この2つの言葉、 「気配」は「誰もいないはずなのに、何かがいる気配を感じる」とか「別れの気配がする」とか、どちらかというとネガティブな意味で使われることが多いですが、「気配り」となると、人に対する心遣い、配慮、心配など、優しさの意味を帯びてきます。

ただ、相手の表情やしぐさなどから発せられるもの=気配を感じ取ることで、私たちは相手を思いやったり、同情したりできるわけで、2つはセットです。そこでは時に言葉はいりません。

3密回避、 社会的距離の確保、不要不急の外出自粛など、新型コロナの感染拡大を防止する段階における地域づくりでは、多くの人が対面できないなかでも、「自分はひとりではない」という安心感を抱ける環境が必要でしょう。人が集まれなくても、「気配」を感じられ、「気配り」が相手に届くにはどうしたらいいのか。一定のエリアに新たなまちづくり人材が入っていって、住民の皆さんのつなぎ役を担ってもらう、いわば御用聞きのような存在がいたらどうでしょうか。物理的な拠点ではなく、地域全体を施設のようにみなすのです。

こうしたコミュニティをつくっていくには様々なハードルがあるでしょう。それを乗り越えたり、ときには失敗したりしながら、行きつ戻りつ、トライ&エラーを繰り返しながら、まちの再生を図っていけないか。

ちなみに写真は広島県安芸太田町です。同県の内陸部に位置するまちの人口は約6,100人、高齢化率は50%強。ここに青年海外協力協会(JOCA)の拠点がまもなくオープンします。安芸太田町の人口は減少しているものの、まちなかにはかつて栄えた水運業を偲ばせる石垣や往時の旅館、廃止された鉄道の線路など、歴史の堆積が人々の生活の営みを感じさせてくれます。まちも生き物なのですね。