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輪島市にコミセン町野BASEがオープン~燈火がまちの未来を照らす~
(上記写真)オープニングセレモニーでは書道家・阿部豊寿先生による揮毫パフォーマンスで「燈」の文字を書いていただきました。
まちのヒストリー
10月17日(土)、輪島市町野町の仮設住宅内にコミセン町野BASEが開所されました。
2024年1月の発災直後、町野地区は土砂崩れなどによって「陸の孤島」になっていました。社会福祉法人佛子園が運営する輪島KABULETは同地区への配食サービスを行っていたことから、「道なき道」を通って支援物資を運び、DMAT(災害派遣医療チーム)などの災害救援医療チームの道案内役も担っていました。
「できてよかった」と感慨深げなのは、前自治会長の時田さんです。町野のコミセンではどんなことをしたいか――仮設住宅240世帯を20世帯ずつのグループに分け、それぞれから意見を吸い上げて、自治会メンバーと一緒にすでに開所しているコミセン(マリンタウン、門前、鳳至)を何度も視察したそうです。「他のコミセンより開所が遅くなった分、よりよいコミセンになってほしかったから」と時田さん。

コミセン町野BASEには、従来のコミセンにはなかったウェルネス施設「ゴッチャ!ウェルネス」があります。住民へのアンケートで「いま一番関心のあることは?」と尋ねたところ、最も多かったのが「健康」でした。
「仮設住宅の住民の80%以上が高齢者。転んで骨折でもしたら寝たきりになってしまう。そうならないよう、普段から運動できるところがあるのはありがたい」
この地区にはかつて野球場やテニスコート、プールがあり、住民がスポーツを楽しむ場でした。ゴッチャ!ウェルネスは、身体を動かす場がなくなって残念という住民の思いにも応えるものです。
「町野には発災以降、飲食する場所がなくなってしまった。食事もお酒も楽しめるお店がほしかった」という時田さん。コミセン内の食事処「やぶ町」のメニューにはお寿司もあります。このまちには「福寿し」というお店があったのですが、約50年前に閉店。それ以来、町野でお寿司を食べる機会はありませんでした。そこで「コミセンをつくるのであれば、お寿司も食べられるようにしよう」と金・土・日の特別メニューに加えられたのです。名前も「福寿し」として、絶品の海の幸のにぎりを提供します。これも単なる復旧ではない「創造的復興」のひとつといえるでしょう。

NOTO, NOT ALONEから始まり、ARIGATO NOTOを経て、HANASAKA NOTOへ
オープニングセレモニーで、コミセンを運営する社会福祉法人佛子園の雄谷良成理事長はこう語りました。
「仮設住宅の皆さんが交流できる場所としてのコミセンの意義を理解し、仮設住宅の敷地のなかにコミセン用のスペースを確保してくださったのが(輪島市の)坂口市長です。『空きスペースを設けずに仮設住宅をつくる』ようプレッシャーもあったと思いますが、最後まで貫き通した。その結果、こんな素敵な皆さんの居場所ができました」

能登半島地震における佛子園ならびに同法人と連携して支援に取り組んできた公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)の活動は、災害時における福祉支援の重要性を示すものでもありました。災害救助法や社会福祉法の改正によって、災害時における福祉の支援を支える制度の整備も進められています。
「能登半島の皆さんの苦労が、このような法制化を可能にしました。いま私たちは(令和8年)熊本の災害支援にも入っていますが、現地では能登の方々へのお礼を伝えてほしい」とのメッセージも雄谷理事長は託されました。
続いて登壇した坂口茂市長は、
「コミセン町野BASEには(これまでのコミセンにはなかった)コインランドリーがあります。お風呂は炭酸泉と光明石を使った人工温泉です。住民の方々の見守りや福祉の機能をもつここは、夜になると町に燈火をともし、国道から2階の灯りが見えるようにつくられています。どうか皆さん、このコミセンを大切に育ててください」

コミセンの福祉機能には障害福祉サービスや介護予防や元気デイなどのサービスのほか、対面(ならびにオンライン)診療や郵便サービスも加わります。
これまでのコミセンは、内閣府や厚生労働省の助成を受けて建てられました。町野BASEは、日本財団の「みんなの憩いの場プロジェクト」のひとつとして採択されました。日本財団公益事業部の佐藤英夫常務理事は、
「被災地においてここまで来るには、雄谷理事長、坂口市長をはじめ関係者の皆さんの多大な努力とご苦労があったことと思います。ウェルネスには東京のフィットネスジムでも見られないようなマシンもあり、おいしい食事と温かい温泉も楽しめる。当財団による能登半島でのプロジェクトは、輪島市、珠洲市、能登町における8カ所を対象としており、ここは4番目になります。私どもの活動は国民の皆さんからの寄付金で成り立っています。コミセン町野BASEは国民のエールと受け取っていただければ幸いです」

佛子園とJOCAがキャッチコピーとして使ってきたNOTO, NOT ALONE(日本財団を通した国民の能登へのエール)、ARIGATO, NOTO(雄谷理事長が受け止めた熊本の方々の能登への感謝)が言葉を代えて伝えられたようでした。ちなみにこの日は今年の「HANASAKA, NOTO」をイメージさせる言葉も住民の皆さんから聞かれました。
人が集う光景を見るということ
「集会所もとても大事なのだけれども、決まった時間しか使えんでしょう。その点、ここはいつでも使えるのがいいね」
そう話す2人の男性は、すでにゴッチャ!ウェルネスの会員になっているそうです。「どれだけ続くかな」と言いつつ、とてもうれしそうでした。
会場には、すでにゴッチャ!ウェルネスの会員になったという方とともに、輪島市街地の仮設住宅にお住まいの方も多くいらっしゃっていました。
「目の保養になる」
そう話してくれたのは河井町の仮設住宅にお住まいのご夫婦です。普段はコミセンマリンタウンBASEを利用されているそうで、スタッフから「町野のコミセン、見てみませんか」と誘われて来られたそうです。「目の保養になる」ってどういうことですか?
「私たちは一部屋に2人で住んでいます。一緒なのはいいのですが、いつも2人きりで狭いところにいる、今日のように広々としたところでたくさんの人が集まっている光景を見ると気持ちがよくなるんです」
お2人はコミセンをどのように使っているのですか? とお聞きしたところ、奥様から「編み物教室」との返事。「お友だちができるのもうれしい」と。雄谷理事長は当日のメディアの取材に対して、

「人と人とのつながりが重要です。孤立は災害関連死につながります。私たちは仮設住宅の見守り支援を続けていますが、私たちが訪問するだけでは不十分。住民の皆さんが出かけていける場所があり、そこに人が集まれば、『〇〇さんは最近見ないけど、どうしたんだろう、行ってみようか』という話にもなり、住民同士の見守り活動も自然と生まれる。それに私たちは助けられました」

コミセンマリンタウンBASE(2025年4月開所)、コミセン門前BASE(同年5月開所)、コミセン鳳至BASE(同年6月開所)の来訪者数は、2026年3月までで延べ12万人に上ります。仮設住宅ができた2024年2月16日から2026年3月31日までの見守り支援は、訪問73,800件、面会32,100件。こうした数字からも、訪問による見守りに加え、住民が自ら出かけ、人と出会えるコミセンの存在の大きさがうかがえます。

ふるさとにもどる、ふるさとをつなぐ
スタッフに目を向けると、ゴッチャ!ウェルネスのインストラクター、和田さんは町野出身です。
「発災後は町野を離れて、金沢市や野々市市のスポーツジムで勤めていましたが、町野のコミセンに『ゴッチャ!ウェルネス』ができると聞いて、ふるさとに戻ろうと思いました」
一般のスポーツジムでは本格的な筋トレを行う人が多いけれども、ゴッチャには、背筋を伸ばしたい、立ったり座ったりする動作を楽にしたいという人に、即効性のある「鍛錬」のマシンも入っています。「利用する人が何を求めているのか。それを理解してアドバイスするという点では、一般のスポーツジムと違いはないかもしれませんが、より丁寧にコミュニケーションをとることを心がけたい」と和田さん。
「何よりふるさとの人のために働けるのがうれしいです」とも。

もうひとり、発災後に町野に戻ってきたという、南志見地区にある東陽中学校の教員の方とお会いました。
「能登半島地震が発生したとき、自宅は全壊。ぼくは大学4年生で当時を経験していません。いま思えば、配属先としてふるさとの町野を希望したのはそのせいかもしれません」。赴任当初は、学校が山梨県に移転した日本航空高校の学生寮に入ったそうです。
「ぼくのようなケースは少なく、多くは自宅が壊れて住めなくなった自治体の職員の方々でした」
先生はその後、母親と叔父とともに仮設住宅に入居し、現在もその暮らしを続けています。こうして話している間も、ステージでYOSAKOIを披露してくれた女子生徒たちがひっきりなしに駆け寄ってきます。「生徒に愛されていますね」と言うと、
「(東陽中学校に)赴任した当時、故郷を離れる生徒も多かったので、みんな落ち込んでいるだろうなと思ったのですが、意外と元気でした。現実を受け入れた上で明るく前向きに。強いですよね」
これからの暮らしでしていきたいことは何ですか、と聞くと、「個人的に、ですか、教育に関して、ですか」と問われました。「両方を」とお願いすると、「まずは個人的なことから」と、次のように話してくれました。
「地域の方々とのつながりを大事にしたい。ぼくは仮設暮らしが必ずしも悪くはないと思っているんです。以前はお互いの家が離れていて、顔を合わせる機会のなかった人とも、この仮設住宅のエリアであれば気軽に声をかけ合える。発災前よりも関係性がよくなればいいなと思います」
そして「教育に関して」は、
「生徒たちに、自分で考えて動ける人になってもらうことです。災害はいつどこで起こるかわかりません。自宅、学校、あるいは他の土地で、知り合いのいないところで遭遇するかもしれない。そういうときに自分で判断できるように。それは自ら勉強する姿勢にもつながります。そして将来、地域のために何かをしたいと思ってくれたらうれしいです」
とはいえ、住まいやしごとの面で難しい現状もあります。先生はこんな期待を寄せていました。
「これから仮設住宅が統合・集約されていく過程で、せっかく慣れ親しんだコミュニティがなくなってしまう。あるいは進学や就職でふるさとを離れなければならなくなる。そういうときにコミセンがむかしの仲間や新しい友だちと出会える場所になればいいですね」
先生の思いは、コミセン町野BASEを住民の皆さん育ててほしいという坂口市長の言葉と重なりました。そして雄谷理事長がメディアの取材で語っていた「仮設住宅が統合・集約されていくなかで、自宅再建がままならない人が、仮設住宅での近所付き合いがなくなっていく状態は危ない。復興はこれからです。長期戦になります」とも呼応していました。

