(上記写真)建設中のJOCA南部障害者グループホームの前で。左から、JOCA南部代表の亀山明生さん、設計を担う(株)kymaの山本純平さん、JOCAの雄谷会長、JOCA常務理事の北野一人さん。

「借景」という言葉があります。遠くの山など外の景観を取り込んで、庭の一部であるかのように見せる造園法のことです。その手法はコミュニティづくりにも活きるのではないか――(公社)青年海外協力協会鳥取県南部町支部(JOCA南部)の拠点となる法勝寺高校跡地で建設中の障害者のグループホームの現状を確認するため、JOCAの雄谷良成会長(社会福祉法人佛子園理事長、当協議会会長)が訪れた際に見えてきたものがありました。

きっかけは法勝寺高校跡地であることを示す記念碑を建てる位置でした。拠点予定地の南西には桜並木の続く土手を挟んで法勝寺川が流れ、南東には大きなしだれ桜のある本紹寺、東には旧街道が通っており、記念碑は拠点予定地の入り口から続く道の横、土手を背にした所が想定されていました。中に入ると右手にさりげなく記念碑が見えてきて、そこでかつての歴史を知ってもらう。雄谷会長はその狙いに理解を示しつつも、その向きを少し外側の道路に向けてみてはどうかと提案しました。

                 法勝寺高校記念碑の位置を検討

「そうすると後ろの二本の木の間から川の向こうの城山跡が見えるようになるでしょ」。同会長が指した先には法勝寺城跡の小さな山に木々が繁っています。

「町内には法勝寺高校の卒業生の方がいまもおられるだろうから、外の通りからもよく見える方がいい。記念碑はスタッフや(就労継続支援の)利用者が日々きれいにしておくようにしよう。そうすることで住民の皆さんは、ぼくらがこの地域の歴史も大事にしていることを理解してくれると思う」

             法勝寺川。後方の緑濃い木々が繁る場所が城山跡。

法勝寺高等学校が法勝寺高等小学校として設立されたのは1900(明治33)年です。戦後は鳥取県立法勝寺実業高等学校として発足し、それから法勝寺農業高校、法勝寺高校を経て、1973(昭和48)年に米子市立米子高校と統合、鳥取県立米子高校となりました。翌年に法勝寺校舎は廃校となったので、最後の卒業生は2021(令和3)年に65歳になります。

拠点予定地ではすでに温泉の掘削も済んでおり、今年7月にオープンする障害者のグループホームに続き、温泉や食事処、そしてウェルネスも開設される予定です(これらの施設では障害者の就労継続支援が行われます)。かつての城下町、そして明治以来、学校のあった由緒のある場所が新しいコミュニティとして生まれ変わります。

                   法勝寺川に架かる城山橋

「旧街道からここに来る人の視点から考えると、あそこ(土手との間の斜面 )には子どもたちのための大きな遊具があるといいな」と雄谷会長。そこから桜並木に上がれるようなクライミングネットロープや、上から下りていくローラー滑り台などが設置されていれば、それを見た子どもたちの目の色は変わり、一目散に駆け出していくだろう。しかも土手に上がれば、その向こうにある川が目に飛び込んでくる――同会長の頭の中にはまだ見ぬ施設とそこに集まる人たちの映像が浮かんでいるようでした。

               桜並木の土手の上から見た法勝寺高校跡地

さらに想像は広がります。土手の向こうの川沿いには平地があるので、そこでピクニックやバーベキュー、川遊びもできる。そして少し北に歩けば、グランドゴルフ場もある。子どもから高齢者まで、障害や疾病のある人ない人、みんなが集まれる場が施設とつながっていくのです。

「川沿いの草もみんなで刈っていこう」。スタッフの皆さんもそんな話で盛り上がっていきました。

     川沿いでのイベントのアイデアを練る。(左から)JOCA南部代表の亀山さん、
     同マネージャーの鈴木亜依子さん、JOCA本部マネージャーの込谷晃さん

雄谷会長によれば、南部町で施設の候補地を探す際、この地に足を踏み入れたときに「即決した」とのこと。

人だけでなく、景色も取り込んでいく。そこに常に川のせせらぎも聞こえてくる。

「ごちゃまぜ」の新たな進化系が生まれそうです。

             グループホームの横に立つ2本のポプラの木。
         両方にハンモックをかけて人がくつろいでいる姿を想像してみる。