佛子園の食事処でほほ笑む西川さん(佛子園創立60周年を記念して製作された映像作品『GOTCHAMAZE SHIFT』より)。

さる4月4日、金沢市東山にある日蓮宗普香山蓮昌寺本堂にて釈尊ご降誕会・花まつり・桜下の宴が行われました。釈尊ご降誕会とはお釈迦さまの御誕生を祝う法要で、蓮昌寺の35世の住職でもある当協議会の雄谷良成会長(社会福祉法人佛子園理事長、公益社団法人青年海外協力協会会長)による読経の後、集まった人々はお釈迦さまの姿を現したお像(誕生仏)に甘茶をそそぐ灌仏を行い、甘茶とふるまい団子をいただきました。

それから場所を境内に移し、芸妓衆による「桜下の宴」へ。桃太郎さん、うた子さん、千寿さんの踊りとかず弥さんの唄、きみ代さんの三味線に見惚れ、聞惚れて、お開きとなりました。

その日の午後は場所を代えて、2月27日に亡くなられた五井建築研究所の会長、西川英治さんを偲ぶ会を。

本ブログ「きみはこの建築でこのまちをどうしたいと思っているのか ~追悼 西川英治・五井建築研究所代表取締役会長~」( https://is.gd/qtzqjv)で紹介したとおり、西川さんは約10年前に雄谷会長と出会ってから、これまでの、いわゆる作家性が前面に出る建築からそこに住む人がその場でどのように感じるかを重視するそれへと方向性を変えていきました。それをご本人は晩年、「人間に対する深い洞察力が現れた建築」と称していたそうです。

西川さんが手がけた佛子園の施設のひとつ、B’s行善寺では窓際に腰かける人の目線とその外側を歩く人のそれが自然と合うように設計されています。また、入り口から子どもたちが遊ぶ中庭に行くにはいったん靴を脱いで、それを手に建物のなかを通り抜けなければなりません。なかの廊下の幅は十分とってはいるものの、お互いがすれ違うときには「ちょっとごめんなさい」と声をかけるくらいの間合いにしています。

こうしたつくりが人と人との交流を生むのです。

西川さんは建物が完成すると、かつてはそれを「作品」としてカメラに収めていました。作品には人間は映りません。ところが、雄谷会長のいう「ごちゃまぜ」の建築に携わるようになってからは、建物を収めた写真を見て「人が写っていないじゃないか」とダメ出しするようになったそうです。

西川さんの影響は佛子園のスタッフの皆さんにも影響を与えているようで、ある建物に入ると、「あそこにある厨房への入り口の位置がいいねえ」なんて話をしています。建築家が福祉に目を向けたように、福祉に携わる人が建築に関心をもつ。これも「ごちゃまぜ」思考のひとつでしょう。

当日、蓮昌寺でいただいた「日蓮宗教箋」という冊子の最後のページに「ちょっと一服」という欄がありました。タイトルは「話すとは放す」。それによると、「話す」の語源は古くは「雑談」をさした言葉だそうですが、「放す」という説もあるとのこと。たとえば、心から悲しみを放す、苦しみを放す。思いや心を解き放つ、つまり人は人に話すことで癒されるという意味も込めているという「話」でした。

この日は西川さんのことを話す=悲しみを放す会になったのかもしれません。

今年は例年になく桜の開花が早く、金沢では雨の中、花びらが散り始めていました。それを見て雄谷会長がつぶやいたのは、

散る桜 残る桜も 散る桜

良寛和尚の句です。

今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る--限られたいのちをうたった句は、西川さんとの距離を近くしてくれるような響きがしました。