昨年、インタビューをさせていただいた村木厚子さんから、かつて冤罪によって120日以上拘禁されたときに読んだ本として言及があった。当協議会会長の雄谷良成から、レジリエンス(逆境を乗り越える力)という観点で、さらには能登半島地震における災害関連死にもつながるテーマとして取り上げられた。そこで私も数十年ぶりに手に取った。世界で読まれ続けているアウシュヴィッツをはじめとするナチスの強制収容所の内部を詳細に記した書である。
 20代の頃に初めて読んだときは強制収容所で繰り広げられる過酷な現実ばかりに頭のなかを奪われた。女性や子ども、高齢者などを問わず、次から次へと仲間たちが死んでいくさまに息が苦しくなったのを覚えているが、著者の目がそこに留まっていないことに気がつかなかった。アウシュヴィッツにおいて囚人が列をつくらされ、作業場か、ガス室かと行先を選別される際、「骸骨のようになった老婦人が、死に送り出されないようにと、若い娘のように軽い弾力のあるステップを踏もうと一心になっている」との描写から、著者は絶望的な状況でも生き残ろうとする人間の意思を伝えようとしていたのである。収容所での死は(射殺では効率が悪いと設置された)ガス室によるだけではない。苛酷な環境で持病を悪化させて亡くなる、あるいは自分の境遇や家族を殺されたことによる絶望から自死する者も少なくなかった。
 本書の原題は『それでも人生に然りと言う 強制収容所での精神科医の体験』。常に死と隣り合わせの、自分の力だけでは変えようがない状況を受け入れた上で、仲間たちとどうしたら生き残れるかを考えた著者はこう記す。「元来精神的に高い生活をしていた感じ易い人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にも拘わらず、収容所のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼等の精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった」。自分の置かれた状況を客観視し、「精神の自由と内面の豊かさへと逃れる道」を見つけることで心の平静を保とうとしたのである。
 フランクルは記録をすることを自らに課した。そして、ナチスの看守や、囚人を取り締まるために囚人のなかから選ばれた者たちの態度や言動を分析していく。
 フランクルが速記の記号でびっしり細かく書き続けた数十枚の小さな汚れた紙片。それを基に生まれた『夜と霧』は、強制収容所に関する記録を通して、過酷な現実をどうやって生きのびるかを語ったサバイバルの書なのである。 (芳地隆之)