人と人とがともにいるとき、摩擦は避けられない。もめごとやいざこざが起こる。当たり前のことである。しかし、社会が豊かで便利になるにつれ、そうしたことが起こらないよう同質の人たちが集まって暮らすようになった。子どもは子ども同士、高齢者は高齢者同士、サラリーマン家庭はサラリーマン家庭同士――。
 それは経済が成長し、人口が増える世の中であれば有効なのかもしれない。しかし、経済成長が鈍化し、人口が減少するなかにあっては、個々のグループがやせ細っていく原因になっている。ならば、もう一度、互いをまぜてもめごとが生じるようなコミュニティをつくろうと始まったのがゴジカラ村であり、施設のなかに障害となるものをあえて残し、日常生活に近いバリア“アリ”ーのデイサービスを行っているのが夢のみずうみ村である。
 これまで日常生活ではマイナスとみられがちだった要素を、プラスのものとして取り込んでいる2つの団体のリーダーの言葉に耳を傾けていただきたい。多様で豊かな心と身体の世界が見えてくるはずだ。

シンポジウム① 2018-11-28-Sun@いいオフィス上野ゴジカラ村の風景~わずらわしさが人に役割と居場所を与える~

大須賀 豊博さん社会福祉法人「愛知たいようの杜」理事長
一般社団法人生涯活躍のまち推進協議会副会長

おおすか・とよひろ●2004(平成16)年、社会福祉法人「愛知たいようの杜」へ介護職員として入職。その後、事務長を経て2013(平成25)年4月より理事長。

愛知県 長久手(ながくて)市
面積:21・55㎢ 人口:58,323人 世帯数:23,764世帯(人口、世帯数ともに2018年12月1日現在)
羽柴氏(後の豊臣氏)・徳川氏の両軍があいまみえた「小牧・長久手の戦い」の舞台として有名な同地は、2014(平成24)年1月に市制へ移行。名古屋市と豊田市に挟まれ、市の中央部を東部丘陵線(リニモ)が走っており、交通の便に恵まれている。市東部はまだ自然を残す一方、名古屋に隣接する市西部は住宅地や商業施設が多く、都市化が進む。

どうしてまざった暮らしを始めたのか

 はじめにこの理由からお話しします。わが家は、現在ひとつの屋根の下に10人で暮らしています。下は8歳から上は103歳まで。私と妻と子ども(娘)3人、妹夫婦、妻の両親、そして大おばあさんが一緒です。
 私は長久手市で生まれ育ったわけではありません。たまたま出会って結婚した女性の父親が、現在の長久手市長の吉田一平でした。吉田はそれ以前、社会福祉法人で高齢者向け事業を、学校法人で幼稚園(2カ所)と看護師の専門学校を、そして社会福祉法人や学校法人ではできない事業を株式会社で担っていました。
 吉田は長久手市で生まれ育ち、名古屋市で商社マンとして働いていていました。その頃はどこの企業も「走れ、走れ」の時代。彼も例外ではなく、全国を飛び回っていました。ところが無理をしすぎて体を壊し、自宅で療養することになったのです。その頃、長久手は宅地開発のため、森が切り倒され、田畑が埋め立てられ、住宅街が広がっていました。その様子を見た吉田は「自分の故郷の風景がなくなる」「なんとかしないといけない」と思い、会社を辞めました。
 彼が最初に始めたのは幼稚園をつくることでした。住宅が増えるのであれば、子どもも増える。自分が幼少期の頃、森や田畑のなかを駆け回ったことを思い出した吉田は、雑木林をそのまま活かした幼稚園にしたのです。そのなかで子どもたちは元気よく遊んでいたのですが、しばらくすると、ある問題が生じました。森のなかの子どもたちは先生の目の届かないところで遊ぶので、先生から「面倒をみきれない」という声があがったのです。
 その解決策として子どもたちを目の届く部屋のなかに入れておくのは簡単です。そこで紙芝居をしたり、歌を歌ったりすればいいのですから。しかし、吉田が目指していたのは、子どもが子どもらしく森のなかを思いっきり遊べる幼稚園です。困ったなあと思いながら、彼がまちのなかを見回したとき、ちょっと暇をしているおじいさん、おばあさんがいました。その人たちに状況を話すと、「子どもの面倒をみてあげるよ」という。そして、幼稚園に入って子どもたちと遊び始めたのです。すると子どもと一緒に遊んでいるおじいさん、おばあさんの方も生き生きとしてきました。当初は助けに入ったつもりの高齢者が生かされているのがわかったのです。
 当時、30人くらいの子どもを1人の先生が6時間預かっていました。これを子ども1人に対し先生1人がどれくらい対応できるのか、時間を割り出してみると、どんなに先生ががんばっても1人の子どもだけに費やせる時間は1日12〜13分しかない。おじいさん、おばあさんに入ってきてもらえると、先生も楽ができるし、子どももうれしい。おじいさん、おばあさんも生き生きしてくる。
 世の中の多くの幼稚園や保育園は親が預けやすい場所でつくられがちです。いわば働く側の視点。しかし、子どもにとっては、「走り回れる」「どろんこになれる」など、思い切り遊べる場所がいい。県の担当者が開設許可を出すために立ち入りに入った際、「園庭はどこですか?」と聞かれて、山の斜面を指したら驚かれました。設備基準に「園庭は平らなところでないといけない」とはどこにも書かれていないのですが(笑)。ちなみに滑り台の設置義務はありました。でも、雑木林に滑り台やジャングルジムは似合いません。そこでデパートに行って家庭用の滑り台を買ってきて、「これです」と(笑)。
 もりの幼稚園では「預かっている子どもに事故があったらどうするのか」とよく聞かれますが、「ちょっとしたケガくらいはあります。それでよければどうぞ(預けてください)」というスタンスでやっています。役所が運営している幼稚園だと決してケガをさせてはならず、資格をもっている人=先生が必要となります。でも、私からみれば、おじいさん、おばあさんは子育ての専門家。幼稚園の先生は子供は叱れますが親までは叱れません。おじいさん、おばあさんは子どもだけでなく親まで叱ることができるのです。

子どもに高齢者、そして動物まで入れた

 高齢者向け事業として特別養護老人ホームをつくる際、他の施設を視察に行ったところ、当時の高齢者施設のほとんどはまちの郊外にある要塞のような建物でした。入り口には受付があり、横に事務所。まるで会社のようで、なかに入れば床はタイル張りで、病院みたいにまっすぐな廊下が伸びて部屋が並んでいる。これがいけないのだと思った吉田は、自分たちがつくった特養の廊下や床には木を貼って、廊下はあえて曲げるなど、従来の施設と雰囲気を変えたのです。
 そうしてスタートしたものの、介護職員から「入居者と関わる時間がないので、なんとかしてほしい」との声が上がりました。そこで介護職員の総労働時間を入居者の数で割って、入居者が職員から直接ケアを受けられる時間を算出すると、1日のうちわずか2時間でした。在宅サービスを受ける高齢者も同じ。訪問ヘルパーが看ることができる時間は午前、午後で各1時間くらいだったのです。
 ということは、残りの時間を高齢者は寂しい思いをしながら過ごしている。そこで、幼稚園へ高齢者に入ってきてもらったから、今度は逆に子どもたちに特養へ入ってきてもらおうと考えました。さらには地域のボランティアのおじいさん、おばあさんも呼びました。子どもやボランティアで埋められないところは犬や猫、鶏、豚など動物を入れて、寂しさの隙間を埋めました。
 建築・設計を専攻する学生たちが私たちの施設を見たいと訪れたことがあります。それから学生たちは毎日通ってくるので、「どうせなら住んでしまえばいい」と特養のなかに内緒で居候として住まわせてみました。若者ですから、まちなかで友人と夜遅くまで飲んで、友人も連れて帰ってくることがあります。すると入居者が「こんな遅くまで飲んで騒いで、何をしているんだ」と若者を叱る。お年寄りが若者を叱っている姿は、どこか生き生きしている。「叱る」という役割を入居高齢者がもったのでしょう。
 いろいろなところに居候を入れ始めました。その発展系に「ぼちぼち長屋」という住まいがあります。1階には介護が必要な高齢者が13人住み、2階には働く若い女性4人、奥には子育てファミリーに入ってもらいました(いまは退去しましたが)。高齢者、若者、子育てファミリーがひとつ屋根の下にごちゃまぜで暮らす長屋を始めてもう17年になります。
 多世代で暮らすともめごとが多くなります。相手を理解しようと思っても、ついイライラするときがある。でも、それが当たり前なのです。幼稚園は森のなかにあるので暑さ、寒さはつきもの。暑さ寒さは自然なので思うようになりません。子どもも実は自然の一部なのです。子どもを思うようにしたくてもコントロールできません。子どもを思うようにしようとしている親自身の気持ちも思うようになりません。それは私たちが自然の一部であるからです。自然が思うようにならないように、思うようにならないことを学んでほしいのです。

いろいろな価値観がある場所

 長久手市は高齢化率16%で日本一若いまちといわれています。住民の平均年齢は約39歳。豊田市と名古屋市のベッドタウンとして、30〜40代の子育て世代が多く移り住んでいます。
 新しいまちである長久手市には、むかしながらの祭りや風習が少なく、地域のつながりが希薄です。だから若い世代が移住してくるのでしょう。雑誌『東洋経済』が毎年発表している最新の「住みよさランキング」で長久手市は全国2位でした。ランキングの指標は安心度(病院のベッド数、高齢者施設の数など)、利便性(公共交通機関など)、快適度(公園の面積など)、裕福度(戸建て所有率、自治体の税収額など)で測りますが、住んでいる私が、本当に長久手市が住みやすいのか? と聞かれれば、そうでもないと答えざるをえません。隣近所の付き合いはほとんどなく、誰が住んでいるのかもわからないところが「住みやすい」のでしょうか。そこでいまの傾向とは逆のこと、「まずは挨拶から始めよう」という呼びかけを始めました。
 緑に囲まれたゴジカラ村には、特別養護老人ホーム、もりの幼稚園、ケアハウス、看護専門学校などがあり、日々900人くらいの人が出入りしています。ここの土地は最近値段が上がっているようです。それは緑があるからでしょう。でも、秋になると落ち葉が舞い積もって、近所から文句が出る。そういうときは謝りにいきます。それは「今度お祭りがあるので来られませんか?」などと声をかけるチャンスでもあります。
 なぜ「ゴジカラ村」という名前なのか。夕方5時までは会社などで効率や数字、成果が求められる時間です。一方、5時からは仕事が終わり、開放される時間。「ゴジカラ村」は時間に追われないところ。「時間に追われる国」が会社、学校、病院、役所などとすれば、「時間に追われない国」は地域や家庭。後者では雑木林で子どもたちが遊んでいる、おじいさん、おばあさんが若者を叱ったり、子どもたちの面倒をみたりしている。そんな風景が見られます。
 私たちの基本方針のひとつに、「雑木林が暮らしの座標軸」があります。雑木林にはいろんな木がまざって、なおかつ、お互いに少しずつ我慢している。そして、春、夏、秋、冬と季節が循環をする。これは人の暮らしと同じです。いろいろな人がいて、いろいろな価値観があり、まざる。思い通りにならない。循環する。これらを暮らしの座標軸に据えながらやっているのです。
 「のんびり、ゆっくり、ほどほど、だいたい、まあまあ、適当」、これはまざって暮らすためのキーワード。人は自分の価値観と違う人をつい責めてしまいます。そして、相手を自分の思い通りにして、早く物事を進めようとします。でも、仲間をつくろうとするとき、早く物事を進めてはだめ。そういうとき、私たちは折り合いをつけなければなりません。折り合いとは紙が重なるように折ること。つまり歩み寄ることです。
 また「無駄を大切に」も方針としています。会社は同じ能力の人を集め、同じ方向に向かわせ、最短・最高の効率性で結果を出すことを価値観にしています。しかし、これについていけない人は世の中にたくさんいて、列からはじかれていく。それによってどうなったかといえば、引きこもりやうつ病を患う人が増えました。私たちは無駄なことの方が大切だと思っています。暮らしの場には完成形はありません。正解があったとしても、それはひとつではないのです。
 長久手市役所の職員は市長から「地域に出ろ」と言われており、出かけていくと、住民から困りごとなど、いやなことばかり聞かされるそうです。それでうんざりして、引きこもってしまう。そうならないためにどうするか? 「自分もなんとかしたいのだが、うまくできずに私も困っている」と住民に戻してみるのです。すると住民のなかから1人や2人は「ならば一緒に手伝おう」と声をあげる人が出てきます。
 自分で解決できない問題が起こったときには周りの人に話す。するとそのなかからサポートしてくれる人が現れる。「もめごとは解決しなくてはならない」と頭が役所モードになってしまうのは、「結果を出さなくてはいけない」という価値観に縛られているからです。地域では簡単に結果は出せません。だからこそ、うまくいかないことは地域へいったん戻す。時間はかかりますが、支援する人・活躍する人が必ず現れるので、最終的にはいいものができるはずです。

下り道を降りる時代

 高度経済成長の右肩上がりの時代は終わりました。目指すところが見えるとき、人はそっちを向いて歩くことが得意なんです。高度成長時代は豊かな暮らしが山の頂上にあると思い、日本全国がそこを目指して登っていきました。そして頂上に立ったのは人口がピークの頃。これからはどこかに下らなければならない。しかし、どこへ降りたらいいかわからず、みんな悩んでいる。そうしたなかで東日本大震災が起こりました。明治維新や戦前戦後など、時代の節目がありますが、私は東日本大震災前後もそれに当たると思います。
 数字・効率・成果を求められる人々よりも、そうでない人々(高齢者や子ども)の割合の方が大きくなっています。にもかかわらず、前者が優先されるから歪みが生じるのです。ゴジカラ村はむかしながらの人々の暮らしを続けているだけ。現実をみると、若者向けワンルームマンション、ファミリー向けマンション、大規模な高齢者住宅などが別々に建っている。もめないように都合よく分けられているということでしょう。しかし、もめごとやわずらわしさは増えるとしても、まざることはいいことと捉えてほしい。そうすればその人、その人の役割ができ、居場所が見つかるはずです。

シンポジウム② 2018-12-8-Sat@生涯活躍のまち移住促進センターバリア“アリ”ーのデイサービス~遊び心とリスク管理を両立する夢のみずうみ村の仕組みとは~

藤原 茂さん社会福祉法人「夢のみずうみ村」理事

ふじわら・しげる●1948(昭和23)年、山口県萩市生まれ。作業療法士の資格取得後、リハビリテーション病院などを経て、2000(平成12)年、特定非営利活動法人「夢の湖舎」を設立。翌年、「夢のみずうみ村」山口デイサービスセンター開設。現在、社会福祉法人「夢のみずうみ村」理事長、株式会社夢のみずうみ社代表取締役。

山口県山口市
面積:1023.23㎢ 人口:195,561人 世帯数:86,706世帯(人口、世帯数ともに2019年1月1日現在)
山口県の県庁所在地で、県のほぼ中央に位置する。新幹線・新山口駅(小郡)から市の中心まで電車で約20分。室町時代、大内氏配下にあって「西の京」として栄える。瑠璃光寺五重塔や湯田温泉など観光資源も豊富で、ゆかりのある雪舟や中原中也を輩出した土地柄か、芸術や文化の香り高い。国立、県立、私立の大学を有し、学生による地域活動も盛ん。

みんなが同時に一緒のことをしなくてもいい

 私たちが運営する通所介護施設(デイサービス)「夢のみずうみ村」グループは山口県山口市、防府市、千葉県浦安市、東京都世田谷区の4つの直営店と89カ所のフランチャイズ店からなっています。
 全国の平均的なデイサービスの1日はどういうものか。送迎車が利用者を乗せて施設に連れていく。到着後は職員が荷物をお預かりして所定の場所へ。利用者は全員が揃うまで所定の場所で待ち、「今日は〇月〇日、天気は〇〇、今日行うことは〇〇」などをみんなで確認。続いて、お茶のサービスやバイタルチェック、朝の体操、レクリエーション。これらがたいてい午前中にすること。昼食はみんなで一緒に食べ、トレイや食器などは上げ膳、据え膳。午後は入浴(午前中に行うところもある)やリクリエーションの後におやつを食べ、休んだら、帰り支度をして待つ――。
 それに対して、私たちのところでは利用者がいっせいに同じことをすることはありません。利用者が送迎車から降りて向かう場所、「夢のみずうみ村」は自分が見知った街角、安心した風景になっているべきです。そこはいろいろな人と出会ったり、すれ違ったり、挨拶を交わしたり、井戸端会議をしたりするところ。ですから利用者には送迎車から施設内にできるだけ自力で歩いてもらいます。そうすることで周囲の風景が自分の見知ったものになるのです。
 夢のみずうみ村の玄関には「人生の現役養成道場」という看板が掲げられています。それは生きる力をつかむ場所という意味。誰がつかむのか? 利用者だけではありません。その家族も生きる術を一緒につかむ。そんなところです。
 玄関を入ったところのボードには今日のプログラムがずらりと書かれています。利用者はそこで自分で予定を立てます。施設に入った瞬間、「あれやろうか、これやろうか」と賑わう。たいていのデイサービスではプログラムを職員が決めていますが、私たちは一切それをせず、利用者がプログラムを決めるのです。
 プログラムには教室と自由塾があり、前者には指導者がいますが、後者にはおりません。教室の指導者は職員であったり、利用者自身が先生になったりします。内容は、たとえば、ちぎり絵や木工、粘土、料理など。利用者が先生役になった場合はこちらが賃金を払い、その時間は介護保険の対象から外します。「イエローカード」はごろ寝や新聞を読むなど。何もしないというプログラムがあるのは、それを選択する意識が大事だと考えるからです。「PTA」とは他の人のお世話をする人のこと。元気な方であれば、認知症の方の散歩に寄り添うことができる。ちなみに料理の下ごしらえは認知症の方にもやってもらっています。何度も同じことを繰り返し言っている人には、食材を刻むといった作業が得意な方が多いのです。
 このように夢のみずうみ村の利用者は一人ひとり、動きが違います。したがってリスクが多く、それをどう管理するかが一番大変なところですが、まずは夢のみずうみ村運営のための3つの仕掛けについてお話します。

環境の仕掛け

 台所感覚でごちゃごちゃした空間にしていることです。夢のみずうみ村は生活する場であって、お客さまを迎える応接間ではありません。生活行為力を回復するためには、ざっくばらんで緊張しない雰囲気が必要ですから、応接間感覚だと畏まってしまう。台所ならば身内の場なのでリラックスできるでしょう。私たちはいつも「さんづけ」です。名前を呼ぶときも、掲示するときも「○○さん」。利用者も身内なので「○○様」とは言いません。
 施設のなかは家具をあちこちに置いて、バリアフリーならぬ、バリア“アリ”ーにしています。普通の家庭のように、可能な限り自宅の環境に近づける。家庭と同じ環境をつくるため、家具はリサイクルショップで買い漁りました。さらに、ごちゃごちゃ感を出し、利用者が目移りするよう、ありとあらゆるものを天井からぶら下げました。
 夢のみずうみ村は高齢者にとって希少な外出先です。そこにあるスポーツクラブ、シアター、飲食店、喫茶店、スイミングプールなど、それぞれが文化センター的役割、公民館的役割、遊興施設的役割を担っています。いわばひとつのまちなので、賑々しさをつくるために内装は原色を使っています。赤や黄色は活性化の効果があり、一見、無秩序なように見えますが、意図をもって色を使い分けている。落ち着く場所、たとえばシアターには青を使っています。そこではCATVで時代劇を上映していて、寝転んで見ていてもいいのですが、とくに捕まるものがないので、起き上がるのにひと苦労する。それも訓練になります。
 施設内には大きな通り、小さな細道などがあります。あえて通路の見通しを悪くし、衝突が起きやすいようにしています。段差をつくるのは、段差を通る練習ができる施設でないといけないと思うからです。随所に訓練具のようなものが置いてあるので、そこに導線が生まれる。そして「ちょっと坂」など、バリアを意図的に設けているのですが、利用者は注意して歩くのでそうそう転んだり、ぶつかったりすることもありません。そうしたところを通って、プール、食堂(バイキング形式)など自分の行きたいところへ行くのです。
プログラムの仕掛け
 先ほど申し上げた「自己選択」「自己決定」方式のことです。人間、意思が動けば身体は動きます。意思の水が溜まったところを私たちは「夢のみずうみ」と呼んでいるのですが、職員がどうやって利用者の心をゆさぶるか。それが大事なポイントだと思います。多種多様なメニューを用意して、「何かやりませんか?」と呼びかけてみる。やりたいことがある、やってみようという気持ちが起こる。だから身体も動くのです。

人の仕掛け

 利用者のできる能力を奪わないこと、介助を控え見守ること。それはご家族の介助量を減らすことにもなります。利用者が「できるか」「できそうか」「できないか」の3通りを職員は常に意識します。できそうかなと思ったら職員は手を出しません。できないとわかったら、そのできない部分だけに手を貸す。困ったところだけを手伝うのです。できないと決めつけると、すぐ介助・介護をして、それが自立やできる能力を奪ってしまいます。それがデイサービスの最大の過ち=「箱入り老人」をつくってしまうことになるのです。
 できるかどうか見極めようとそばに寄り添い、できそうと思ったら、待ち、見守る。「できる」と思ったら介護しない、「できない」と判断したらすばやく介護する。これを私たちは「できそう網」と呼んでいます。全介助の方であっても、頭がしっかりしていればできる「網」があるのです。寄り添っていれば必ずそれが見えてきます。
 訓練・リハビリで関わるのか、介護で関わるのか、の判断は職員の「引き算の介護」の能力にかかっています。それは職員がなるべく手を出さず、利用者の自立を引き出すようにすることで、私は日ごろから「その計算間違えをするな」と言っています。そのためには手順をどういうふうにすればいいかをきちっと知っておくことが大切なのです。

一日の始まり。今日は何のプログラムをやろうかと大賑わい

なぜバリア“アリ”ーなのか

 バリアフリーにしても、そこに職員がいても、転倒は起こります。むしろバリア“アリ”ーの方が転倒は少ないのではないでしょうか。家でトイレや玄関まで移動する際、何らかのバリアはあります。自立とバリアは表裏一体なのです。
 私たちのコンセプトは、障がいを持った人も持たない人も区別なく生活できる環境づくりであり、障がい者用トイレには手すりをつけますが、それ以外のところにはあまりつけておりません。
 デイサービスはバリアを避ける練習をさせてはいけない。これが夢のみずうみ村の基本となる考え方です。私たちが「ワンステップ、ワングッズ環境」と呼んでいるのは、1歩行った先に、触るもの、縋るもの、寄り掛かるものが必ずひとつ以上ある場のことです。杖や車椅子がなくても大丈夫な人は、家具の間をもたれかかったり、壁に寄り掛かったりして移動する。手すりをできるかぎり設けないのは、手を使って移動する上肢依存型から下半身を使って歩けるよう促すためなのです。
 ところが多くのリハビリでは、高齢者に平行棒を使わせることによって、それまでの習慣を変えさせようとする。家では、たとえばテーブルや椅子の背もたれに手を置いたり、かけたりして、立ち上がる、座る、横に移動するといった動作をしているのに、手すりに頼るようになると、それがない部屋では転倒するようになってしまう。だから私たちの生活移動訓練の基本コンセプトは「手すりを使うと歩けない」なのですが、行政は手すりがないと認可をしません。「握って歩くのはだめ。生活上はこうする(机の上に両手を置き、横に移動する)のが妥当なんだ」とこちらが主張しても、法律上は「握れる」ことを必須としているため、聞き入れてもらえませんでした。そこで、たとえば微かに握れるようにする、車椅子の人が身体を上げる際に握ってもらうなど、少し工夫をしました。

リスクをどう管理するか

 リスクを避けていては生活向上を望めません。リスクと戦うのは利用者でなく職員です。夢のみずうみ村の運営に重要なのは、職員が「なぜバリアを設けるか」という共通の認識をもつこと。事故が起こったときに備えて、管理者は対応マニュアルを作成し、現場はどのように報告するか。その連携体制を決めています。リスクを小分けして、支援するのがプロの介護福祉士です。
 私たちは最初に重要事項説明書でリスクについての許可をとります。承諾した方のみ施設の利用をしてもらうためですが、認知症の方のケアで苦労することは相当あります。徘徊する方には見守りリレーを行います。1日を管理するのに「スター制度」といって全体を指示するリーダーを置き、リーダーが「○○さんの見守りはあなたよ」と最初の人を指名する。その人がある程度意識して見守りするなかで、自分が席を外すときや別のことをするときは、「○○さんの見守りお願いします」と他の人にバトンタッチ。その人が駄目な場合は次、次と見守りをリレーしていくという仕組みです。
 プログラムに参加したときはそのプログラム担当が見守りをし、食事するときはバイキング担当が入るなどして、職員がつかない空白時間を少なくします。認知症の方を含め、1人の利用者に何分空白時間ができるかのデータを取ったところ、浦安では5分数秒、山口では4分数秒でした。5分以上あったがために、外に出てしまい、警察沙汰になることが以前はあったので、この時間を何とか縮めようと始めたのが上述の「スター制度」でした。同制度には、「本芸人」「流し」「ちょい役」などの役割名があります。「本芸人」は絶対その担当の場から離れてはいけないので、代わりに出たり入ったり自由に動く「流し」が見守りリレーの中に入ります。
 私たちは利用者の自立度評価を職員全員で3カ月ごとに行っています。チェックリストはA、B、Cの3段階があり、Aグループは自立している方、自立する意思がある方。BにはB1、B2があって、前者はちょっとした介助が必要な方、後者は相当の介助が必要な方。そしてCはご自分では動けない全介助が必要な方。難しいのはBです。プログラムを選んだときの誘導、移動時の介助などがいるか否か、入浴するときの着替えで介助がいるか否か、などの項目で2つ以内介助が必要ならB1。3つ以上の項目で支援が必要、あるいは不穏な動きがあり見守りリレーが不可欠ならB2となります。Bの方に対しては「スター制度」のリーダーが、今日は誰がB1、B2の方の介助を行うかの指示を出すのですが、この制度を確立するまでに3年かかりました。

介護度は下げられる

 夢のみずうみ村の利用者の平均介護度は当初1.8くらいでしたが、現在は1.2くらいまで下がっています。要介護度の改善率は全国平均よりもはるかに高いといえるでしょう。利用者の介護度が改善すると介護保険収入は減るという矛盾が生じます。ようやく成功報酬の制度ができましたが、成功報酬よりも過介護にして利用者の機能を落としたほうが利益は出るのが現状です。
 障がい者と高齢者の生活介護を一緒にやろうとしたとき、行政から「通路を区分しろ」と言われました。具体的にどうすればいいのかと尋ねたところ、通路を障がい者用と高齢者用とに半分に分けて、各々1.8mで間にビニールテープを引くよう指示されました(そのときにビニールテープの位置が10cm違うと指摘され、修正させられました)。その後、別の監査で、通路に置いたバイタルチャックの機器について、「ここは障がい者の生活介護の通路なのに、なぜ介護保険で使う機器を置いているのか」と指摘されたこともあります。「この線は便宜的なのだろう」と反論したら、「便宜的とは何事か!」と叱責され大激論となったのですが、そうした経緯を厚労省に相談しに行ったことで、その後、共生型サービスが生まれるきっかけにもなりました。こうした苦難を乗り越えたことで、いまの夢のみずうみ村があるといえるのです。