株式会社進幸 代表取締役
渡邊典子さん

株式会社進幸(本社:北海道札幌市)は多岐に渡る福祉事業に取り組んでいる会社です。経営者でありながら、大学で学び、地域の活性化にも貢献してこられた渡邊典子さんは、福祉と医療の間にある垣根を超えるべく、医療分野にも進出。さらに、就労継続支援や保育園など、分野横断的な生涯活躍のまちづくりを実践されています。

(わたなべ・のりこ)1951年生まれ。北海道大学法学部法律学科卒。東京農業大学生物産業学研究科産業経営学専攻博士前期課修了。富士メガネ役員秘書、ヤマハ音楽教室講師、学習塾・料理教室主宰などを経て、1997年12月(株)進幸取締役、2004年12月同代表取締役に就任。高齢者介護事業、障害者介護事業・就労支援などに取り組む。2011年8月(株)き・きコーポレーション設立、北海道の素材を生かした菓子製造販売を始める。調理師、精神保健福祉士、介護支援専門員、認定成年後見人の資格をもつ。

——会社の創立は義理のお父様だったそうですね。

 もともとは義父が創立した会社でした。社名は義父の息子と娘の名前を1文字ずつとったもので、しばらく休眠状態でした。それを義父母の介護をきっかけに、介護保険制度が開始された2000年に訪問介護事業に参入し、私が引き継ぎました。

 それまで介護事業はほとんどが社会福祉法人で行われており、国の補助金を受けて運営しているところも少なくありませんでした。私自身は、「国におんぶにだっこで、大規模な補助金を受けて立派なハコモノをつくっても、介護事業として継続できなければ意味がない」と思っており、株式会社として取り組もうと思ったのです。

——いろいろな経験をなさって、現在のお仕事に就かれたとか。

 現在の私があるのは、①育った家庭で伯父伯母の子どもを受け入れていたこと、②就職先である富士メガネで秘書をした役員がナンセン難民賞※を受賞した金井昭雄氏だったこと、③出身地である北海道の外に出て、世の中には優秀な人がたくさんいると感じたこと、④義父と接する時間が増えて、義父の人生、人と成りを理解できたこと、⑤義父が最期まで自宅で過ごしたい、亡くなった後も自宅を活かしてほしいと私に伝えていたこと——それらが原点になっています。

※難民への顕著な功績をした個人ないし団体に対して、国際連合難民高等弁務官事務所が毎年授与する賞。

——会社を継承されてからは、どのように事業を展開していったのですか。

 2003年、認知症の方のグループホームを開設するにあたり、グループホームの入居者と地域の人々、障害のある人々が自然と関われるようなオープンな施設づくりを考えました。しかしながら、当時は制度上、高齢者は高齢者、障害者は障害者と分けるよう求められ、計画も手直しせざるをえませんでした。当時は地域共生社会といった発想がなかったからですが、2004年には認知症グループホームで障害者をスタッフとして雇用しました。

 2005年には障害者の就労支援として農業を開始。2007年に「東京農大オホーツクキャンパスでの地域創成塾が開設」という新聞記事がふと目に留まり、農林水産畜産業を通した地域活性化について広く学ぼうと、2010〜2011年と同キャンパスのある網走市に通い、2011年に、北海道産の野菜を活かした菓子の製造・販売を行うための別会社を設立しました。

 新会社は2015年に京極町(札幌市の南西に位置する)より、同町と民間企業が開発を手がけた菓子の商品化の依頼を受け、京極町産のじゃがいもを使用した3種類の試作製造を開始。材料の変更、味、賞味期限等の改良を約1年間かけて行い、商品化にいたったのですが、新商品を開発しながらも、「京極町のためになっているのか」「町おこしとは名ばかりではないか」「豊かな自然資源に誰も着目していないのではないか」といった疑問を抱きました。

 そこで2016年に地方創生、地域活性化を理論的に学ぼうと社会人入学した東京農業大学において、 “農山村における地域資源を基盤とした地域活性化の持続可能性に関する調査研究”をテーマに研究し、基本理念やグランドデザインが肝要であることを学びました。同年10月からは上士幌町(かみしほろちょう)コンシェルジュと協同で同町のお菓子の新商品に取り組んでいます。コロナ禍で足踏み状態でしたが、7月には方針が決まり、プロジェクトは前進する見込みです。

——多岐にわたって活動されていますが、御社の主な業務を教えてください。

 ①高齢者の介護、②障害者の介護、③障害者の就労支援、④児童の生活支援、⑤事業所内保育所、⑥北海道産原料の菓子製造・販売です。

 高齢者の介護は、居宅介護(ケアプラン作成)、訪問介護、認知症グループホームの運営です。

 障害者の介護は、相談支援、居宅介護(身体介護、家事援助)、視覚障害者の同行援護、生活介護(常に介護が必要な方を対象とした日中のサービス)、グループホームの運営です。

 障害者の就労支援としては、農場でのトマト栽培や菓子製造を行っています。地域住民とふれあいながら農作業に従事し、農薬を使わない野菜の生産・販売・加工や飲食部門での調理・接客を通して地域社会にとけ込みながら、自立した生活を実現できるような支援です。

 児童の生活支援としては放課後等デイサービスの運営。事業所内保育所は弊社で勤務している職員のお子様、一般のお子様をお預かりしています。

 北海道産原料の菓子製造・販売は、原料を北海道産にこだわり、一つひとつ丁寧に手づくりした製品を弊社の店舗で販売したり、イベント出店で販売したりしています。これは前述の障害者の就労支援も兼ねており、利用者さんがパンやクッキーなどの製造、店舗や出張での販売、店舗清掃、厨房清掃、接客などを行っています。

——コロナ禍による事業への影響はありましたか?

 一部通所サービスで利用者さんの外出自粛による減少がみられ、前年比20〜30%減の事業所もありますが、サービスは変わりなく提供しています。一時、マスクや手指消毒剤が手に入りにくいことがありましたが、現在は手洗い、マスク着用、消毒の徹底はもちろんのこと、一人ひとりが常に意識して動くことが重要だと考えています。

 コロナ禍を契機に、ある程度の規模がなければ、事業そのものの継続が難しくなる傾向が強まっています。中小規模の会社が大企業に吸収されていくのではないでしょうか。大手では、持ち運びに便利なタブレット端末を使って、現場で画面にタッチしながら、看護介護記録やサービス内容を確認するのが当たり前ですが、中小企業ではIT化が進んでおらず、いまも手作業に頼っているのが現状です。大手との格差はますます大きくなっています。高齢者の介護事業分野では、M&Aは普通に語られるテーマになっています。

 障害者の事業分野は、ここ数年、異業種からの参入が多く、乱立気味なので、これから数年のうちに事業所が淘汰され、減少に転じるのでないかと思います。コロナ禍で拍車がかかりそうです。

——今後、御社が目指していることは何ですか。

 生涯活躍のまちとは、「いろいろな人がいて当たり前の社会」「一歩引いて優しさをもって接することで、互いに認め合っていける社会」と理解しており、そのようなコミュニティづくりに取り組んでいきたいと思っています。障害者同士でも自然に上下関係ができて、いじめも生じます。痛みや弱さを経験してきていても、それが活かされないことがある。それは当人が成長過程で社会をどのように捉え、どのような経験をしてきたかが影響しているのかもしれません。

 2020年4月、弊社は従来の「福祉分野」から、訪問看護という「医療分野」へと事業範囲を拡大しました。地域で暮らす人を支援する「福祉」の側に立って「医療」をみることで、医療と福祉の垣根をなくし、医療機関も巻き込んだ「一人ひとりを見つめた地域でのケア」を浸透させていくことを目指します。そのためには、日々地域で暮らす人々の意識を啓発し、目指すところを明確に示し、少しずつ輪を広げていくことが重要と考えています。

 将来的には、自然環境のなかで育まれる力を重視した幼少期の子どもの教育を含め、地域資源のもつ多様性を基盤として、成長とともに応用力と実践していく力を幅広く身につけていける人材の育成を行っていきたい。そのためにも京極町や上士幌町といった自治体とのつながりを活かしていきたいと思っています。

(聞き手 芳地 隆之)

地域の方も参加していただいた夏祭り。コロナ禍で大幅に規模・内容縮小でしたが、プロの三味線演奏や風船バレーを楽しみました