北海道河東郡上士幌町町長  竹中 貢さん

たけなかみつぎ●1948年、北海道苫前郡羽幌町生まれ。71年に上士幌町役場に入庁。町教委社会教育課長などを経て、2001年の町長選で初当選。以後、無投票で5選を果たす。

上士幌町(かみしほろちょう)
面積:約695㎢/人口:4,977人(2018年3月31日現在)
1931(昭和6)年:士幌村から分村し上士幌村となる
1954(昭和29)年:上士幌町となる
1955(昭和30)年:13,608人を数え、この頃が人口のピーク
1974(昭和49)年:第1回北海道バルーンフェスを開催、今夏45回を数えた基幹産業は、農業や林業といった第1次産業。
町内の約76%を山林が占め、乳牛・肉牛の飼育頭数は人口の約8倍。
ぬかびら源泉郷や幌加温泉、ナイタイ高原牧場、旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群などの観光資源を抱え、近年は観光業も盛ん。

ふるさと納税額で上位を占めている北海道の上士幌町は、それ以前から積極的なまちづくりを進めており、国のかかげる地方創生を追い風に、トップランナーとして注目を集めています。首都圏から遠くはなれた小さな町で、なぜそれが可能だったのか。上士幌町長の竹中貢さんへのインタビューは「生涯活躍のまち」構想を進める自治体に、多くのヒントと励ましを与えてくれると思います。

――8月23日に開かれた、まちづくり会社「生涯活躍のまち かみしほろ」主催による「空き家・空き店舗活用ワークショップ」のファシリテーター(議事進行)役を務めさせてもらったところ、20人くらいの参加者のみなさんが熱心で驚きました。

 これまでもシャッター通りといった空き店舗の問題はあったわけですが、「それが課題だ」というだけで、具体的に踏み込むところまでの議論はありませんでした。空き店舗は商店街の浮沈にかかわる問題です。経営者が出て行った、事業継承ができなかったなど、いろいろ理由があるにもかかわらず、行政も住民もそれに対する手当てを行ってこなかった。
 人口減少、少子高齢化が進むなかでの課題は自然治癒するものではありません。地方創生は地域経済の活性化や地方への移住の流れをつくることを目指しているわけですが、空き店舗を活用しての起業は地域経済に資することで、移住に関しては「来て、来て」と言うだけでなく、そこでどうやって食べていくのか、どんなことを生きがいにするのか、それを見せることで地域が元気になると思います。

――問題指摘型から課題解決型に変わってきたことは、町長のリーダーシップによるところも大きいのではないかと思います。

 私が町長になった平成13年は平成の大合併がピークを迎えた頃でした。それによって全国3,300ほどの自治体が1,700くらいになったわけですが、上士幌町は合併をしませんでした。700k㎡ほどの広さのわが町は東京23区プラスアルファくらい。それが他の市町村と一緒になると1,000k㎡以上になってしまう。合併の目指すところは行政コストの削減にあると考えると、住民サービスの低下や地域の衰退につながるとの危機感から、住民は、厳しくとも自立の道を選択しました。
 人口約5,000人の上士幌町がどう生きていくのか、住民と議論を重ね、財政シミュレーション、将来のビジョンをつくり上げ、最終的には合併せずに頑張っていこうとなったわけです。
 経済が右肩上がりの時代のような、行政が住民にサービスを提供するという一方的な関係はもはや成り立ちません。財政の縮小による住民サービスの低下を防ぐためには、住民のまちづくりへの参加が従来に増して必要と考え、まちづくりの担い手としてボランティアやNPOの活動を支援し、その結果アダプト・プログラム(市民と行政が協働で進める新しいまち美化プログラム)の活動なども生まれました。
 また、都市との交流も始めました。人口が減っても経済を活性化させるためには交流人口や観光客の受け入れ、移住政策も積極的に推進してきました。移住に関していえば、お金がたくさんなくても、地方であれば豊かに暮らせるという情報を発信し、農業については、農産物をそのまま出荷するのではなく、付加価値をつける6次産業化などを通して商品開発を奨励しました。
 移住や物販も、ターゲットとして考えたのが農山村と対極にある都市住民で、都市と農山村をつなぐツールとしてICT(情報通信技術)を積極的に活用してきました。長年かけて取り組んできた「ひと」「モノ」「ICT」の3点セットが、その後の「ふるさと納税」の成功につながったと考えています。

――国・自治体にとって地方創生が喫緊の課題なっていますが……。

 地方創生は、歴代内閣の重要政策でした。田中内閣では日本列島改造論、竹下内閣ではふるさと創生事業として1億円の地方交付金が話題になりました。今回は、急激な人口減少と少子高齢社会、それを加速させている東京の一極集中というなかでの地方創生で、待ったなしです。是が非でも解決しなければならない課題と思っています。
そのため、国とすべての自治体が人口ビジョンや総合戦略を策定しました。5カ年の総合戦略では、KPI(主要業績評価指標)やPDCAサイクル(Plan=計画、Do=実行、Check=評価、Action=改善)が必須項目となっており、本気度を感じます。行政は、数値目標やPDCAといった手法が民間と比べて遅れています。できないものはできないでリセットすればいいわけで、そうしないといつまで経っても「いま自分たちが行っていることがどういう進捗レベルなのか」「無理な計画なのか、自分たちの努力が足りないからそうなっているのか」といったことが検証できません。しかし、こうした検証は大事なことです。
 総合戦略がスタートして後半の4年目に入り、成果が問われる段階に入ってきました。これまでの検証結果では、半世紀にわたって減少してきた人口が増え始めました。首都圏などからの若者の転入が多く、高齢化率も若干ながら減ってきています。出生率も上がったし、企業もいくつか設立されました。地方創生が目指す目標を、現段階では、ほとんどクリアしています。

――なぜ人口が増えたのですか?

 ひとつは仕事があること。「地方には仕事がない」とよく言われますが、選り好みするからであって、農業を始め医療・介護、製造業、運送業などは慢性的な人手不足が現状です。
 一方、最近の若者は田舎暮らしに対するニーズが高まってきているように感じます。そこで考えたのが町独自の無料職業紹介所(ハローワーク)の開設です。仕事の紹介のほか、上士幌町独自の福祉、子育て・教育などの施策について、きめ細やかに情報を発信することに努めています。都会より年収が50万〜100万円安くても、生活全般でみれば遜色がないことがわかるのです。無料職業紹介所のほかに、今年は「ちょこっと仕事」を請け負う「人材センター」を設立し、これらの運営を、町が「(株)生涯活躍のまち かみしほろ」に委託しています。
 二つめは、子育て世代が地方に勤務する場合、家族を都会に残して単身赴任のケースが多いのですが、その理由のひとつに、子育て・教育に対する不安があるからと考えました。保護者の負担軽減の点では、認定こども園の完全無料化、高校生までの医療費無料化、子育て世帯の住宅費支援、ソフト面では、認定こども園にも外国人を配置して幼児期から国際理解を深める教育、義務教育では少人数学級など、物心両面で手厚い支援をしています。
三つめは住まいです。上士幌町から町外に通勤する人と、町外から上士幌町に通勤する人のデータを見ると、前者は50人、後者は150人。その100人の差の主な理由は、上士幌町に賃貸住宅がないということでした。右肩上がりの経済成長であれば、建設会社も賃貸住宅を建てるでしょうが、現在は公営住宅以外を手がけていない。公営住宅は一定の収入を超えると出て行かなくてはならない「福祉住宅」です。
 そこで、町では雇用促進の観点からも職員住宅やマンションなどの建築に対して補助制度を作りました。今年も、この制度を活用した住宅が90戸ほど建築される予定です。さらに、空き家には解体費の助成がありますので、快適な住環境と共に街中がきれいとの評価をもらっています。

――地方創生は上士幌町がこれまで進めてきたまちづくりの追い風になっているわけですね。

 人口が増えていることから、地方創生のトップランナーとの評価をいただくことがあります。ときには「竹中町長は一番が好きなんだ」という声も聞かれますが、一番と二番には大きな違いがあります。道なき道を行く者の苦労は大きい。致命的な失敗をしてはいけないけれど、うまくいかないこともあります。しかし、その苦労から得たノウハウは、かけがえのない財産だと思っています。成功事例を参考にするのも大切ですが、大事なのは苦労のプロセスを知ることだと思います。いま、本町の職員は、自然体で新しいことに挑戦しています。成功体験に喜びを感じている職員も増えてきていると思っています。

――上士幌町はふるさと納税の額の大きさでも注目されていますが、ふるさと納税・子育て少子化対策夢基金事業を始められました。従来の返礼品競争から、まちづくりへシフトされているということですか?

 ふるさと納税は返礼品が注目されがちですが、私たちと寄付者がどうつながるかを常に考えています。以前、都市と地方がお互いの存在を認め、共に発展する社会を理念とする「スロータウン連盟」に参加していました。目指すのはスピード社会とスローな社会の共存共栄です。
 スピード社会の象徴は東京です。24時間365日、経済も政治も動いており、「時間」を追い越すような生き方の社会。一方、上士幌町を見れば、春に種を撒いたら一定の期間がないと収穫はできません。早く育てようと水を撒き過ぎれば作物がだめになってしまいます。時間と共に生きる社会です。東京で疲れた人がいれば地方が癒しの場となり、リフレッシュしてくれればいいのです。こんなことから1,000万人の東京住民のうち1万人に1人でもいいから、上士幌町に関心を持ってもらう方法はないものか、そんなことを考えていました。
 そう、基金について、でしたね(笑)。人がこの町に来てもらうための施策として子育て・教育環境の整備に特化しました。ふるさと納税は寄付者が町に浄財を出してくれたのだから、私たちがそれを使ってどのようなまちづくりをしているのかを見せる義務がある。そう考えたうえで、子どもについては、まちの宝であると同時に国、国民の宝でもあります。子どもは上士幌町で生まれ育っても、やがて高校や大学、就職先が東京なのか、大阪なのか、福岡なのか、あるいは海外なのか自由です。子どもがわれわれ国民の財産だと考えれば、ふるさと納税寄付金を子育てに投資することにも理解をいただけると思ったわけです。いま政府は「働き方改革」や「女性活躍」を推進していますが、子育て環境が整っていますので、上士幌町の女性の就業率は高くなっているはずです。

――普通は地元の高校を卒業した子どもたちに、どうしたら帰ってきてもらえるかに腐心するものですが……。

 「ここにいなくてはだめ」という縛りをかける必要はありません。上士幌町出身の子どもたちがどこで生きようと、そこの社会で活躍してくれることが一番の願いです。逆に、都会の人たちがこちらに来たっていいんです。デパートはないが人間関係がよいとか、自然が豊かだとか。住むための選択肢はいろいろあると思いますが、上士幌町のよさを理解して移住するのであればウエルカムです。
 「ないこと」が資源にもなる事例を紹介しましょう。上士幌町には杉がないのでスギ花粉がない。それを体験するツアーを企画しました。大変な反響で、いま関心が高まっているヘルスツーリズムの先駆けとなった事業です。また、産業廃棄物であった廃線跡の橋梁*が、今では人気の観光スポットとして注目を集めています。「ない」ことも人によっては価値を生むものと思っています。
 新しい住民が来ることを不安視する自治体もあると聞いています。いままでの地域の慣習が崩れるなどの声も耳にしますが、人それぞれ生きてきた環境が異なるわけですから、ある程度寛大な気持ちになることが大事だと思います。忘れてならないのは、移住者は数ある中からそこのまちを選んでくれたことと、旧住民と新住民が交じり合って新しい風が起き、地域の発展につながるとポジティブに考えることが大事でないでしょうか。
※「旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群」は北海道遺産に選定されている。

――「生涯活躍のまち」の課題として、都会の高齢者を受け入れることに対する住民の違和感を解消することが挙げられています。

 子育て面で一定の成果を上げてきました。次の課題は住民の健康寿命をどう伸ばしていくか。いままでの高齢者対策は、まず介護や医療など心身の変調に対する施策に力を注いできました。     
 一方、人生100年時代を迎えるにあたっては、元気で自分らしく長生きすることが重要になってきます。食べるものをおいしく感じる、自分の意思で行きたいところへ行けるなどは、生きることの大きな喜びだと思います。それを実現することが「生涯活躍のまち」につながっていく。ですからサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)ありき、ではないのです。
 移住定住政策を行うなかで「年寄りを都会から呼んでどうする」という議論はありました。年老いても1日3度の食事は摂ります。同じ年金額なら東京よりこちらのほうが実質価値が高いので、地域経済も活発になるでしょう。介護保険の分担で言えば、50%は保険料、残りが国、そして北海道と町が負担しますが、町には交付金という国からの支援もありますので、高齢者が移住してもマイナスとは考えていません。

――生涯活躍のまち構想においては、そのなかで優先順位を状況に応じて変えていくということですか?

 生涯活躍のまちの取り組みを進めるうえで、サ高住は重要な施策でありますが、施設の建設には多額の資金が必要なので、入居者の見通しがなければ経営は成り立ちません。また、私たちの実感ではサ高住に対するニーズがあるとは思えない。一方で、地域に住む一人暮らし世帯などでは、住宅の住み替えを希望している声があります。そうした悩みや要望にどのように対応できるか、それが今回開催した空き家・空き店舗活用のワークショップであり、引き続き開催する住み替えをテーマにしたセミナーなのです。
 家族5〜6人で生活していた高齢者が今は夫婦のみ、あるいはひとりで暮らしている場合、住宅の管理はどうするか? 除雪はどうするのか? お隣さんが離れていて大変ではないか? そういうところに住み替えの需要が出てくると思っています。

――かつてつくったニュータウンの住民が高齢化したために、リノベーションを中心にしたまちづくりに取り組むべく、再び地域に入っていく大手住宅メーカーの動きもあります。そこでの課題は高齢者だけになった建物をどうやってダウンサイジングするか、だそうです。

 一人暮らしの高齢者が2階に上がることはほとんどなくて、物置になっていたりするケースが多い。ならば、小さな間取りの住まいに移って、代わりにそのくらいの広さの家に住みたい人に入ってもらうことも一つの方法です。
 大事なのは困っているところにどうスポットを当てるか、ということです。その根本にあるのは「どうやって最期まで元気で暮らせるか」であり、住宅問題もそのひとつですが、元気で長生きするための施策として、まちでは健康ポイント制度をつくりました。「歩いてポイント、学んでポイント、健診受けてポイント」。頑張った人には最大1万ポイント(1万円相当)を授与します。おかげさまでみんな歩き始めています(笑)。これが3〜4年続いたとき、健診の受診率や健康寿命の伸び率がデータとして出てくるでしょう。この事業も「(株)生涯活躍のまち かみしほろ」に委託しています。

――上士幌の生涯活躍のまちづくりの次のステップは何ですか?

 二つの課題があって、ひとつは交通ネットワーク。都市部には鉄道、バス、タクシーと何でもある。網の目のように体系化されて移動手段が整備されています。一方、地方では自家用車中心の生活で、交通弱者といわれる高齢者や子どもにとって快適な環境とは言い難い。そのための対策であります。
 もうひとつはICTの活用。都会には閑静なところで仕事をするテレワークを求めている人、サテライトオフィスで働きたい人がいます。それを実現するためのツールがICTです。農山村であっても都会と同じように光回線が整備されていることが必須で、仕事の能率が上がる、心身もリフレッシュできる、そのような環境がなければ企業も人も動かないと思います。

――東京で混雑した通勤電車に乗っている会社員はぐったりしています。

 それが幸せなのか、ということです。人にはみな平等に24時間しか与えられてないのに、何時間も通勤に使うのはもったいない。通勤時間が短縮できれば地域活動などができるじゃないですか。
 ふるさと納税に話を戻せば、この5,000人のまちに延べ10万人近くの方が寄付してくれました。私は、寄付してくれる皆さんを「応援人口」と呼んでいます。まちづくりのプレーヤーは、5,000人の上士幌住民ですが、スタンドには10万人の応援団がおり、スタンドから上士幌町のまちづくり頑張れよ、とエールを送ってくれる皆さんだと思っていますし、スタンドから下りてきてプレーヤー(住民)になってもらうのも大歓迎です。

――ただ、こういうことを町長が主導し、優秀な役場の職員がまちづくりを引っ張っていくことで、住民が行政に依存するようになりませんか? 昨日のワークショップでも「まちづくりにはボトムアップが必要だ」という声がありました。

 行政のリーダーシップが目立つということかと思います。リーダーシップかボトムアップか、いつのときもよくある話です。現実の問題として、まちづくりの様々な情報をいち早く入手し、沢山の情報を持っているのが行政だと思います。その情報をできる限り住民にオープンにして、住民と一緒にまちづくりに取り組むことが大切だと思うのですが、難しいテーマですね。

――最後に生涯活躍のまちづくりを進める全国の自治体へのメッセージをお願いします。

 現在の東京の一極集中は歴史的にみれば必要だったのかもしれません。江戸時代にはおよそ300近い藩があり、独自の自治が行われていた。しかし明治に入って、日本が世界と対等に向き合うために東京に機能を集中させる必要があったのではないかと、素人ながら思っています。
 それから150年、日本は発展してきましたが、一方で東京の一極集中が地方の疲弊や人口減少の大きな要因と指摘されています。つまり地方への人の流れは、いい悪いではなく、それをやらなければ日本の国がおかしくなってしまうのです。
 地方にはそれぞれの魅力があるはずです。地方が元気にならないと日本は元気になりません。苦しいかもしれませんが、自分たちのまちの魅力をつくっていき、それを内外に発信していけば必ず状況は変わります。「生涯活躍のまち」は一過性のものではありません。愚直に続けていくことで実現していくと思っています。

(聞き手:芳地隆之)

「ない」ことも「資源」。人によっては価値を生むのです。