上映後の対談(左:雄谷良成・佛子園理事長 右:伊勢真一監督)

(写真提供:佛子園クリエイティブデザイン室長・武生智さん)

7月19日(日)、社会福祉法人佛子園で、伊勢真一監督のドキュメンタリー映画『大好き~奈緒ちゃんとお母さんの50年~』の上映会が開催されました。

重いてんかんと知的障がいのある姪・奈緒ちゃんと、その家族に寄り添って撮り続けた作品です。『奈緒ちゃん』(1995年)、『奈緒ちゃん-自立への25年』(2006年)、『やさしくなあに~奈緒ちゃんと家族の35年~』(2017年)に続く「奈緒ちゃんシリーズ」の4作目となります。

上映後の対談で、佛子園の雄谷良成理事長は、伊勢監督、ご自身、奈緒ちゃんは一回りずつ違う。みんな丑年だということを話した後、伊勢監督にこう切り出しました。

「伊勢さんが奈緒ちゃんを撮り続けてきて50年。もうこれ、ギネス記録ですよ」

奈緒ちゃんは生まれた当時、医師から「長くは生きられない」と告げられていました。生きている間の記録を残そうとフィルムを回したことが長尺の映画づくりの始まりでした。

「いま、あの家族のなかで奈緒ちゃんが一番元気なんですよ。お父さんとお母さんも、いつも仲良く暮らしているわけではないし、弟の記一(のりかず)も鬱になるなど大変な時期がありました。そんな家族に奈緒ちゃんがかける言葉は「人生まだまだ」(笑)。この映画を見た人が、自分の家族のことを考えてくれる。つまり、他人事ではなく自分事として受け止めてくれたらうれしいですね」

映画には、お母さんの信子さんが息子・記一さんに遺言を託す場面があります。奈緒ちゃんにも「もしお母さんが死んだら」という話をしていました。自分が亡くなった後への思いを、息子に伝えたかったのでしょう。

「伊勢さん、それを声に出して読みますよね。『読まないで』って言われているのに。あれ、監督を超えてますよ。出演者の側に行ってる(笑)」

雄谷理事長にそうツッコまれると、伊勢監督は笑いながら答えました。

「でも、読みたいじゃないですか。みんなも聞きたいだろうなと思って。遺言を読まれるのは嫌なのかもしれないけれど、みんな撮られるのが好きなんですよ。お父さんのゴルフスイングの練習もそう。ぼくが撮影に来ると始めるんです(笑)。だからぼくは、『撮ってほしい』という思いに従ってカメラを回しているだけなんです」

この作品には、奈緒ちゃんが発作を起こす場面も収められています。

「撮影を始めて35年目ぐらいですね。それまで撮影中に一度も発作はありませんでした。お母さんからも『奈緒は撮影されている時は気分がいいし、撮影のおじさんたちも好きだから発作は起こさない』と言われていたんです。だからぼくらは本当に慌てました。撮影をやめることも考えましたが、まずは記録しようと。使うかどうかは後でゆっくり考えればいいと編集作業に入った時、奈緒ちゃんが撮らせてくれたのではないかと思ったんです。『私はてんかんという病気があって発作を起こす。そのこともちゃんと記録しておいて。そこから目を逸らさないでほしい』と言われているような気がしました」

以前、雄谷理事長は伊勢監督に、「伊勢さんは記録を撮っているのですか、それとも記憶を撮っているのですか」と問いかけたことがあります。それに対して伊勢監督は、

「ドキュメンタリーの映像は『記録』です。しかし、人は昨日のことと同時に、何年も前のことを思い出す。時系列は関係なく、ときには脚色されることもあります。ぼくは記録をしながら、『記憶』を撮っているのかもしれません」

見る側である雄谷理事長との対話によって、撮る側の伊勢監督にも新たな気づきが生まれていく。雄谷理事長は、奈緒ちゃんの家の近くにある公園の桜にも注目しました。

「ソメイヨシノは半世紀ぐらい経つと老木になります。奈緒ちゃんが子どもの頃と比べると、かなり弱ってきているから花びらがさっと散る。そこに伊勢さんは波の音を入れたじゃないですか。あれはどういう意味を込めたのですか」

それに対し、伊勢監督は「どう思います?」と質問に質問で返して、

「作り手が『こうなんですよ』と答えを示すのではなく、一人ひとりがイメージを抱く。それが映画の秘密だと思うんです。人には意識と無意識、そして潜在意識があります。意識は作り手も受け手も理解しているもの。無意識は、とくに理由もなくカットを撮ったり編集したりすること。そして潜在意識は、自分でも何なのかわからないけれど、何かを語ろうとしているものです。無意識や潜在意識として放たれたものを、見る側がどう読み解くのか。そこに面白さがあると思います」

互いの言葉が新たな言葉を引き出し、さらに思考を深めていく。そんな対話でした。

後半には、伊勢監督が3年前にがんの手術で全身麻酔を受けたことをきっかけに、持病だったメニエール病(めまい、難聴、耳鳴りなどの症状を発する)が再発した経験についても語りました。

「昨年の暮れくらいから耳の調子が悪くなったのですが、その間も最新作で友達のミュージシャン・友部正人の映画『遠来~トモベのコトバ~』を撮っていました。音楽がテーマだから耳が聞こえづらいのはしんどい。したがって耳を澄まさなければなりません。すると音に対して以前より敏感になりました。この映像の音はもう少し違う方がいいな、とこれまでより気になるようになったんです。たぶん視力が落ちた人が『目を凝らす』ことも同じなんでしょうね。それまで耳が聞こえづらいことを自分の弱点だと思っていました。でも、それは力にもなるということに気づきました。ぼくは障害のあることを弱さと受け止めていましたが、むしろ逆なんだと。自分の身体全体で補おうとする強さのようなものが育っているようでした」

対談後には、会場から「自分は弟の記一さんに感情移入した」という感想や、映画のなかでも取り上げられた10年前の相模原障害者施設「津久井やまゆり園」事件に対する信子さんの受け止め方についての質問などが寄せられました。

作品を見て終わるのではなく、それぞれが自分自身の経験や家族と重ね合わせながら語り合う。伊勢監督の「映画は作り手と受け手の共同作業で完成する」という言葉を、あらためて実感させられる上映会でした。