東西ドイツ統一後の東ベルリンの風景。統一前には東ドイツ政府庁舎として使用されていた建物は解体され、かつての国民車トラバントは打ち捨てられました。

自由な往来の代償

「芳地さん、ベルリンの壁の崩壊前後に現地にいたなら、『心の壁』って何かわかるよね」

当協議会の雄谷良成会長(社会福祉法人佛子園理事長、公益社団法人青年海外協力協会会長)からこんな言葉を投げかけられました。

私は1988年秋から1992年秋までの4年間、旧東ドイツに留学していました。ベルリンの壁が崩壊したのは同国に入ってから1年後の1989年11月9日の夜のことです。

その間、東ドイツでは各地で民主化を求めるデモが起こっていました。物言うことのなかった多くの市民が、ソ連のゴルバチョフによるペレストロイカの推進に勇気づけられ、声を上げるようになったのです。私も気持ちが高揚していました。従来の硬直した社会主義体制が変わる、市民が自分たちで国を変えていこうとしている--それは西ドイツとの新しい関係を築いていくことでもあり、対立から協調へ、東ドイツの国内外で新しいものが生まれることへの期待が膨らんでいました。

だから、あの日の夜、唐突に東西ベルリンの国境が開放されたことには、喜びよりも戸惑いを覚えました。これから自分たちの国を立て直そうという市民の機運が一気にしぼんでしまうのではないか。現実は予想以上に早く、西側の豊かな消費生活を目の当たりにした東ドイツの市民は自分たちも西ドイツ市民と同じような暮らしを求め、世論は東ドイツの民主化からドイツの統一の実現へと大きく傾いていきました。そして翌年7月には東ドイツマルク(マルク)が廃止され、西ドイツマルク(ドイツマルク)が導入。10月3日には両国が統一されます。

政治的には同じ国民になったものの、経済体制の統合は、旧東ドイツの国営企業の解体や買収によって生じる失業者の増大など、東西に大きな格差を生みました。旧東ドイツ市民にとっては「同じ国民なのに自分たちの生活は統一前より苦しくなった」、旧西ドイツ市民にとっては「自分たちは旧東ドイツの再建のために増税などの負担を強いられている」。双方が自由に往来できることの代償として、いわゆる「心の壁」ができてしまったのです。

内面の間仕切りをなくそう

雄谷会長がなぜそのことを話題にしたのか。ドイツの歴史を語るためではありません。ベルリンの壁をまちづくりの担い手にとっての縦割りの弊害に例えたのです。それも「壁」自体のことではなく、壁を前にした人間のメンタリティについて。

私たちが提唱する「ごちゃまぜ」のコミュニティはしばしば縦割り行政をぶつかります。ひとつの施設が様々な機能を有する場合、「子育てのエリアと事務所のそれには間仕切りを」や「障害者と高齢者の生活介護は別々のところで」といった行政からの要請が入ります。そうしたとき私たちは、行政は「ごちゃまぜ」の理念と意義を理解しないと嘆きがちですが、雄谷会長はこう問いかけます。

「たとえば保育園と事務所の間に隔てるものがなかったとして、そこで保育士さんと事務職員の間で自然な交流が生まれるだろうか。同じ組織の人間同士で固まってしまわないだろうか」

物理的に往来が自由になっても、「心の壁」が両者を隔てる境界線になってしまうというのです。それを取り払うためには双方が集まって、自分たちがワンチームであることを確認する。それができれば、仮に両者の間にカーテンが引かれたとしても (戦後、冷戦がはじまったとき、英国のチャーチル首相は東西の間に「鉄のカーテン」が引かれているといいましたが) 、それをくぐればいいだけの話で、「コロナウイルスの感染防止のため、風通しをよくする」という理由で開けっ放しにしておくという手もある。そもそも子どもたちは、目の前にカーテンがあれば、その向こうに何があるのかを知りたくなるのが常で、めくって入っていくだろう。彼ら、彼女らにとっては建物全体が自分たちの場所なのだから、と。

知恵を絞る面白さ

雄谷会長が理事長を務める(福)佛子園では、上記のような「障害者と高齢者の生活介護は別々の部屋で」という要請に対して、2つの部屋の間にアコーディオンカーテンを設置して対処しつつ、普段は開放しているそうです。当協議会の副会長である大須賀豊博が理事長を務める(福)愛知たいようの杜の運営するゴジカラ村では、雑木林のなかに幼稚園をつくった際、園庭に滑り台を設置するよう行政から求められました。しかし、園庭は雑木林。それ自体が自由な遊び場であり、滑り台やジャングルジムは似合わない。そこでデパートに行って買ってきた家庭用の滑り台をとりあえず置いたといいます。

これらは知恵を絞った結果です。障害者と高齢者の生活介護に関することでいえば、後に厚生労働省による、高齢者と障害児者が同一の事業所でサービスを受けやすくするために介護保険と障害福祉の両方に新たに共生型サービスを位置づけるという法改正に結びつきました。

「理由のわからない理不尽な命令や要求を受けると人はストレスを感じるが、相手がどのような理由でそうしているのかがわかれば、それはプレッシャーになる。後者はいわば筋トレと同じ。自分に負荷をかけて筋肉を鍛えるように、自分の頭を柔軟にするチャンスなんだよ」(雄谷会長)

こういう発想をもてれば、私たちはいろいろな困難に直面しても、それを面白さに変えていけるのではないでしょうか。

冒頭のベルリンの壁に話を戻すと、もしベルリンの壁を性急に崩すことなく、東西ドイツ国民の双方が「どういう統一の仕方がよいか」を考えていたら、「心の壁」はもっと低いものになっていたのかもしれません。歴史に「IF」は禁物とはいわれますが、そんなことも考えさせられました。

ちなみにこのテーマに関連したものとして、上述の「ゴジカラ村」の歩みについての大須賀理事長の講演、またユニークな高齢者デイサービスを各地で展開している社会福祉法人「夢のみずうみ村」の藤原茂理事の講演の記録は下記からお読みいただけます。

特集:わずらわしい、めんどくさい。

また、共生型サービスについては下記を。

「生涯活躍のまちづくりにおける共生型サービスの生かし方」

ぜひご一読ください。