「ぼくはこれまで仏教のことはあえて話さなかった。地域の人々の居場所、コミュニティづくりと宗教の話を合わせてすると誤解を招くと思っていたから」

 昨日、NHK ETVのシリーズ「こころの時代」で放映された『“ごちゃまぜ”で生きていく』は、社会福祉法人佛子園理事長である雄谷良成(公益社団法人青年海外協力協会会長、当協議会会長)の半生を振り返りながら、どうして、あるいは、どうやって、「子どもも若者も高齢者も、障害のある人もない人も、認知症の人もそうでない人も、日本人も外国人も一緒になって暮らす」ごちゃまぜのまちづくりに取り組んできたかを紹介する作品でした。

冒頭の雄谷の言葉にある通り、これまでごちゃまぜの核となる思想や哲学の部分に踏み込んだ言説を私たちはあまり聞くことがありませんでした。今回、雄谷を取材するに当たり、NHKの中島彩ディレクターは法華経ならびに関連の本を何冊も読み、対話も重ねていったそうです。それがあってこそ引き出せた、作品の随所に語られる言葉の数々。そこで放映日にNHK金沢放送局に勤務されている中島さんをお招きして行われた番組のアフタートークについて報告します。

番組の中盤、雄谷が得度して日蓮宗の僧侶になった際、「自分はお経を唱えることができる、内容も理解できる。では、障害があり、言葉をもたない人はどうなるのか。仏教のいう『人は皆平等で隔たりなく成仏できる』がかなわないのか」と問うシーンがあります。それに対するひとつの考えとして示されたのが法華経の第5章「薬草喩品」でした。同章では、世の中には大木もあれば、小さな草木もある。太陽の光と雨はすべて平等に降り注ぎ、各々はその性質に応じて、花を咲かせて実を結ぶと説かれ、それが佛子園の施設のひとつ「三草二木西圓寺」の名称に使われます。番組では西圓寺の重度心身障害者の青年と認知症のおばあさんとの交流(おばあさんが青年に自分のゼリーやプリンをあげようとすることで、青年の首の可動域が広がり、おばあさんが深夜に外へ出かける回数も減った)を紹介し、さらにはB’s行善寺の「ゴッチャ!ウェルネス」で知的障害のあるインストラクターの山本千咲さんが、自分の思いを言葉にするのが苦手で大きな声を出す村井洋一さんに文字盤を使ってコミュニケーションをとるシーン(大声が苦手な山本さんですが、なぜか村井さんには大丈夫なのです。彼女が彼に文字盤を使って対話することがいかにすごいかは、映画『僕が跳びはねる理由』をご覧ください)につながっていきます。

こうしたことが起こるのはなぜか。ヒントは宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」にありました。

東に病気の子供あれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い

雄谷が中島さんに「賢治の手帳」(宮沢賢治「雨ニモマケズ手帳」復刻版)を見せる場面。当初は撮影前のやりとりだったのですが、カメラマンはその場で咄嗟に撮影を開始したそうです。雄谷は手帳に記されている「雨ニモ負ケズ」の草稿の一節を読み、そのなかの「行って」に注目し、手帳には赤字で書かれているこの言葉から「そこへ出かけて行動を起こすこと」に共感するといいます(雄谷は「ソショウ」の「ソ」が「い」に見えて「イサカイ」と読みましたが、不思議と不自然さを感じませんでした)。「雨ニモマケズ」はこう続いて終わります。

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

誉められもせず苦にもされず

そういう者に 私はなりたい

このデクノボーを法華経では「常不軽菩薩」というのだそうです。常不軽菩薩は人をみると「私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」と言い、人々にはずかしめられ、打たれても、同じ言葉を繰返したといわれています。「菩薩」と聞くと、弥勒菩薩や観音菩薩など、仏像を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、「菩薩」とは人を慈しみ、敬う心をもった生き方を意味し、お経が読めなくても、その意味を理解しなくても、そこへ行って「自分の幸せと他者の幸せを重ねて行動できる」人のことを指す。とすれば、上述の認知症のおばあさんも、インストラクターの山本さんも、常不軽菩薩になれるということではないでしょうか。

ここで僧侶になった雄谷がかつて自分に投げかけた問いと、ごちゃまぜの施設のなかで目指していることが重なります。

雄谷はアフタートークで常不軽菩薩について「人は生まれによって差別されてはならない。人は行いによって成仏できる。それは原始仏教の考え方に通じる」と語っていました。「“ごちゃまぜ”で生きていく」がここまでのメッセージを伝えることができたのは、中島ディレクター、そして「こころの時代」の制作チームの物事の核心を掘り下げる姿勢ゆえだとあらためて思いました。番組で数珠のイメージとして使われた珠は、大小色とりどりにビー玉を買ってきて、電動ターンテーブルの上に並べて撮影したそうです。シャボン玉は行善寺の庭で膨らませたとのこと。すべて手作業。タイトルの「ごちゃまぜ」のロゴもひとつずつ違うものをつくったといいます。

アフタートークでは制作の苦労もいろいろお聞きし、中島さんの粘り強い取材ぶりに感銘を受けました。雄谷いわく、「この一年半、中島さんは自分のオフタイムでも、いつの間にか高齢者デイの人とご飯したり、お風呂に入ったりしていた」。そこにいる方々との信頼関係もつくっていかれたのでしょう。どうして中島さんはそこまでできたんだろう? 逆にこちらの関心も高まります。作り手の側の視点について、どこかでお聞きしたいと思っています。

なお、『こころの時代~宗教・人生~”ごちゃまぜ”で生きていく』は11月12日NHK Eテレ 1 13:00~14:00に再放送の予定です(見逃し配信 NHKプラスは11月13日 6:00まで)。ご覧になっておられない方、お見逃しなく。