生まれは東京・渋谷。夏だけでなく冬でもアロハや派手な柄のシャツを着ていて、新聞記者になってからの勤務地は東京やニューヨーク、濃密な人間関係に縛られる田舎暮らしはまっぴら、という著者が、ものを書いて生きていくために農夫として1日1時間働く「朝だけ農夫」計画を実践すべく、2014年から長崎県諫早市の耕作放棄地を借りて米作りを始めた。

 同県は山間地が多く、耕作が放棄された田んぼは棚田がほとんど。高齢になった農家には作業が厳しい。それに猪の被害が追い打ちをかける。放棄された田んぼは湿気が多く水がたまりやすいので、雨が降った後の泥のぬかるみで猪が転げまわり、体に付着したダニを落とすのである。さらに、周囲の田んぼや畑のジャガイモを荒らし、農家はそれに嫌気がさして辞めていく。すると耕作放棄地がさらに広がり、猪は増える。

 その悪循環を少しでも改善したい。なにより都会からふらりとやってきた人間に米づくりを指南してくれた地元の人々に恩返しを、と著者は猟師になる決意をした。

 が、ことはそう簡単ではない。

 まずは免許の取得。第一種狩猟免許と警察の銃の所持許可のため、それぞれ筆記と実技の試験を受けるのだが、後者には精神に異常がないことを医者に証明してもらうこと、そして警察による本人の面接ほか、家族や職場、隣近所などへの聞きこみが加わる。素行調査である。国家が国民に銃の保持を認めるとはそういうことなのだ。

 それらをクリアし、晴れて猟師になったからといって、すぐに山で鉄砲を撃てるわけではない。猟師には自分の猟場があって、それをわざわざ教えてくれるお人よしはまずいない。猟師としての時間の多くはけものの居場所を探すことに費やされる。ようやくその場を見つけたといって、飛び立つ鴨を打ち落とすこと、そして打ち落とした鴨を探すことも至難の業だ。著者はアウトドアショップを営む、大ベテラン猟師の希少な教えを受けながら猟の何たるかを学んでいく。同時に銃を手にすること、すなわち、命あるものから、命を奪うことの意味を問うていき、その重さを自分の手足で体験してからでないと、見えないものがあることを確信する。

 そして終章では資本主義から「ばっくれる」ため、貨幣を通さない交換をすすめる。

 いかなる商品もお金に換算できる貨幣の万能感に風穴を開けるのは著者の仕留めた鴨だ。羽をしっかりむしり、血を抜き、解体してできた精肉を隣人たちに渡していると、返礼として農作物をもらったり、農機の運転を教えてくれたり、軽トラの故障を直してくれたり。生活の一部がカネを介在しない経済で成り立つのである。

 けものを追い、殺し、食べることの先に見えるものは何か。猟師として日々を営む著者の身体を通して語られる言葉は哲学の域に達している。

(芳地隆之)