4月3日(日)、雄谷良成・35世住職*を務める金沢市の蓮昌寺において 釈迦降誕会花まつり法要ならびに「桜下の宴」が行われました。東山地区主計町の芸妓さん(桃太郎さん、うた子さん、千寿さん)の踊りとかず弥さんの唄、きみ代さんの三味線に参列者一同、桜の下で見惚れ、聞惚れました。

(注)* (社)佛子園理事長、(公社)青年海外協力協会会長、(一社)生涯活躍のまち推進協議会会長を務める。

閉会の挨拶で雄谷住職は「天井天下唯我独尊」について話をされました。お釈迦さまが生まれてすぐ7歩歩いて、右手で天を指し、左手で地を指して語ったという逸話によるものですが、私たちは「唯我独尊」を「この世で自分ほど偉いものはいない」という意味に捉えがちです。

雄谷住職によると、そうではなく、人が仏の教えを実践するために、うまくいかないことがあっても努力を惜しまず、人のために自分の気持ちを向ける姿勢を持ち続ける。私たちは、困った時の神頼みとか仏頼みといった言い方をしますが、そうではないのです。

なぜ「7歩」なのかというと、私たちがは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の世界)のなかで、地獄のような思いを味わったり、あれもこれもと欲張ったり、人間らしからぬ無軌道な行動に走ったり、他人と争ってしまったり、人として普通の営みができ、いつしか一天にも登ったような素晴らしい体験をしたかと思ったら、また地獄のような世界に舞い戻ってしまったりと、六道の世界を越えられずに、悩んだり悲しんだり苦しんでいる。これを「六道輪廻」といって、人の行いが六道に影響するのだそうですが、お釈迦様は7歩歩いて、六道を越え、仏の世界に到達されたといわれています。

以上は仏教の話であるものの、「うまくいかないことがあっても多くの努力を惜しまず、人のために自分の気持ちを向ける姿勢」はまちづくりやボランティア活動にも通じるのではないでしょうか。

この日は昨年2月27日に亡くなられた五井建築研究所の会長、西川英治さんを偲ぶ会も開かれました。「ごちゃまぜ」の建築とは何かを考え、すばらしい仕事を残された西川さんにゆかりのある方々が集まり、故人に関わる話にも花が咲きました。西川さんの精神は西川さんを師匠と仰ぐ(株)kyma代表取締役の土用下淳也さん、そしてスタッフの皆さんに受け継がれています。

              挨拶をする(株)五井建築研究所の喜多社長

昨年は例年になく桜の開花が早く、雨の中、花びらが散り始めていました。それを見て雄谷住職は「散る桜 残る桜も 散る桜」と良寛和尚の句を詠みました。今年は晴天に恵まれ、ただ寒い日が続いたので、桜はまだつぼみのものも多く、満開の華やかさを予感させるものでした。

ちなみに参加者に渡される『日蓮宗教箋』という会報誌の最後のページにあるエッセイ「ちょっと一服」には、ウィルスの一部が人のゲノムに取り込まれることで人の祖先が卵生から胎生への突然変異が生じ、その後は別のウィルスからの遺伝子により人の右脳と左脳の情報伝達能力が飛躍的に向上し、知的生命体の基礎ができたことが書かれていました。人類の繁栄へのウィルスの貢献は皮肉ですが、ウィズコロナといわれる時代に忘れてはならない視点ではないかと思います。

「ちょっと一服」は示唆に富んだ小文で新しい視点を提供してくれます。