、いつも困った顔をしているタイプでも、あるいは人を褒めるタイプでもいい。人を本気で動かし、その人たちが切磋琢磨して事業を始めていくと、人を育てるのがうまい人がその地域に増えていくのではないでしょうか。

雄谷 福祉の分野で働く人間はサポートする方が楽なんですね。相手が自分でできるまで我慢しながら見守る方がしんどい。福祉の専門家は本来そうしたことができないとだめなのだけれども、ついやってあげてしまう。地域アドバイザーは人をじっくり見ていく、人を育てていくことが必要です。専門家には変なプライドがあって、たとえば「私は介護福祉士だから」と他の世界を受け入れないというところがあります。そうするとブレークスルーできません。自分たちの持っている分野なんてほんの少ししかない、どう転んだってここはできないということを認識しなければならないのです。

地域アドバイザー同士の支え合い

山崎 福島県会津地域でワークショップやることになったのですが、当初は地元の人が誰もきてくれませんでした。みなさんとっつきにくくてしょうがないので、地域のおばあちゃんから落としていくのがいいと、イケメン男子を現地に行かせて共同生活を始めさせたのです。彼らは朝、昼、夜と毎食、外でご飯をつくって食べるようにしたところ、2週間くらい経ったら、おばあちゃんが声かけてくれた。そのうち生野菜を持ってきてくれるようになり、イケメン男子は「仲よくなれた!」と喜んでいたのですが、それはおばあちゃんたちの偵察なんだと諭しました。「こいつらいったい何者だ」と探りを入れにきただけだと。その後、野菜が惣菜になり、やがて亡くなったご主人の服をもってきてくれるようになりました。ご主人の服まできてようやく認められたことになる(笑)。そこではじめて話し合いしましょうとなったのです。
 ぼくたちにできることは、当事者たちが集まり、話し合って、やる気になるのを眺め、ワークショップに参加してもらえるようきっかけをつくることくらいです。生涯活躍のまちでは誰に活躍してもらいたいのか。生涯活躍する人たちが生き生きできる場と雰囲気をつくることが地域アドバイザーの役割ではないでしょうか。

雄谷 専門家はやらないけれど、面白いなと思うものをすっともってくるのが山崎さんの能力だと思います。そのようなアンテナをもっているスタッフたちが地域に仕掛けているのでしょう。県にアドバイザーをひとりずつ置いても孤立してしまいます。行った先でつらい思いをしても、studio-Lという組織に戻ると、「ああそうだよな」と言ってくれる人がいるからうまくいくと思うのです。

山崎 答えが出なくてもいいんです。「地元にこんなおっちゃんがいて……」とぼやいたとき、「わかる、うちにもいた」と言ってもらえるだけで、すごく気持ちが楽になる。事務所に帰って、みんなでご飯を食べる。それだけで「じゃあもう1回行ってくる」という気になるものです。

雄谷 ひとりでないと思えれば、もう少しがんばろうかなという気持ちになれる。ぼくらが「一緒にやれたらいいね」というのは、おたがいに違うところをもっていたりするから。悩んでいることは、見方が違うだけで、案外同じであることが多い。「そういう見方があるのか」と勉強になるんですね。そうした地域アドバイザー同士の支え合いも大切だと思います。