(あさくら・かげき)1965年京都市生まれ。国際基督教大学教養学部、英国立サセックス大学、東京都立大学大学院人文学部で社会学を専攻後、東京シューレ・スタッフとしてシューレ大学を開設。NPO法人フリースクール全国ネットワーク、NPO法人登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク等にも所属。著書に『登校拒否のエスノグラフィー』(彩流社)他多数。

 ひきこもる中高年の子と高齢の親が孤立するケースを「8050(はちまるごーまる)問題」として内閣府が取り上げたのは今年3月末のことでした。同府が公表した全国推計によると、40~64歳のひきこもり状態の人は61万3,000人に上るとのこと。生涯活躍のまち推進協議会としても、多世代が自分らしく生きられる地域づくりを考える上で、ひきこもりの問題は無視できないものです。地域活動をされている方々からは、自宅に閉じこもる単身男性に地元の人々と交流する場へ出てきてもらうことの難しさを聞くこともあり、このテーマで連載を始めることにしました。
 上記のニュースを聞いた際、まず思い出したのはフリースクールのNPO法人東京シューレの事務局長である中村国生さんの言葉です。
 「ひきこもりと一言でいっても個々に違います。普通に学校を卒業し、普通に会社勤めをしているように見える方のなかにも、生きづらさを抱え、自分はひきこもりだと思っている人も多い。そんな人のために私たちは18歳以上の方の学びの場としてシューレ大学も運営しているのです」
 中村さんからシューレ大学のスタッフである朝倉景樹さんをご紹介いただきました。シューレ大学では、自分が何者で、何がしたいのかを知る当事者研究も行っているそうで、その過程は地域におけるしごとづくりにも通じるところがあり、そんな視点からも読んでいただければ幸いです。

フリースクール後の足掛かりとして

 私がフリースクール東京シューレと出会ったのは、社会学を研究していた大学院生の時です。大学院を出た後は、東京シューレで働きながら研究を続けています。東京シューレは1985年に開校し、主に不登校の子どもたちを学びと育ちの場として受け入れ、現在は全国に広がっています。
 不登校を経験した子どもたちの人生は、フリースクールを卒業した後も続きます。当時、私は高校年齢に当たる高等部の子どもたちと一緒にいることが多く、彼らがフリースクール後の人生をどうしたらいいのかという課題に直面している姿を見てきました。そして、人生の基盤をつくるための学びの場が必要だと思い、1999年にシューレ大学を開設したのです。学生は現在、30人います。年齢は18~40歳くらい。過去の最高齢は60代です。在学期間は学生自身が決めるので、なかには10年在籍している人もいます。学費は入学金が15万円、授業料は毎月4万5,000円となっています。

不登校やひきこもりを経験するとはどういうことか

 いまの社会は「不登校やひきこもりを否定的に見てはいけませんよ」というメッセージを発しており、そのおかげで多くの方々もそう認識してくださるようになりましたが、何らかの理由から「学校に行けない」ことを体験すると、本人たちは整理ができなくなります。「あなたはあなたのままで、家にいてもいいのよ」と理解を示してくれる親御さんや親せき、あるいは先生や近所の人がいても、本人は「学校に行くのが当然」という思いを変わらずもち続けています。
 学校でいじめられたからといって、すぐに学校に行かなくなる子どもはほとんどいません。大河内清輝くんのいじめ自殺事件(1994年11月27日、愛知県西尾市の中学校2年生の大河内清輝くんが自宅で自ら命を絶った。その後、遺書が見つかり、悲惨ないじめの事実が明らかになった)は、いまも多くの方が記憶していると思います。大河原くんはいじめられていたにもかかわらず、死ぬまで学校に行き続けました。親御さんは「死ぬほど辛かったのなら、学校に行かなくてもよかった」とおっしゃっていましたが、当初は「子どもが学校に行かない」という選択肢を想像してなかったのではないでしょうか。2013年には大阪市の高校のバスケットボール部主将が顧問教師の体罰を苦に自殺する事件がありましたが、いじめあるいは体罰を受けて学校に行けなくなったとき、当事者である子どもは社会の見方を引き受けるのです。
 自分が不登校になったからといって、他の子どもたちも「あなたの判断で学校に行っても、行かなくてもいい」とはなりません。したがって当事者は「自分は学校に行けない敏感な人」などとして許されているという社会の見方を内面化します。
 文部科学省は1992年、「誰にでも起こりうる不登校」と題する有識者会議の発表を行いました。児童青年精神医学会も長い時間をかけて、「不登校は病気ではない」という見解を出しました。しかしながら、不登校やひきこもりを経験した人は、学校に行けない、職場に行けない自分はダメなんだという「自己否定感」に苛まれ、自分は「人間未満」という言い方をする人もいる。そうすると他人が怖く感じられるのです。

自分は何者かを確認する当事者研究

 このような自己否定感はフリースクールに数年通うことで楽になることはあっても、容易には解消しきれません。シューレ大学を始めたのは、フリースクールで自分が生きる基盤を見つけられなかった子どもたちがいたからです。「ならば一般の大学に行けばいいじゃないか」という方もいますが、今に比べて当時は入試も厳しかったし、不登校を経験した子どもにとって、どのような意味があるのかわからないのに、受験のためだけに勉強するのは苦痛です。また、大学も就職を重視しているところが多いので、「就職予備校」のようなものだという子どももいます。自分が何者か、自分はどういう人間で、何に関心があり、社会とどう関わり合いながら生きていけばいいのかを知りたいという欲求に、「就職予備校」が応えるのは難しいでしょう。
 人は常に学び続ける存在であり、変わり続けうる存在です。人生のある一時期、自分とは何者かを知ることに集中する時期があってもいい。ただし、その時期は18歳からとは限りません。だから、シューレ大学の学生の年齢層はさまざま。3年間で修了(卒業)する人もいれば、6~8年くらいじっくり学びたいという人もいるなど、在学期間もいろいろなのです。
 シューレ大学には年間で約30くらいのプロジェクトがあります。学生が関心をもてそうなテーマを自分から提案するなど、プログラムはすべてオーダーメイド。4月に自分はこの1年で何をどうしたいのかをスタッフと話し合います。必修科目もないし、学科もありません。講座には哲学、演劇、美術、外国語など、それには外部講師がつきます。関心のある人しか講座に来ないので、講義中にスマホを見ているような学生はいません。
 スタートしてから半年後に振り返りを行います。本当はこうやりたかったけれど、やってみたら違っていたということもあるし、当初のやり方だとやりにくいということもありますから。そして年度末、「この1年はどういう1年だったか」を各自が発表します。口頭でも、パワーポイントを使ったプレゼンでも、映像を使ったり、ダンスで表現してもいい。その発表に対して他の学生が質問をし、それに答えるのです。
 自分がそろそろここを出ていくタイミングだなと思ったら、修了を考えていることを宣言し、1年かけて準備をします。そして発表時には最後に「運命の拍手」というものがあります。発表を聞いている学生やスタッフが、はたして「この人がこのタイミングでシューレ大学を修了するのがいいかどうか」を拍手の音で表すのです。「いい」と思えば大きく、「どうかな」と考える人は小さく、「(修了は)いまではないだろう」と判断する人は拍手をしない。そのボリュームが参加者の意見となり、それを聞いて本人が決断します。割れんばかりの拍手をもらっても、参加者とのやり取りを通じて、「もう1年在籍が必要」と思ったら、その場で述べるし、拍手が出なくても、いまが私のベストタイミングだと思えば、それを語ればいい。大事なのは双方向性です。
 自分は何を苦しいと思っているのか。自分の体験を洗い出して、自分の言葉で整理していくと、自分の苦しさを把握できるようになります。そして、どうすればいいかも考えられるようになる。周囲には同じような悩みを抱えた仲間もいるので、それが互いに「受け入れあう」「知り合いあう」プロセスになる。それがシューレ大学の学びなのです。

昨年10月に開催した研究イベント

その人に合ったしごとをつくる

 日本の社会では小学校→中学校→高等学校→大学→就職という人生のレールが一般的ですが、シューレ大学に来る学生にはこのモデルが当てはまりません。だから正規雇用での就職は難しくなるわけで、しかも自分の家族もそのレールに乗ってきていると、自分で切り拓くしかない。しかし、対人関係に怖さを感じているような状態でそこまでやらせるのは酷です。そこで、ライフスタイル研究会というものを立ち上げました。
 同研究会では、国内外で面白い生き方をしている人のことを学んだりしています。日本では終身雇用でひとつの会社で一生勤めあげるのが立派な生き方という考えがいまも根強いですが、欧米では、ひとりでいくつかのしごとをもってトータルで生きていくための収入を得るという働き方がスタンダードのひとつになりつつあります。
 シューレ大学は「私」に合った生き方を探す場所でもあります。自分にぴったりのモデルを見つけることはできないかもしれませんが、参考になるものはある。そういうことを議論し、「私」に合ったスタイルを探すなかで、たとえば、自分はデザインが好きらしい、映像が好きらしい、というのが見えてくる。すると好きなことに没頭したくなり、学びを進めていくなかで、シューレ大学に所属しながらパイロット・プロジェクト(自分の経験や学びの積み重ねに合った分野でお金を得るプロジェクト)に参画できるようになるのです。たとえば、ケーブルテレビの番組の一枠をつくらせてもらうとか、演劇の舞台をDVD化するとか、外部から仕事を請け負います。いま進んでいるパイロット・プロジェクトは書籍編集、レイアウト、デザイン、ホームページや映像制作ですが、こちらからアートディレクターとして現場に行くケースもあり、仕事の一通りの流れがわかれば、付き合いのある会社に就職したり、個人事業主として独立するということもあります。先方からこういう仕事のオファーがあったのではなく、学生の関心ありきの発想から生まれたプロジェクトです。

誰もがひきこもりになりうる

 世の中の枠組みに合う人はいいが、合わない人は「ダメな人」と呼ばれてしまうのはあまりに希望がない話です。いまの世の中、誰がひきこもりになってもおかしくありません。40~64歳のひきこもりの数が約61万人という数字が衝撃だったということですが、私たちは驚きませんでした。40代には就職氷河期の世代が多く、就活で100通以上エントリーシートを出しても全然ダメでひきこもりになったという人もいます。それより上の世代ですと、介護離職で親を看取った後、再就職しようと思ったが、しごとが見つからずひきこもりにというケースもあります。
 これは不登校とも通じるところがあります。小・中・高・大とレールに乗って就職まで、あるいは終身雇用で定年を迎えるという標準の生き方があまりに固いので、当てはまらないと自己否定感を抱いてしまう。自分がダメだから落とされた、自分にまずいところがあったと思ってしまう。狭い標準に合わないこと=自分がダメ、劣っているという考えが根強い日本社会を変えていかないと、生きやすくはなりません。
 1990年代にフィールドワークを行っていた際、日比谷公園で身なりのいいスーツを着た男性と知り合いました。すでに定年退職をされているのですが、それまでの生活をほとんど会社で過ごしてきたので、会社を辞めたいま、家にも地域にも居場所がない。だから、定期を購入し、かつての本社があった近くの日比谷公園に通って英字新聞を読んでいたりするのです。
 それが人生の総仕上げの姿なのかと思うとあまりに悲しい。当人はそれまで自分とは何者かを考える機会をもってこなかったのでしょう。あるいは社会が望んできた生き方をしてきたということかもしれません。
 これからの時代、それぞれが自分にとっての幸せを考え、お互いを尊重しながら生きるにはどうしたらいいのかを問うことが重要になってくると思います。そのためにシューレ大学の試みが参考になればうれしいです。